「オーロラの彼方へ」

  Frequency

 (2000/12/11)


今は亡きわが師匠の思い出から

 試写会から帰ってきていい気分の晩、僕を待っていたのはある一通の赴報だった。正確にはその人が亡くなってから大分経っていて、喪中なので年賀状は送ってくれるなという内容の葉書だったのだが。亡くなったというのは、僕が一番長く在籍した会社で一緒に働いた初老のコピーライター。僕の心の中だけではあるが、ひそかに師匠と思っていた人だ

 この人が取材の仕方や資料の集め方、情報への日頃のアンテナの張り方、ものの考え方など、ライターとしての仕事のノウハウのすべてを教えてくれた。否、実はこの人は何も教えてはくれなかったのだが、自分の隣の席に座って大先輩の仕事ぶりを毎日見せてくれることで、僕に無言で何かを教えていた。

 この人と一緒に仕事が出来た最初の1〜2年は、僕の社会人としてのキャリアの中でも最も輝かしい時期だったと言える。とにかく楽しかったし、やる気もあった。活気と信頼が職場にみなぎっていた。みんなでお互いの仕事を批評し合ったりするなんて、今じゃ考えられないようなこともしてたんだよ。でもそんな理想的な職場環境は、ある女の登場で徐々に暗雲たれこめていった…。どんどん雰囲気悪くなっていったところにバブルの崩壊もあった。それでなくてもやりにくくなってきたところに、この初老のコピーライターには生来のプレッシャーへの弱さもあった。急に会社を休みだして酒びたりになり、最後には職を辞すはめになったのは、確か1994年のことだったと思う。職場の基礎と気風を作り上げたその先輩コピーライターが辞めさせられた時、僕も、そして他の志を同じくする同僚たちも、みなこの職場は終わりだと悟ったのだと思う。

 今でもよく思うんだ。あの時にあの人が辞めさせられなければ、職場の状況があそこまで悪くならず、僕も辞めることはなかったろうと。しかし、あの先輩コピーライターが辞めるまで追い込まれたのには、何より職場の雰囲気が殺伐としてきた事と深い関連があるはず。どうしてそこまで雰囲気悪くなったかと言えば、疑いの余地もない。あの女が登場したからだ。あの女さえ現われなければ、いや、あの女が面接に来た後で、僕が一言みんなに言っておけば…事態は180度変わっていただろう

 今さら悔やんでも悔やみきれないが、人間は毎日知らず知らずのうちに重大な選択をし続けているのだ。みんなが彼女を入れるのに乗り気じゃなかった時、僕が女のデザイナーが一人いたほうが表現に幅が出るなんてツマラナイ事さえ言わなければよかったのに。或いは他のみんなと一緒に、もっと美人のデザイナーの方がいいと言っていればよかった(笑)。

 そうすれば職場もあそこまで荒れ果てなかったろう。みんなも辞めなかったろう。もちろん僕だってまだいたはずだ。仕事だってガンガンやってただろうし、他の事に目もくれなかったろう。実際、その暇もなかったろうしね。

 …ってことはネットもやってなかったって事になる。

 こんな映画サイトやってるわけがない。だから、あなたが目にしているこの文章は、本来なかったはずのものということになる。当然、映画館主・Fなるふざけた男もネット上に登場することはなかったわけだ。

 するってぇと…あの人ともこの人とも彼とも、そして彼女とも知り合う機会がなくなる。あぁ、それは考えていなかった! 人生は不幸だけで出来てない。僕たち同じ職場の人間に最大の災厄を招いたあの忌まわしい女…それが実は長い目で見たら、僕に最大の幸運を運んできていたとは、今まで考えてもみなかった。

 逆の事だって言える。近年になってから炭鉱が次々閉鎖になり、石炭会社の幹部たちはみな職を失って寂しく去っていった。だが、彼らは元々はみなエリートだったはず。その時の最高の成長産業として石炭を選んだはずだ。会社に採用が決まった時は、そりゃいいところに入れたとハッピーだったろう。それが、会社でも偉くなって一番うまみを味わえるはずの時期になった時、こんな不運に見舞われるなんて。人間の幸不幸なんてその場限りでは分からないものなのだ。

 一枚の葉書からさまざまな感慨に耽った夜。それは、異色ドラマ「オーロラの彼方へ」の試写会帰りの晩だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

映画観てない場合は

この感想文は最初から

読まないほうがいいです

 

 

 

 

 

 

 

 

30年隔てて父と息子の境遇は天と地

 1969年10月10日、ニューヨーク上空は太陽の活動に影響された異常気象にさらされていた。何とここニューヨークでオーロラが見えるのだ。だが、そんな天空の巨大なショーもお構いなしに事件が次々起こるところがさすがニューヨーク。今夜も可燃物を乗せたタンクローリーが横転し、地下に作業員たちが閉じ込められた。そこに出動してくるのがデニス・クエイド以下の勇敢な消防チームの面々。命知らずの活躍で間一髪救出に成功するが、ワールドシリーズ見たいからサッサと仕事かたずけようぜなんて台詞をさりげなく言っちゃうあたり、危険を危険と思ってない余裕の発言ですな。

 とにかく無事自宅にご帰還のクエイドを迎えるのは、美しい妻のエリザベス・ミッチェル。二人でエルヴィスのレコードかけながらイチャついてるのを見て、まだ6歳の息子は隣近所のダチと一緒に照れくさそうな顔。だがな坊主、大きくなるとこれが実に楽しいんだよ(笑)。

 さて夜ともなればニューヨーク上空に広がる例のオーロラだが、実はこの時出たのが最後じゃなかった。

 それは、きっちり30年後の1999年10月10日のことだった。30年前デニス・クエイドが帰ってきた同じ家に、一人の若い男が無精ひげ生やしたショボくれたツラで座り込んでる。たった今、女房に逃げられたばかりの刑事ジム・カヴィーゼルだ。こいつ、やめときゃいいのに俺が悪かったと謝れば、あんたはやる事なす事ロクな結果にならないダメ男なのよ…とクソ女房に一方的になじられ奈落の底に突き落とされる。分かったわかった、おめえは偉いよ立派だよ。次の自民党総裁でもめざすんだな。俺はここで一人でクラ〜くなりゃいいんだろとフテってたら、そんな気持ちを察してか逆なでしようとしてか、昔からのマブダチのノア・エメリッヒが自分のガキ連れてやってくる。ややっ?こいつらって…。

 このカヴィーゼルって例のクエイドの息子の30年後? で、ノア・エメリッヒもあの近所のダチ? 何だこいつら同じ家に住んで同じダチと付き合って、まったく進歩がねえなぁ。だから女に逃げられるんだよ(笑)。女房だけとって見ても、親父と息子じゃエライ違いだよな。おっと、そう言えば親父のクエイドはどこ行った? さぞかし老けただろうと思ったら、え? もういない?

 実はクエイド、さっき出てきた30年前の1969年に亡くなってしまっているのだった。それも、死んだのは30年前のあさって。勤務中の事故で不幸にも命を落としたわけ。だからカヴィーゼルには父親の思い出がおぼろげしかない。オフクロも若くして未亡人になってしまうし…あれから楽しかった毎日がガク〜ンと暗転して、ロクな事なかったような気がするなぁ。しまいにゃあのクソ女房にも言われるだけ言われて逃げられるしよぉ。

 そのうち、釣りがしたいと言ってるエメリッヒのガキに釣竿を貸すため、昔の親父の道具箱を引っぱり出すはめになるカヴィーゼル。道具箱を開けてみると…。

 懐かしいなぁ…無線機があるじゃないか

 今の若い人、ハムなんて言っても分からないかな? ハムって言ったって日本ハム・ファイターズじゃないよ。昔はマニアがライセンスをとって、アマチュア無線で交信して楽しんでた。それを「ハム」といったんだ。劇中エメリッヒのガキが無線機を見て「昔のインターネット?」と言うけれど、これは言いえて妙という感じだね。当時では一般人のレベルで一応地球上いろいろなところと交信できる通信と言えばこれだけ。これは魔法の箱だったんだ。親父クエイドは夜になると、これで見知らぬ相手との会話を楽しんでいたんだね。

 そこでカヴィーゼルは懐かしがっていじってみたけど、ウンともスンとも動かない。クソォ無線機まで俺をバカにしやがって。悪かったな、どうせ俺は何をやってもダメな男だよ。と言うわけで、フテったカヴィーゼルは無線機をそこに放りっぱなしにしちゃったんだね。ところがエメリッヒ親子が帰った後、そこに通信が入ってくる。

 「CQ、CQ…応答願います」

 これにはカヴィーゼルもビックリだ。さっきのインターネットの話じゃないけれど、今どきハムやってる奴なんているのか。しかも相手は何とこのニューヨーク。どうも、ごく近所にいる人間らしい。この晩、カヴィーゼルは無線の相手と軽い世間話をしただけで会話を終えた。ちょっと気になるのは相手がなぜか1969年のワールドシリーズの話題ばかりしたがることだが…。

 

女房に逃げられたダメ男に親父は救えるか?

 翌日、1969年のデニス・クエイド夫婦は他の消防署仲間やその家族、友達のニューヨーク市警の刑事アンドレ・ブラウワーたちと一緒に、テレビでワールドシリーズ見たりバーベキューしたりで楽しんだ。一方、1999年のジム・カヴィーゼルは女房にも逃げられたあげく、仕事でクラ〜い死体発見現場に行くハメになってる。あ〜あ、せっかく今日の昼飯に骨付きカルビの焼き肉食おうと思ってたのに食欲なくなりそ。何から何まで俺はやる事なす事うまくいかないダメな男とボヤきにボヤくんで、聞かされてるほうも気がめいる。…で、よ〜く見るとカヴィーゼルの上司はあのブラウワー刑事じゃないか。

 埋ってた死体はもはや白骨化していた。そう言えば大昔に看護婦連続絞殺事件ってのがあって三人の被害者が出て大騒ぎされたけど、この死体はどうもその一連の被害者の一人らしいぞ。そういや、あの事件って30年前…1969年、親父が死んだあの頃だ! どうも死体の古さから言って、30年前の一連の事件よりさらに前の被害者らしいと分かる。つまり、今回のこの被害者が第一の被害者ってわけなのか?

 このあたりで、勘のいい人ならこの映画がタダで終わるわけはないと感じるわけだよね。

 さて夜になると、またまた例の男からハムで連絡して来た。今度もまたいろいろ話をするうち、カヴィーゼルは分かってしまうんだね、相手は30年前にいる自分の父だってことが。ヒデキ感激(古い)! つまんないオヤジギャグ言ってる男は女に逃げられる。

 しかし何でまた30年前と通信がつながったんだろう? それは空にたまたま出ているオーロラが電磁波を発して云々…なんて面倒くさいことは、カヴィーゼルくん考えてもみなかった。何も考えてない男は女に逃げられる。

 その代わり彼はビビったんだよね。それもそのはず。30年前の明日、父親デニス・クエイドは事故で死ぬことになっているから。大変だ、何とか助けたい、それには自分が誰だか知らせなきゃならない、でもどうやって? どうしていいか分からない男は女に逃げられる。

 しかし、そんなにいろんな事を親父のデニス・クエイドに納得させるのは一苦労。仕方なく1969年のワールドシリーズがこれからどう展開するかを事細かく説明するハメになったが、それは結果を見なければ正しいかどうか分からない。親子にしか分からないことを言ってみたものの、クエイドますます混乱するばかり。仕方なく相手が聞いてるか聞いてないか分からないまま、父親の身に何が起こるかを説明。倉庫で火事があり、中の人間を救出に行って…そこで、どうやったら死なずに助かるかのヒントまで言ったけど、クエイドしまいにゃカツギやがってバカ野郎とカンカンに怒って通信を切っちゃった。そりゃ信じろってのが無理。命中した夜にさかのぼってキムタクに避妊しろって教えてやったって、そりゃ言うこと聞かんだろ(笑)?

 あぁ大丈夫かなぁ? 何をやってもダメなこの俺、ちゃんと親父を助けられるだろうか? 自信なさそうな男は女に逃げられる。

 さて翌日、カヴィーゼルとしては出来ることは全部やってみたものの、何ともツラい一日がやってきた。一人じゃ落ち着かないので上司のブラウワー、ダチのエメリッヒと一緒に昼間っからビール飲んでる。おいおい、勤務中に飲んだりしてるからおまえダメ男なんだよ。

 その頃30年前のデニス・クエイドは、テレビのワールドシリーズの試合がカヴィーゼルの言った通りの展開になっていくのに唖然としていた。しかも、そこに出動命令。倉庫で火事。あいつの言ってたことは本当だ! 俺、今日死ぬのかよ。

 そして予言通り火災現場に飛び込んでいって大ピンチ、もはやこれまでという時に、カヴィーゼルのアドバイスを思いだした。しめたっ、助かるぞっ!

 その頃30年後の現代では、カヴィーゼルがなぜかグラスを落として、ハッとした瞬間に何かが変わった。

 カヴィーゼルの頭に、いつの間にか父親クエイドと過ごした日々の思い出が残っている。歴史は変わった。親父は助かった! 他の二人ときたら、クエイドが30年前のこの日死んだなんて記憶はハナっから残っていない。彼らに聞くと、クエイドは数年前肺ガンで死ぬまで元気だったとか。カヴィーゼルの父親救出作戦は大成功に終わったのだった。

 その夜、またクエイドからハムの連絡が入った。今度はすっかり相手が息子であることを信じ、打ち解けて話す親子。その息子が自分を助けたとなれば感慨もひとしおだろう。それからの自分の境遇や世の中の変化など、二人で夜を徹して語り尽くした。俺もやりゃできるじゃねえかとカヴィーゼルも大満足。ケッ!ったく人のことダメ男呼ばわりしやがって、あのクソ女房全く分かってねえんだよな。

 ところがその夜、妙な夢にうなされる。起きてから胸騒ぎがして今は年老いた母親に電話すると、全然知らない人間が出た。それどころか朝起きてサツに出勤してみると、例の看護婦殺人の被害者が三人から十人に膨れ上っているじゃないか。しかもそれだけじゃない。

 その被害者の中に自分の母親の名が!

 何と、今度は母親が30年前に死ぬことになってしまった。警察の調書によると、殺されるのは30年前の数日後。どうしてそうなっちゃったのかは分からないが、父親を救うことで時間の流れを変えてしまったツケが、回り回って選りによって自分の母親の運命を変えてしまった。カヴィーゼル、いいセンいってたつもりがまたドツボ。やっぱ俺ってやる事なす事ロクな結果にならねえダメ男なのかよぉ…と、あの鼻息の荒さが一転。結局自分が見えてないアホな男だから女に逃げられるんだよ。

 さぁまた夜が来た。楽しい話でもしようとホイホイ通信してきた父親クエイドに、息子カヴィーゼルから情けねえ泣きが入った。

 「親父ぃ〜、俺たちオフクロ殺しちゃったよぉ〜」

 

無理を重ねた設定を力業でカバー

 まず、今回の感想文のストーリー部分が非常に書きにくかったことをお断りしておく。あまりにもゴチャゴチャといろいろな設定と段取りがあるので、うまくさばけずに苦しんだよ。冗談言ってるヒマないです。実際ドラマはこれでも序盤のほうで、お話はここからが長いんだが説明しても仕方あるまい。実際のところ、この映画は事前情報がないほうが楽しめるよ。だって、お話の展開がこれでもかこれでもかだからね。しかも、ラストに全て収束されて「うまくやったな」と思わされる。ハッキリ言って無茶な話で無理やり納得させられたかたちなのだが、それでもこの力業は凄い。脚本書いたトビー・エメリッヒは新人だそうだが、構成力などに難はあるものの筆の馬鹿力だけはありそうな男だ。

 ただ、こうした力業を後半で全面展開しなくちゃならなかったので、とにかく前段で説明しなくちゃならないお約束事が多い多い。それもかなり無理な設定だ。たまたま30年前と無線がつながったってだけでも強引なのに、その通信が数日間つながり続けている、通信がつながった2日後はたまたま親父が死んだ日である、親父が助かって歴史が変わったら影響を受けたのがたまたまオフクロだった…と、こうもたまたま偶然が重なったって事を前提としてお話が進んでいくなんて本当は無茶もいいとこなんだよ。それをさりげなく見せてる演出のグレゴリー・ホブリットはお手柄で、何とか演出の力でゴチャついた話をねじ伏せてるけど、脚本としては本当は頭でっかちでバランスの悪いものになってると思う。こんなに説明しにくい話もないのだ。確かに伏線に伏線を重ねて物語を構築して見せる映画というのもある。でも、その場合でも本当に優れた映画というのは、狙いがシンプルで鉈でブッた切るみたいに一本スジが通っているもんだよね。この映画はよくつくられてて観ている間飽きないんだけど、なぜかそのへんの感じに、増改築をドンドン続けてでっかくなった雑居ビルみたいな印象がある。やっぱり一発でストレートに説明できない映画というのは、かなり難解なヨーロッパ映画みたいなもんじゃなければ、どこか構成に無理があるんだよ。だから、面白いし後味も悪くないんだけど、これを果たして一級の娯楽作品と呼べるのか、実はちょっと疑問に思うところもある。

 ただ、これは本当にサービス精神は徹底的に旺盛な映画だ。ポスターや予告編のムードで見にいった人たちはある意味で裏切られるけど、いい意味での裏切りなんで決して悪い気はしないはず。日本でのこの映画のメインの広告展開である、「父と子」の再会で見せる感動のドラマってコンセプトは、実は始まって30分くらいで終わってるんだよね。あとは何とガラッとお話の方向性が変わっちゃう。だから、傑作ではないけどよく作られた作品、要素盛りだくさんで観る者をノックアウトするという意味で、偉大なるB級映画とでも言うべきかな。

 それにしても、これと対照的にお話としては端正でシンプルな「バーティカル・リミット」にしても、普通このくらいでいいだろうという見せ場を、二重、三重、四重、五重に押して押して押しまくるという点では、今回の映画といい勝負。もう、今どきの娯楽映画っていうのは、ちょっとやそっとの刺激ではお客さんが歓ばないからなのか、ここまで押していかないとダメなのかねぇ。確かに観た後の満腹感はすごくある。ただ、たまにはこんなに中にいろんなモノが詰まってるような映画じゃないのを観てみたい気もするのだけど、そりゃ贅沢ってもんかな。ちょっとすき間が懐かしいです(笑)。

 出演者では個人的にデニス・クエイド大好きなので、彼がこんなに全面的に大活躍する映画はうれしいね。甘さとタフさが同居したいい感じの男優さんなんだけど、どうも作品に恵まれず売れ損なっちゃった。この作品あたりを起爆剤に、一発ドカンといってほしいところだね。ジム・カヴィーゼルには申し訳ないけど、今回はもうそれに尽きます。

 まぁとにかく、考えもなしに歴史をバンバン変えちゃう展開は、ずいぶん強引でご都合主義だと言えなくもない。そういや「バック・トゥ・ザ・フューチャー」なんかもそうだよね。これが日本のSFだとこうはいかないだろう。自分の幸せのためなら歴史を変えちゃっていいって考え方は、やっぱり「頑張れば何とかなる」っていうアメリカ的てめえ勝手楽天主義に貫かれてるのか国民性の問題なんだろうか。

 だけど、実は歴史や運命ってのは僕らだって変えてるんだよ。オーロラだの無線機なんてなくても出来ることなんだ。

 僕らは毎日、無数の選択をしながら運命を変えているのだから。

 

 

 

 

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