「宮廷料理人ヴァテール」

  Vatel

 (2000/11/27)


ものを創る悦びとは…

 僕が昔、チャチな8ミリ映画を監督していた話は耳にタコなほど聞いてるよね。そうそう、映画づくりって最高にエキサイティングだ。もちろん出来上がった作品には愛着があるよ。でも、それより何より面白いのはつくる過程なんだよね。

 脚本つくってる時、キャスティングしてる時、準備してる時…次から次へと難問が押し寄せる。映画の場合、小説書いたり絵を描いたりするのと違って、多くの人々の力を借りなければならないし、いろいろなモノを調達しなくちゃいけない。そして場所…ロケ地が問題だ。さらに時間。封切り日に左右される商業映画とは違うけれど、撮影するには、いつ、どこで、誰が…を決めなければ話にならないのだ。そこでいろいろな問題が山積みされる。この役には彼女が必要だ。共演に予定の彼はこの日はバイトで4時まで都合がつかない。こいつとこいつは仲が悪いから一緒にできない。衣装を誰が持ってくる?どこで着替える?松葉杖を頼んでおいたあいつはどうしたんだ?どうしてあいつは床屋に行っちゃったんだ。あいつが女にフラれて撮影どころの気分じゃないって?

 ハッキリ言って、言った通りに動く奴は誰一人いない。そりゃそうだ。それが人間ってもんだよね。

 そして天気だ。神様まで味方につけなきゃいけない。ウンザリする。疲れる。もう二度とゴメンだと心に誓う。

 しかし、何とかかんとかダマしだましやってきて、最後までやり終えた後の快感は、何ものにも代え難い。それでズルズルと30近くになるまで続けたんだね。

 そんな僕だから、これも前に話したことと結びつくけど、例えば友人の結婚式の二次会などやろうものならマジで取り組むよ。ここでウケをとる。ここで盛り上がる。そして、ちょっと感動。このサジかげんがたまらないんだ。いつの頃からか、そんな事せず自然にやるべきだという話になって、僕の出番も減っていた。確かにそういう考えがあってもいいし、僕も一緒に楽しみたいから、いろいろやるのはもうやめた。でも、やるんだったらキッチリやらねば。何をやるんでも「作品」づくりとはそういうものだ。結婚式の二次会だって、立派な「作品」になり得る。出席した人の心に残る作品だ。

 楽しみだっていいかげんにやる奴は、何をやってもいいかげんだ。僕はそう思ってる。特に映画じゃなくって(本当は映画もそうだけど)ライブで何かやる場合、コントロールするのは至難の業だ。

 だから、用意万端整えて考えに考え抜いてやるべきことをやってしまった後は、神様に任せる。この世に完璧などない。所詮は人間のやることだ。そんなことはやってる自分がよく分かってる。だからいつだって、ハプニングが起きる余地は残してる。でも、そこまでは人間の領域だから、やるべきことをやっておくのだ。仕事だってそうだろう?

 料理人ヴァテールの仕事ぶりを見た今は、なおさらそう思うんだよね。

 

食のエンターテイナー、料理長ヴァテール

 1671年、時のフランス国王ルイ14世ことジュリアン・サンズを迎えて、ジュリアン・グラバー大公が3日間の宴を催すことになった。このグラバー公、かつては国王に反逆したこともあったが、このたびフランスがオランダと戦さを交えるかもしれぬという状況下で、国王に武勲を立てて失地回復したい。そのためのゴマスリ招待をしたいと言うわけ。サンズ国王も戦争ともなればグラバー公の腕を借りたいのはやまやまで、両者の思惑が交錯したあげくの3日間。先乗りで国王の側近ティム・ロス侯爵がやってきて、国王のご機嫌麗しくうまくいくようにと、デカいツラしていろいろ指図。グラバー公のお城は上や下への大わらわであった。

 この3日間の宴の指揮を執るのが料理長のヴァテールことジェラール・ドパルデュー。そのデカい図体が美食を知り尽くした料理長という柄に良く合ってる。心底職人のドパルデューは、この3日間を贅を尽くしたエンターテインメントにまで昇華させるべく、不眠不休で取り組んでいた。彼の裁量は料理そのものだけにとどまらず、宴会そのもの、そしてそこでの出し物にまで及んでいた。それを完璧の状態で楽しんでもらう…そこには余計なくだらない雑事など入り込まぬほどの純粋な思いがあるはず。

 しかし厨房の裏側ではそれこそ胃の痛くなるような事が次から次へと起こっていた。みんなが彼に相談に来る。そこへ来て国王ご一行が到着すると、余計な面倒事が増えた。国王の弟マリー・ラクラン・ヤングがよからぬ目的で、厨房で働く少年を召し上げようとする。そんなもの、ドパルデューは誰が相手でも一切拒否。そこはそれナニワの板さんの心意気だ。厨房はワシの戦場や、誰ぞ文句あるなら言うてみい、いつでも相手になったるわい!

 宮廷の人々のほうは、もっとドロドロした思惑が渦巻いていた。お付きの女官ユマ・サーマンには早速国王からお夜伽のご命令だ。本人がどうあろうと逆らえない。前から彼女に気があったティム・ロスは苦々しくも未練たらたらで、その前に部屋に行くとか彼女に言ってるがサーマンは相手にしない。そうだ、いいぞサーマン!東京国際映画祭ドタキャンのロスなんかに体を許すな!日本人をナメるなよ。

 そんなサーマンと、宴の進行を見ていたドパルデューがたまたま目を合わせた。実はそれに先だって、たまたま彼女がカナリアのカゴをひっくり返した時に手助けしたドパルデューではあったが、そこに何らかの感情の通い合いがあったかどうか。だが、そんな二人を見逃すティム・ロスではなかった。日本のファンのことは屁とも思ってなくとも、てめえに関わることにはいたく敏感なティム・ロス。早速ドパルデューにからんで、彼女のために菓子をつくれと、まるで使用人のような言いぐさだ。「レザボアドッグス」では血祭りなのも当たり前いい気味の奴。

 宮廷の奴らはヤリ放題の腐りきった奴らばかりで、ガキどもも躾がなってない。みんなで死にものぐるいで作った飾り付けを壊して歩いたあげく、それを止めたドパルデューも恫喝する憎たらしいクソガキだ。そこにさりげなく止めに入るユマ・サーマン。ドパルデューの心の中に何かが残る。どいつもこいつもゲス揃いの宮廷人なのに、何で彼女だけは親切なんだろう?

 夜中、そんな彼女の部屋にサンズ国王が夜這い。ことが終わって一人になった彼女、確かにこれで彼女の立場はグッとよくなったものの、こんな自分に何ともクラ〜い気分になるサーマンであった。

 さてドパルデュー、偉くなった今ではいささか不本意ながら、雇われてるご主人の顔を立てるためにロスから命じられたお菓子づくりに精を出す。彼にかかると食い物も芸術だ。調和と対比、この二つで美が決定する…という彼のコメントには賛成だ。近頃これを分からぬ安物好きが多すぎる。何でも楽しければいい、面白ければいいと言うモノでもないだろうと言う僕のグチはここまでにして、ドパルデューはこのお菓子づくりをソツなくこなしたが、実はその後にメインの出し物があった。

 ドパルデューのつくったその菓子は、ティム・ロスからの捧げモノと聞いてあっさり拒絶したサーマン。ところがアッパレなドパルデュー、その後追っかけで自分からの捧げモノとして花瓶に似せた砂糖菓子を彼女に贈ったではないか。違いが分かる男のゴールドブレンドに、サーマンさすがにグラッと来たぜ。

 宮廷は揃いも揃ったりの俗物ぞろい。国王のお手付き話がヒソヒソ囁かれるのにウンザリもしたサーマン、ふと外を見ると今夜の宴のために身をけずるように取り組むドパルデューがいるではないか。突風にあおられ、せっかくの舞台装置も台無しになると必死で頑張る彼を見て、サーマンもまるで甲子園で自校の勝利を祈る女学生のように祈ったよ。その祈りが通じたか、空は晴れ風はやんだ。そして、一心に祈る彼女の姿をドパルデューも見つめていた。あぁ「初恋のきた道」チャン・ツィイーちゃんは可愛いよ。これでまた、ググッと近づく二人の心ではあった。

 そんな中でも、卵は腐る、ランプは壊れてると次々問題が押し寄せるが、そこをアイディアでカバーのドパルデュー。何とかこぎつけた晩餐の花火も交えてのスペクタクル・ショーに、国王初め皆様ご堪能なれど一人ドパルデューだけは表情を曇らせていた。このショーの舞台裏では不慮の事故で一人の使用人が命を落としていたのだ。そこに何とも間が悪い国王のお召し。冗談じゃねえ、おめえらを楽しませるためにこちとら命削って働いてるんでえとドパルデュー今度は江戸っ子口調で啖呵を切って立ち去った。どこまでいっても不器用に職人魂貫き通すドパルデューだけど、仕事場には借金取り押し寄せるし、問題は山積だし眠ってないし、正直言って疲れたぜ。でも「頂点」と「完璧」を求めるこの俺だ、妥協なんかしないぞ。ご主人の復権がかかったこの宴を自分の力で成功させると誓っていたドパルデュー、しかし今では完璧にやり仰せることが彼の目的になった。彼にとってはこの宴こそが自らの「作品」と化していた。それが彼のクリエイターとしてのサガなのだ。

 しかし、その頃肝心のご主人グラバー公はというと、ドパルデューを国王とのゲームの賭けのカタにして、あっさりボロ負けして取られていた。この事はドパルデューにはベルサイユにご栄転とソフトに伝えられたが、実際には人間扱いされちゃいなかったんだよ。

 しかも、ティム・ロスには逆恨みされて、手下が闇夜に乗じて襲ってくる。どこまでも卑劣なドタキャン野郎のティム・ロス。ファンのみんながどんなに楽しみにして特別招待作品の切符買ったと思ってるんだ馬鹿野郎。あんなの待てば正月に公開したんだぞ。みんな一生懸命頑張って切符手に入れたのに…。

 ドパルデューがそんな危機を何とか逃れて部屋に戻ってくると、うれしいじゃないか驚いた、サーマンちゃんが待っていた。それに引き替え、おまえみたいなゲス男には女も寄ってこねえんだよティム・ロス!

 でも、楽しい夜は急に終わりを告げた。サーマンお付きの女の子が来て、国王がやって来ると教えに来た。行くなと頼むドパルデューだけど、国王の頼みを断れると思ってんのと急に大人の対応するサーマンはやっぱり女。思いっきり現実的な言葉に気持ちも萎える。こんなところに来た私がバカだったとまで言われちゃたまらない。おまけに、自分が賭けのカタに取られたことまで知らされてガックリ。夜中に女に置いてけぼりくらわされるだけでも十分ツラいのに、そんなことまで言わなくたっていいだろうサーマンちゃん。

 あわててサーマンが部屋に戻ってくると、国王はもう帰った後だった。おまけに東京国際映画祭には来なくても、こういう時には来てるティム・ロス。どこに行ってたか知ってるぜとサーマンを脅しにかかって、まんまと肉体を頂戴するてめえは許せねえ。「海の上のピアニスト」で、大波に揺られてクルクルと船の中を回ってたピアノと一緒に、海にでも落ちればよかったんだおめえは。最後にダイナマイトで船ごと吹っ飛ばされてスカッとしたぜ。だけど、死ぬ前に何だかんだと未練たらしくダチにグチグチ言ってたのはいただけなかったな。

 そう、サーマンも何だかんだ言ってカゴの鳥。そして、ヤケに現実主義者みたいなことをドパルデューに言ってはみたものの、それが平気になってるほどすれちゃいない。ティム・ロスごときにいいようにされなければならない自分を誰より情けなく感じるんだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから後は映画見てからネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

圧倒的なジェラール・ドパルデューの存在感

 これ、フランスのゴーモン製作の大作なんだけど、フランスのお話なのに英語の映画というのは解せないねぇ。フランス・イギリスの合作だからなのか。そう言えば主要キャストもイギリス勢が多い。あと、アメリカ人のサーマンだけど、この人なんとなくヨーロッパの人の雰囲気あるのが不思議。主役にど〜んとジェラール・ドパルデューもってきてるから、さすがフランス映画の風格あるけどね。ローランド・ジョフィが監督してるから、英語映画なのかな? 元々はイギリス主導の企画なのかもね。

 で、ローランド・ジョフィの新作なんですよ。この人の出世作「キリング・フィールド」はなかなかの大作で、それなりに見た時は感心させられた。だけど後でよく考えてみるとあの映画、結局欧米のジャーナリストがカンボジア人の助手を使い捨てにして、てめえだけ賞か何かもらって涼しい顔してるって話じゃねえか。ラストにジョン・レノンの「イマジン」なんか使っちゃって、もっともらしく見せてるけど。どうもダマされたみたいでスッキリしなかった。あとの「ミッション」もこれまた感心させられたけど、後になってそんなに原住民の犠牲を払ってまでキリスト教って布教しなくちゃいけないのか?とまたダマされた気になった。どうもこの2作ともよく出来てるだけに、後のスッキリしない感じがイヤだったな。

 この2本ともイギリス映画界で一時風雲児となったデビッド・パトナム製作の作品だったけど、この男もいろいろ物議を醸す人だったからね。で、その後のジョフィの作品については、実際のところあまり関心なかったんだよ。

 でも、今回のはいいね。この人が見せた映像のスケールのでかさ、いい意味でのハッタリ感が生かされてるね。そして、ジェラール・ドパルデューという人のぶっとい存在感が、全編にドカッと重石になってるのが幸いしたんじゃないか?

 ドパルデューのガムシャラに突進するエネルギーと、不器用ながらもチラッと見せる繊細さが、今回も抜群にいいんだよ。この人きっての当たり役「シラノ・ド・ベルジュラック」にも共通する豪放、不屈、そしてかいま見せる繊細…という持ち味が、今回も遺憾なく生かされてる。何と言われても妥協しない、小器用に立ち回れない、自分に得にならないと分かっていても己を貫く姿勢はまさに男の鑑。いい味出してます。

 …とうわけで、みんなの思惑が乱れに乱れた最終日。最後のシメで演出にも趣向をこらした宴席、氷の彫刻に盛りつけたシーフード…と思っていたら、あららお魚がない! 嵐のせいで漁港がカラッポ。今更シーフード・ファミレス「レッド・ロブスター」のロブスター食い放題に切り替える訳にもいかない。ここまで来て、さすがのドパルデューも万策尽きた。彼は国王からの使いが伝えた「明日ベルサイユにおいで」のメッセージも無視して、自分の部屋に閉じこもるんだね。

 すべての困難を乗り越えてきた、やるべきこともやった、世話になったご主人の脚気治療のために自分の飼ってるオウムも差し出した、宮廷人たちのわがまま勝手に振り回されても耐えてきた、借金取りが押し寄せてきても我慢した、愛する女に一度は開いた心を再び閉ざされるというツラい思いもした。あぁそれなのに。

 最後の最後、この俺の最後の希望。俺の人生の全てを賭けた「作品」たる、満を持して用意した宴席はこれでもはや失敗に終わる…。

 その時、彼には何も残っていない、何もないも同然と悟るんだよね。

 たった一羽だけ残ったオウムを空に放す時、彼には全てが分かっていた。ドパルデューにしろサーマンにしろ、はたまたご主人のグラバー公にしろ、はたまたセコく立ち回っているティム・ロスにしろ、いや、好き勝手なはずのサンズ国王にしたって、所詮は人間すべて自由なんかじゃない。そして、それは17世紀だって20世紀だって同じ事だ。何も政治やら仕事やらそんな事だけじゃない。何をやっても多かれ少なかれそういう事になるんだ。俺は何でも思い通りやれてる気がしてたけど。

 でも、何かを創造している時だけは、確かに「自由」を感じられた。それがただ一つの支えだった。みんな、それだから何かを一生懸命やってるんだろう? 僕もそうだ。それがなければ人は生きていけない。だからドパルデュー=ヴァテールにとっては、すべてがもう空しいんだね。そして本当の意味で、自由になりたいと思ったんだ。

 ものを創る人間にとっては、現世では創造だけが最後のよすがなのだから。

 

 

 

 

 

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