「イギリスから来た男」

  The Limey

 (2000/10/02)


「あの時代」を生きた者だけが持つ連帯感

 今、外国映画の字幕担当者といえば戸田奈津子って人が一番有名だよね。来日スターの通訳なんかもかって出て、一体どこにそんな時間があるんだと思うほどの活躍ぶり。しかし、昔は洋画の字幕と言ったらこの人、高瀬鎮夫氏が第一人者だったんだね。

 僕はこの人のインタビュー記事か何かを読んだ記憶があるけど、とにかく語学が堪能なだけでなく雑学の大家。物知りの人だったそうな。

 だけど、そんな字幕の大御所・高瀬氏を嘆かせた映画が、ある時、日本にやってきたんだね。その映画は何と「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」。あのビートルズ旋風真っただ中。その期待と興奮を引っさげて日本上陸。早速公開めざして準備作業が急ピッチで行われたんだよ。

 ところで字幕制作ってどういう風に行われるか? いろいろ状況に応じてあるらしいけど、その高瀬氏によれば決定台本とプリントが送られてきて、両者を見ながらつくるのが理想のようなんだね。しかしあくまで理想は理想。台本が不備であったり、送られてこなかったりということはザラらしい。この「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の時も緊急公開だったためか、台本なしで耳によるヒアリングに頼った字幕作成ということになったわけ。

 ところが、この高瀬御大でもこのビートルズ映画は難物だった。何を言ってるのか分からない。ビートルズの面々の言葉は、かなりキツいリバプールなまりらしいのだ。そんなこと考えてみた? インタビューでは確か高瀬氏、「Bookをビュークと発音するんですよ」と発言していたっけ。

 困り果てていた高瀬氏、フト気づいた。ちょうど今、リバプール出身のイギリス映画人が来日しているではないか! それが「トム・ジョーンズの華麗な冒険」でイギリス若手スターとして当時注目を集めつつあった、かのアルバート・フィニーだったのだよ、お立ちあい!。

 この頃のフィニーはどういうポジションだったのか、当時は小学生だった僕に分かろうはずもないが、若手による新鮮な映画づくりが盛んになっていたイギリス映画界で、彼はその潮流の旗手の一人として見なされていたようだ。それを今に当てはめると、「トレインスポッティング」などで脚光集める若手英国映画の象徴としての、ユアン・マクレガーとかロバート・カーライルみたいなものか。つまり何を言いたいかというと、音楽界におけるビートルズのような立場を、同時期のイギリス映画界で占めていたのがフィニーだったのではないかと思えるフシがあるんだね。

 高瀬氏の読みに狂いはなかった。宿泊中のホテルに聞き取りメモ等を持ち込んでの質問責めに、この新進スターはイヤな顔ひとつしなかったそうな。それも、同郷のスターだからというより、同世代のイギリスの文化人としてのシンパシーがそうさせていたようなんだよね。ある種の仲間意識かな?

 そう、この時期から数年間、イギリスの若手カルチャー・シーンには、音楽だけでなく文化全般にわたって変革の波が押し寄せて、同時多発的にいろいろなことが起きていたんだよ。そこに参加している若者たちには、ある種の連帯感が確実に存在していたみたいなんだね。まぁ、時代の仇花というか幻だったんだろうが。それでも一番面白い時代じゃなかったのかね。子供ながらに、何か変わったことが起きてるということは感じていたね。つまりは「オースティン・パワーズ」に描かれていたのがその時代。これがアメリカはサンフランシスコを中心に飛び火して、独自に開花しちゃったのがヒッピーやらフラワー・ムーブメントと言うことになるんだろうか。でも、当のニューウェーブの火つけ役ビートルズのジョージ・ハリスンが、当時、このアメリカのフラワー・ムーブメントを偵察に遊びに行ったようだが、まるでノレなかったようなコメントを残しているのも興味深い。やっぱりムーブメントのルーツは同じでも微妙に温度差はあるのかね。

 で、この時期に活動を開始して脚光を浴び、カウンター・カルチャーの申し子的な存在になりながら、その後長くなりを潜めることになる英米の2人のスターがいた。

 そのスター二人、かたやテレンス・スタンプ、かたやピーター・フォンダという。

 

サンシャインL.A.でスタンプ浮きまくり

 今まさにロサンゼルス空港に降り立った一人の英国紳士。しかし、実際のこの初老の男テレンス・スタンプは、いわゆる紳士などというヤワなタマではなかった。ここで彼を出迎えるがごとくガンガン流れるのはザ・フーの「ザ・シーカー」。またしてもザ・フー! 「アメリカン・ビューティー」に「サマー・オブ・サム」に…僕たちは今年、一体何本の映画でザ・フーの音楽と付き合うことになるのだろう?

 この男の目的は、見ている僕らにも次第に飲み込めてくる。ここロスには彼の娘がいたのだ。彼女とスタンプは、彼の刑務所勤めで疎遠になってしまっていた。ところが最近、車の転落事故で彼女は命を落した。スタンプはこれを事故とは思っていない。殺されたのだ。そこで刑務所から出所するや、彼は真相を確かめ復讐を遂げるべくロスに降り立った。まず手始めに娘の友人であるルイス・ガズマンを訪ねるために…。ガズマンはスタンプに娘の死を手紙で知らせた男なのだ。

 ガズマンは…というと、突然の彼女の父親出現に驚く。あれは事故だといいながらも、生前の彼女の行動について教えるガズマン。彼女にはピーター・フォンダという恋人がつい最近までいたこと、突然明らかにヤバい取り引きが行われていそうな倉庫に乗り込み、そこの怖いオニイサン相手を怖いもの知らずにどやしつけたこと…。スタンプはそれだけ聞くと、このガズマンを片腕に調査を開始。それに何だかんだ付き合うんだから、ガズマンも人がいい。

 だけどテレンス・スタンプ、いくらムショ帰りで怖いもんなしとは言え、そのしゃべり方や物腰からして浮きまくりなんだよな。太陽サンサンでジリジリ焦かれるようなL.A.の真っ昼間でも、あくまで英国スタイルを崩そうとしない。それもまだ彼がシャバで頑張ってた頃のまま…だから1960年代気分のままで。ハッキリ言ってマジメ面したオースティン・パワーズがL.A.を行く。

 まずスタンプは、いきなりこのヤバそうな倉庫に忍び込んでガサ入れ。どこから湧いてくるのか分からない強気で、ピーター・フォンダの名前をのっけから持ちだす。怖い連中は怒るし、何だかんだ言ってもこっちは老いぼれ一人。たちまちボコボコにされ銃も取り上げられて、ゴミのように倉庫から放り出される。何やってんだよと思っていたら、どっこい銃はもう一丁あった。無表情にまた倉庫に戻っていくと、自分をボコボコにした雑魚連中をブチ殺しまくり。逃げていく下っ端若僧の背中に、「俺が行くと伝えろ!」とスゴむスタンプ。キレたら怖いぜ昔から。

 そのピーター・フォンダはロックミュージックのプロデューサーとして功成り名を遂げた人物。高台に大邸宅を構え若い愛人はべらす毎日だが、その若い愛人に「60年代ってどうだったの?」と聞かれれば、感慨にふけりながらも表情が曇る。それは、輝かしかったあの日々に対して、金と地位は確保したもののあらゆる志を失い腐敗してしまった今日の自分というものを、イヤでも思い知らされるからなのか。倉庫でのヤバい取り引きの黒幕は、実はカタギの素人さんであるはずのこのフォンダ。その倉庫でのスタンプ大立ち回りの一件を聞いてビビるフォンダに、その相棒であるバリー・ニューマンは俺にまかせろとばかり大見えを切る。その言葉通りにニューマンはスタンプのことを自分で殺そうとしたり、殺し屋を雇って消そうとしたりするのだが、百戦練磨のスタンプはそんな連中ごとき束になっても相手にならないモノホンの悪。それどころか、フォンダが自宅で開いたパーティーにスタンプ堂々と登場しては、ボディガードを見ている前で殺しちゃたりするから大胆不敵。明らかに挑発だよこれは。

 そんな最中にも、娘の女ともだちレスリー・アン・ウォーレンに会いに行ったりと余裕しゃくしゃく。ビビる相手を尻目に、着々と網の目を絞るスタンプなのだった。

 

 

 

 

 

ここからは映画見てから読んで。

 

 

 

 

 

 

 

時間と想いがさまざまに錯綜して

 それにしても、だ。やっぱりこの作品はテレンス・スタンプに尽きる。みんなスタンプってどんな俳優だと思ってる?

 「スーパーマン」「スーパーマンII」、「ウォール街」、「ヤングガン」などでの脇に回った悪役のイメージしか、たぶん今のファンにはないと思うんだね。…それから、あの衝撃的な「プリシラ」!

 実は僕も肝心の1960年代には小学生だったから偉そうなことは言えないけど、テレビの洋画劇場なんかで「コレクター」は見てた。それとオムニバス映画「世にも怪奇な物語」のフェデリコ・フェリーニ編。あのへんは、いわゆる1960年代テイストがムンムンだったかな。そして、だいぶ後になってから見たパゾリーニの「テレオマ」。その伝説的なアクターが久々に真正面から主役で取り組んだ作品というのが、まず注目点だよね。対するフォンダも何と言ったって…と言うよりそれしかない「イージー・ライダー」だから(笑)、これはそうした過去のイメージを引っさげた英米カウンター・カルチャー対決という構図になってくるわけ。「きかんしゃトーマス」じゃないよ(笑)。

 そしてこの映画、何とスティーブン・ソダーバーグの作品なんだよね。時期的には「アウト・オブ・サイト」の後、「エリン・ブロコビッチ」の前ということになるらしい。「エリン〜」を見た時の作風の変貌ぶりには心底驚かされていたけど、実はその前の「アウト・オブ・サイト」でも、かなりな変身ぶりだったんだよね。すごくスタイリッシュな映像のハードボイルド・サスペンス。今回の「イギリスから来た男」はどちらかというと、この「アウト・オブ・サイト」に次ぐハードボイルド・サスペンスということになるんだろうが、もっとこっちの方が渋い味わいが際だつ。それと言うのも、やっぱりテレンス・スタンプのカリスマのおかげかな。

 そして演出的にも、よりこちらのほうがスタイリッシュ。細かいカットの積み重ねで、今どこの場所でいつなのか、そのカットごとの時制がバラバラで混乱して見えるのがミソ。主人公の錯綜して混乱した意識を映像化したようだ。

 この時制の混乱のもう一つのミソは、スタンプの「現在」に「過去」が混入してくるところ。そしてまだ幼かった娘の面影のほか、スタンプの若かったころの思い出として、かつてのスタンプ出演作でケン・ローチ監督の旧作「夜空に星があるように」から抜粋したクリップも挿入。実際に若かった頃のスタンプの姿が、見る者に時の残酷さを突きつけてくる。他の映画のフィルムクリップ挿入というこの作戦はなかなかユニークだね。

 そういえば、他にもう一本こうした手法を用いた作品があったっけ。フランソワ・トリュフォー監督がジャン・ピエール・レオとのコンビで作り上げた前代未聞のシリーズ、アントワーヌ・ドワネルものの最終作「逃げ去る恋」だ。「大人は判ってくれない」に始まるシリーズの過去の作品から、ドワネルの思い出としてフィルムクリップをバンバン抜粋。役者本人の成長がキャラクターの成長とピッタリ同調して、何とも不思議な感触の作品に仕上がっていたっけ。それにどこか共通する味わいがあるな。

 話は急に変わるけど、人に自分のことをあれこれと小言聞かされるのはイライラするよね。ダイエットしろ運動しろ早く寝て睡眠を十分とれムダづかいするな…例えば付き合ってる女がいつの間にか昔のオフクロみたいになって、何だこれはと思わされたりする時もある。でも、何だかんだと言ってくれるうちが花。それは、君のことを本当に心配してるから。いろいろ言ってくるのも、すべて愛するがゆえなんだ…。

 娘は犯罪者であるスタンプを忌み嫌い、かつて彼に足を洗わせるために「警察に言ってやるわ」と電話するふりまでして脅した。そんなに父の更正を願った娘なのに、彼女の生前はまったく報いることのなかったスタンプ。たぶん父親を愛し足を洗わせたいがゆえの文句や脅しであったろうに、その頃は自分にそれに気づく賢さも余裕もなかった。愛想が尽きた娘はやがて父から離れていった…。スタンプが娘の復讐を誓って海を渡ってきたのも、いわば彼女に対する彼なりの購罪の意味があったはず。

 そしてにっくきフォンダを追いつめ追いつめ、死ぬほどの恐怖を味あわせながら、なぜ娘を殺したと問い詰めたその時、巡り巡って因果がスタンプ自身にいつの間にか返ってくる切なさ。それは、自分に完全に愛想を尽かしてたと思い込んでいた娘の心の奥底の部分に、いまだ父親への思慕が残っていたと気付かされる衝撃。そして、娘にそこまで言わせたこの男への想いや、さらにはそれを告白しながら苦悩に泣き崩れる男の、娘への真の愛情までもが、ようやくスタンプには理解できるんだね…事ここに及んでやっと。

 こうした様々な思いが錯綜する様子を観客にも追体験させるために、この絶妙の構成が効いてくるんだよ。だから、お話自体はビックリするようなものじゃないのに、語り口の良さで最後まで見せられてしまうんだね。

 僕らは覚えていよう。いろいろ言ってくれる相手にはキレちゃいけない。それは、君を大切に思ってくれる人に違いないんだから。

 

 

 

 

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