「TAXI 2」

  Taxi 2

 (2000/08/28)


オヤジギャグをバカにするな(笑)

 君は扇子って使ったことある? 

 実は僕、ずっと前からもらってはいたんだけど、使わずに机の引きだしに転がしておいといたんだよね。別に使いたいとも思わなかったから。必要も感じなかったし。

 で、先日のこと、ある試写会に連れて行ってもらった時、そこの会場が暑そうだと思って、何の気なしにこの扇子を持っていったんだよ。こりゃ便利と思って。

 会場では並んで待っている時にこの扇子が威力を発揮。いや〜涼しい涼しい。一緒に見に行った知人も同年配の人間多いので、みんなで扇子賛歌。俺も最近使ってるけどいいヨ〜…なんて話がはずむ。

 ところがこれが10歳くらい下の知人になると、まるで違う反応なんだね。暑そうにしているから、これでも使いなよとこっちが親切心で出した扇子を見たとたん、まるでゴキブリでも見たかのように「何これッ?」とにらみつける。まるで俺が痴漢でもしたかのような剣幕。「こんなもの使ってるの?」

 親切心にだよ。ゴキブリだよ。こんなもの、だよ(笑)。

 しかもその後、なぜか扇子は忽然と消えてしまった。本人は捨ててないと言ってるけど、この知人が罵って以来ずっと見ていない(笑)。足でも生えたか。

 ところが、僕のネット上の友人(=同年配というか、ちょっと年上)とか高校時代の友人とかと会って、この話をするとみんな一様に「けしからん!」となる。扇子は便利だ、日本古来の知恵だ、扇子をバカにしておきながらダラダラ汗垂らしてヘバってるなんてアホちゃうか?…と、まぁだいたい、こんなふうに意見が出揃うわけ。

 一方、扇子反対派(笑)の知人のほうでも、自分の同年配の友人と電話で話していて、「いやぁねぇ。サイテー」とこういう話になってるらしい。自分のカレシは使ってないと思うとか、使っていたら絶対やめさせるとかね。要するに、何だか政治家か何かに見えるからヤだということらしい。デリカシーない奴。森首相とか。それなら俺もイヤだけど(笑)。

 ということは、扇子ってのはオヤジ度を計るバロメーターなのかもしれないね。

 考えてみれば、僕も今まで持っていながら使おうとはしなかった。それが、使ってもいいかなと頭の隅で思ったということは、自分もオヤジになったということなんだろう。イヤ〜ねぇと言われても、もうオヤジと言われておかしくない歳なんだ。仕方ないかも。それに、サイテーだとかイヤだとか言ってる奴だって、いつかはそうなるんだけどね。

 中には僕の高校時代の友人みたいに、最初は嫁さん(年齢差8歳)に扇子を嫌われたけど、最後には彼女に扇子買ってもらったという猛者もいて、彼いわく「Fよ、女に扇子買わせるくらいにならなきゃ男はあかんよ!」 ワッハッハと土建屋笑いの後、扇子パタパタ(笑)。

 で、この話を総合すると、扇子がイヤというより、その扇子が象徴するところの中年以降の男性が忌み嫌われているということなんだろうね。

 いつぞやの事、付き合っていたちょいと年下の女が、カラオケに行った時のことを面白おかしく話してくれたんだね。彼女いわく、そこにオヤジの客が来てて下品な替え歌ばかり歌ってて閉口したって言うんだよ。で、俺が一言口をはさもうとすると、彼女よせばいいのにダメ押し。「そういうオヤジの奥さんの顔見てみたいわ」

 そりゃ、おまえ自分の顔見たほうが早いよ(笑)。俺しょっちゅう歌ってるもの、そういう下品な替え歌(爆笑)。

 また、ある時は職場でつまんないギャグ飛ばされてマイッタとも。でも、それも俺の十八番なんだけどね(笑)。

 ただ、このオヤジギャグについてはちょっと僕には異論があって、あれはオヤジどもわざとやってる可能性が高いと思うんだね。わざと受けないギャグ言ってる。そうすると若いのがあからさまにバカじゃなかろかという顔をするだろう。その時、実はオヤジはニンマリしているってことに若い奴って気付いてない。

 わかってねぇな、若いの。

 そして、相手はまだまだヒヨッコと確認できたら、安心して仕事に戻るのだ。ただし、そこで軽蔑せずに付き合ってくる若い奴がいたら、オヤジはかなり警戒するだろうね。あれは昼行灯を装う手段ってこともあるから、若い人は用心したほうがいいよ。君らが侮っているより敵はしたたかだからね。そして腹黒い。

 それに正直に言わせてもらえば、若い人のギャグもハッキリ言って相当面白くないと思うぜ(笑)。というか、もっと寒いかもな。だって彼らは自分を笑えずカッコばっかつけて、人をバカにしているばかり。これじゃあギャグが面白くなるわけないんだよ。

 もっとも、今は「自分を笑う」という笑いの王道がなくなってる。テレビでも昔みたいな「お笑い番組」はなくって、強いて言えばバラエティ番組ってのがそれに相当するんだろうが、番組を仕切ってるタレントは昔のコメディアンという定義からははずれる。彼らは自らを笑い者にしない。回りの弱小タレントを笑い者にして、自分は偉そうにふんぞり返ってる。だから、それ普段から見ている奴らが、自分のことを笑える訳もないはずだよな。

 しかしねぇ、人類の歴史始まって以来、世界各国一回りしてみても、威張ってる奴が笑いを提供できる国なんてあったためしがないんじゃないか。自分を笑うってことは自分への批評精神があるってことだ。それをカリカチュアライズしてはじめて、自分で自分を笑い者にできるのに。逆にどいつもこいつも自己愛ばかりが肥大してるんだろ。こういう状態見てると、この国本当に大丈夫かと思ってしまうよね(この発言からしてオヤジ)。何とも哀しい自惚れ屋の国…。

 まぁ、とにかくオヤジギャグってバカにするけど、どうしてどうして。ちょっとした腹芸の部分のところもあるんだ。それはこの日本だけのことでもないらしい。

 フランスから来た「TAXI 2」見ると、それがわかるよ。

 

ブッたるんだフランス警察VSニンジャ軍団

 今回の「2」の趣向はみなさんよくご存じだよね。劇場でかかってた予告編で見てるはず。前作でおなじみベルナール・ファルシー署長が「コンニショワ〜!」とでかい声出す、あれ。日本の防衛庁長官が来るからみんなで警護しろってお話。部下にはこれまた前作同様、フレデリック・ディーファンタルのへっぽこ刑事と、エマ・シューベルイのスゴ腕女刑事もいる。これらのメンバーでこの署長命名するところの「ニンジャ作戦」の始まりである。

 で冒頭、いきなり妊婦を乗せて爆走の、サミー・ナセリ運転するプジョーのタクシー。レースに割り込んでメチャクチャにした末に、妊婦は無事病院へ。ま、厳密に言うと無事に…ではないんだけど。その後、再びあわててナセリがかっ飛んでいく先は、恋人のマリオン・コティヤールのお家。今日は何と彼女のご両親に紹介される日。う〜ん、二人の関係はそこまで進んでいたんだね。

 それにしても、男にとってこういう場面ってのは最悪の状況だよね。僕はまだ経験したことがないけど、娘の両親、わけても普通は父親とかなんて敵意むきだしでくることは目に見えてる。そりゃあ娘を犯した男だからねぇ、父親から見れば(笑)。自分も若い時に嫁さんやっちゃったことなんか、すっかり忘れてる。おたがいさまだって。因果はめぐる(笑)。

 でも、そんな理屈が通じないのが親というもの。やれ歳が離れてるとか常識に欠けてるとか稼ぎが悪いとか住んでる場所が遠いとか、まぁアラなんて探せばいくらでも出てくるし。いい歳して常識ないと言われても仕方ない部分もあったりしてね。

 ナセリの場合、そういったことは問題ではなかったものの、父親のほうが悪かった。何とナセリが一番苦手としてる格式ばった人間の最たるもの。軍人…それも将軍ときてるからタチが悪い。この父親ジャン=クリストフ・ブーヴェ将軍に延々続く戦争の手柄話を黙って聞かされるはめになるが、まぁ何とかそれは我慢もしよう。しかし、そこに突然連絡が! ヤバイ! 日本の防衛庁長官の出迎えに、空港に行くのを忘れてた! 急げって言ったそばから、将軍を乗せた車は事故でスクラップ化。それならナセリの出番。

 「俺が連れてくっスよ」と人なつっこそうな笑顔で将軍をタクシーに乗せる。まぁ、ここからが実質ドラマの始まりなんだわな。

 予想通りすさまじい爆走で将軍を空港の滑走路まで連れていくナセリ。ピッタリ歓迎祝典に間に合った将軍は、ナセリをいたくお気に入り。それだけならめでたしなんだけど、気に入りすぎて彼を放さない。

 歓迎祝典では日本側にフランスの威信を見せようと、特別仕様の警護カーを披露。これに防衛庁長官を乗せてパリまで連れていくはずが、警護カーの運転手がアクシデントで運転できなくなっちゃったので、将軍の肝入りでナセリが運転手に指名されてしまう。何でオレが??

 長官を乗せて走っていく途中には、これまたフランス警察の威信を見せつけるべくわざとらしい罠が仕掛けてあって、そこではディーファンタル刑事やシューベルイ女刑事らの「ニンジャ作戦」チームが待機して盛り上げる予定だが、ディーファンタルなんか頭の中はシューベルイの気をひくことばかりで、現場の士気の下がりっぷりと言ったらない。

 で、案の定そんなブッたるんだ雰囲気のところを謎の忍者軍団に襲われ、赤子の手をひねるようにしてやられるフランス警察。何と防衛庁長官と女刑事シューベルイを誘拐されてしまう。焦り狂うディーファンタルは、またまたナセリに協力を求める。

 こうして、超高速タクシーの冒険がまた始まるのだった。

 

どうせバカなんだからこれでいいんだベッソン

 前作「TAXI」って、実は僕とっても好きなんですよ。でも、始まっていきなりあの「パルプ・フィクション」で使われ、あまりにも有名になったベンチャーズみたいなテケテケのエレキ・サウンドの曲が流れ出すので、ありゃりゃりゃ…とズッコケ。見ててかなり寒くなったよ。それでなくても好きでなくなりつつあったリュック・ベッソンのプロデュース作だけに、これはダメだなと直感した。しかし、この映画は予想がはずれたんだねぇ。結構イキがよくて楽しい快作だった。ベッソン自身の監督作よりいいんじゃないかと思ったもん。だから、余計に不思議だったよね。何で「パルプ・フィクション」のあのテケテケを持ってきたのか。リュック・ベッソン一体何を考えているのかわからなかった。恥ずかしかったよあのセンスは。

 だから今回、オープニングには注目したんだよ。そしたら、あのテケテケがない(笑)。もうそれだけでこの映画には思う存分楽しむことができた(終盤にはテケテケ登場するけど、まぁこれはいいでしょ)。くっだらないんだけどね。サイコー! どこがどうと言うことも説明するのもヤボなんだけど、ギャグの一つひとつがアホでベタで。

 例えば特別警護カーはキーではなく声でエンジンがかかるようになっているんだけど、このキーワードが「ニンジャ」(笑)。エンジンを止めるほうは「長官」を意味するフランス語なので、車内の会話で防衛庁長官のことが言及されるたびに車は停車。で、仕方なくナセリはそのたんびに「ニンジャ〜!」と言ってエンジンをかけるはめになるんだね。こんなギャグが何度も何度も上方漫才みたいに繰り返されるんだからたまらない。いや、上方漫才なんて上等なもんじゃないや。オヤジギャグのレベルだわな(笑)。

 オヤジギャグと言えば、女刑事シューベルイがさらわれるのは、トイレでパンティ下ろして用たししている時で、だから彼女捕まってる時はノーパンなんですよ。で、来るぞ来るぞと思っていたら、やっぱりありました。お約束のカラテ・アクションでキックの嵐。ノーパンがチラチラ(笑)。これぞオヤジギャグの真髄。

 リュック・ベッソンって、あの「グレート・ブルー」(あえて「グラン・ブルー」なんて広告代理店の奴らが変に盛り上げたクソ映画の名は挙げない)あたりから、やたらセンスよくって才人ってイメージ出来ちゃって。でも、この映画で名を挙げて以来、巨匠然としてきたのはいいけど、思いきりハリウッドに傾倒してつくった「フィフス・エレメント」見たらあんまりのアホぶりに唖然。あれでSF映画だなんて恥ずかしくて言えない。ガキのレベルの発想の未来だね。

 だから、それ以来ベッソンってのは大したことないんじゃないかと思った。いや、むしろアホなんじゃないかって。これあながち悪い意味ばかりとも思えない。初期からハリウッド化するまでのベッソンって、大したことないアホだから面白かったんじゃないか。それがもっともらしく大袈裟に映画をつくればつくるほど、内容空疎になっているんじゃないか。ダスティン・ホフマンが頭巾かぶって訳わかんない役で出てきたりするけど、あれだって本当のところ、ベッソン本人にも何だかわかってないんだろう。

 だから、どうせバカなんだから偉そうにしなきゃいいのに(笑)。アンヌ・パリローとかミラ・ジョボビッチとかにモテたいと思っちゃうと、ついつい利口そうな顔したくなるんだろうな、バカなくせに(笑)。よく飲み屋かなんかの女の子クドこうとして、クリエイターみたいな横文字商売の男が名刺見せびらかしてるレベルと大差ない。だからキライなんだよ、プランナーとかデザイナーとかライターとかディレクターとかプロデューサーとかおまえらがな!…あ、俺もそうか(笑)。(同業者の方ゴメンナサイ。)

 だから、ベッソンはカッコつけてないで、バカはバカらしく映画つくってりゃいいんだよ。例えばこの「TAXI」のシリーズみたいに。な〜んも中味なし。カラッポ。でも、ここまでカラッポだと楽しいよな。映画なんて所詮こんなもんだよ。特に夏の暑い盛りに見る映画はさ。それでも前作はバカに拍車がかかっちゃって、「パルプ・フィクション」の曲なんかいきなりかけてやんの。それじゃ本当のバカで、シャレにならないんだよね(笑)。

 特に今回は続編とあって、登場人物の説明しなくて済んでるから、ドラマなんてなくってバカなギャグの連続になってる。でもいいんじゃない? 最後にはエッフェル塔を前にして、戦車まで登場してパトカーのスクラップの山が出来上がるバカバカしさ。ここでのエッフェル塔ってのも、ちょうど風呂屋の内壁に富士山の絵が描いてあるような、お約束の絵柄ってことでしょうな。おめでたいビジュアル(笑)。

 批評によれば、この作品が日本人を侮辱していると怒っている人もいるようだけど、そんなシリアスなもんじゃない。これで怒ったらそっちの方がバカ(笑)。リュック・ベッソンって親日家のはずなのにって憤慨している人もいたようだけど、そもそもベッソンのオツムじゃ親日なんてその程度だろ(笑)。それに、むしろこの作品では日本人よりフランス人をバカにしているように思えるよ。つまり、そこが大切な訳よ。自分を笑い者に出来るかどうかってことがさ。

 ベッソンが自分本来のバカをさらしてつくったこの作品は、だから見た後とても気分がいい。それに奴ももういい歳だけに、ちゃんとオヤジ風味がプラスされてきたんだねぇ。あいつは、これは自分の監督作品じゃないからバカやっても俺のせいじゃないと言い張るつもりだろうが、プロデュースに脚本もやったら全部おまえの資質だとバレたも同然だろうが(笑)。それでも、俺はここ最近の奴の監督作品なんかより、この「TAXI 2」を断固支持するぜ。

 自分をバカにして笑い者になれるか、自分がバカだと認識出来るか。最後は人間ここらあたりが勝負どころだもんな。

 

 

 

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