「ボーイズ・ドント・クライ」

  Boys Dont't Cry

 (2000/08/21)


悲劇のピッチャー小林繁(笑)

 1978年11月21日、プロ野球界にあるひとつの「事件」が起こった。前年にドラフトでクラウンライター・ライオンズに指名されながら入団拒否し、アメリカで野球浪人をしていた「怪物ピッチャー」江川卓が、読売ジャイアンツと契約を結んでしまった…という、あの「事件」だ。野球協約の不備を突いた奇襲攻撃で、俗に言う「空白の一日」事件。ドラフト会議前日のこの21日だけは、江川はライオンズの指名権からはずれるとともに、次のドラフトとも無縁なフリーの状態でいるわけ。その盲点を突いての暴挙だったんだね。

 さすがにコミッショナーはこれを認めず却下したが、それと同時に、この年のドラフトで江川の指名権を得た阪神タイガースと巨人との間の交換トレードは認めてしまうという弱腰ぶり。

 で、1979年1月31日に、なんと阪神・江川、巨人・小林繁のトレードが電撃的に行われたのだった。まぁ、巨人の球団史にはこんな事件が枚挙に暇もないけどね。それでも徳光みたいな狂信的ファンはそれでいいんだとキーキーわめく。何か思い違いをしてるんじゃないのかおまえら。それにも増して腹立たしいやら情けないやらなのが、このトレード話に阪神タイガースが喜々として乗ってしまったこと。これ以来、僕はこの愛する球団に、何とも言えない不信感が拭えないね。

 それはともかく…ルーキーの江川はいいとして、いきなり栄光の巨人軍(笑)から貧乏タイガースに移籍が決まった小林の心中やいかに。いくら「怪物」視されようとも一介のルーキーピッチャーのトレードに、まさか先発投手陣の一角を担う自分が利用されようとは…。この瞬間、小林の悲劇のヒーロー的なイメージが決定した

 移籍後、小林は阪神のエースピッチャーとして、巨人時代以上の活躍を見せた。古巣の巨人もさすがに気がひけてか、小林の前ではなすすべもなかった。

 そんな小林は自らの「悲劇のヒーロー」イメージで、マスコミの寵児となる。あるスポーツ紙などは、小林自身の執筆(もちろんゴーストライターの手になるものだろうが)によるトレードのいきさつと同時進行ドキュメントをつづった連載コラムをスタートさせた。そのタイトルがすごくて、「男は泣かない」(笑)。ご丁寧に題字も小林自身の手になるもの。

 しかしねぇ…「男は泣かない」…って。そりゃ栄光の巨人軍(再び笑、否、嘲笑)からセコい体質のタイガース行きじゃあクサりたくもなるかもしれないよ。オロナミンCのCMにも出れなくなるし(笑)。でも、それじゃあパ・リーグに行った奴とか二軍に落とされっぱなしの奴はどうなるんだよ。第一、「男は泣かない」とまで言うほどの、そりゃ事件かね? 肉親が死んだとかリストラされたとかっていうんならまだわかるけど、たかが球団移籍ぐらいで「男は泣かない」?

 まず、「男」って単語が出たとたん大げさになるよね。「男一匹」とか「男度胸の」とか何となく偉そうでしょ? でも実際のところ、どれもこれもこの小林のトレードと同じで、大したことない事柄だったりする。「男」「男」って言わなければならない時に限って、くだらないんだよ。

 だいたい日常の場面で誰かが「男」とか「男らしさ」をひけらかす場面って、ロクなもんがないでしょ? 例えば飲み会なんかで「男らしさ」をチラつかせて、若い奴らに「飲みが足らねえぞ」とか「つき合い悪いぞ」と飲酒を強要する上司や先輩、年上のバカ。そんなに飲みたきゃ一人で飲め、このボケが。女学生がツルんでトイレ行ってるんじゃあるまいし、何でもかんでもつき合ったりつき合わせたりってほうが、よっぽど女々しいじゃねえか。そもそも目上である自分の立場を利用して他人に高圧的に出ること自体、「男らしく」ねえんだよ。

 ことほどさように「男」をチラつかせる男どもだが、実はチラつかせればチラつかせるほど「男らしくない」。いや、「男らしくない」からこそ、ことさらに「男」をチラつかせねば帳尻が合わないのか。男を長年やっている俺も、フェミニズムなんてクソみたいなもんだと思っていながら、この「男らしさ」は傍迷惑なだけより愚劣だと感じてはいる。

 でも、たぶんこの言葉を連発する輩は焦っているんだろうな、自分の「男らしさ」を証明しようと思って。だって僕の経験から言って、男は最初から男なんじゃなくって、なろうとして「男」になるもんだからね。いやいや、何も童貞喪失とかのことを言ってるんじゃない。そんなこと以外に、男の人生には自分の「男」を証明するためのハードルが無数にあるんだよ。それがまた、どれもこれもくっだらないハードルでさ。大義名文だけはさっきの小林のコラムのタイトルみたいに大げさなの。何って言ったっけ?

 「男は泣かない」…英語に直訳すれば「ボーイズ・ドント・クライ」だわな(笑)。

 

過去を抹消して「男」として出直し

 1993年、米国ネブラスカ州リンカーン。ヒラリー・スワンクくん(20歳)は、髪を短く刈り上げズボンをはき、典型的な西部の田舎男のスタイルで立ち振る舞ってはいたが、その正体は実は女なのだった。でも、その心の内はまぎれもなく男。酒が好き、多少品は落ちるが気の置けない冗談が好き、ビリヤードが好き。…そして何より、僕や君と同様、可愛くてセクシーな女が大好きなのだった。

 そう、女って可愛いねぇ。君はどんな女が好き? 僕は髪は短めが好きだね、できれば頭のいい女がいいな、それに気取りがないやつがいいね、お高くとまってないのがさ、別に卑猥な冗談に付き合えとは言わないけど、そんな話が仲間うちで出た時にはそっと笑って聞かないふりをする女、それでいて品がいい女、上品ってのは偉そうってことじゃないんだ、それを勘違いしてる奴が多いからね、そして…それでいて二人きりの時は情熱的であればなおさらいいんだけど。

 きっと彼スワンクくんだって、そんな気持ちで頭はいっぱいだったに違いない。飲み屋で可愛い娘を見かけたら、声のひとつもかけたくなるのが男ってもんじゃないか。そりゃ何にも悪いことじゃない。ただ、こいつちょっと誰彼ともなく声をかけすぎのきらいはあるけどね(笑)。

 ところが彼は生物学的にはどこをどう叩いたって女。だからそれがバレると、怒った連中から追いかけられ、時には手ひどく痛めつけられるはめになる。いいなと思う女をくどいてどこが悪いって言ったところで、そもそも周囲の人間にとってはスワンクが男のなりしている事からして気に入らないのだ。それでも、この町はまだいい。

 いろいろあってフォールズ・シティへズラかるはめになったスワンクくんに、ゲイの従兄マット・マクグラスはやめとけと警告するんだね。アメリカの田舎だ。保守的な体質。中でもガチガチのフォールズ・シティなんかじゃ、同性愛者が無事にやっていける訳がない。だが新規巻き直し、過去を抹消して「男」としての出直しがしたいスワンクくんは、この旅立ちに賭けるわけ。ちょっとやそっとの半端じゃない「男」そのものになりたかった彼だからこそ、こういった土地で完璧に男になりおおせたかったんだろうね。

 で、まぁスワンクくんは、ひょんな事から知り合った気のいい連中と意気投合したわけ。男らしくてみんなの兄貴分的なピーター・サースガードをはじめ、その子分みたいなブレンダン・セクストン三世、まだ若いのに何となくオバサンくさい未婚の母アリシア・ゴランソン…そして、ちょっと目の下にクマ出て疲れた表情のクロエ・セヴィニーもそこにはいたんだね。

 スワンクくん、彼らと行動を共にするようになってゴキゲン。何せマッチョ体質が染み着いた連中だから、そうなりたかったスワンクには最高な環境なわけ。そして何よりリーダー格のサースガードに気に入られているのが心地よい。みんな一人前の男扱いしてくれるしね。こうなりたかったんだよなぁ。

 最初はゴランソンに声をかけて気に入られ、彼女の家に転がり込んだスワンクくん。この連中と一緒に遊ぶようになって、だいぶ経ってから目の下クマ嬢のセヴィニーと出会うが、彼女は「な〜にこいつ?」ってな感じでフ〜ンとつれない感じ。だが、彼女が仲間うちの女二人と一緒にカラオケのノドを披露することになり、やる気なさそうでヘタっぴーな歌を歌う姿を見て、われらがスワンクくんはすっかり恋に落ちてしまったんだね。

 でも、セヴィニーって実は連中のリーダー格サースガードの「彼女」ってことになってる。サースガードなんて、彼女とそのおっかさんジャネッタ・アーネットのことを「自分の家族だ」とまで言っているんだよ。しかも、サースガードとセクストンはム所帰りでキレやすい男たち。手ぇなんか出したらヤバいムードが濃厚なわけ。

 それでも、火に吸い寄せられていく蛾のように、セヴィニーに引かれていくスワンク。そのセヴィニーのほうでも、最近サースガードにはウンザリということはあるが、ちょっとばっかしスワンクが気にはなってきた。

 そしてある日、深夜の工場で働くセヴィニーをスワンクが連れ出す。原っぱでキスして、ああしてこうして…あれまでしてしまう(笑)。その時、セヴィニーには何かがわかったはずだ。でも、たぶん彼女はどうでもよかったんだよね。何がどうなってようと、相手のカラダがどうであろうと。肌を寄せ合っているだけでいいんだ。だって、それはこんなに素晴しいんだもの…。

 この深夜の原っぱでのラブシーンは物語の核心部分に当たるところであり、その扱いはデリケートさを要求されたろうが、何と言っても圧倒的実感を持って描いているのが素晴しく見事。キンバリー・ピアース監督は、このきわどい題材を品良く、誰もが共感できるよう処理することに成功しているね。

 セヴィニーはこの町のどんよりとした雰囲気、沈滞した母親や仲間との関係にイヤ気がさしていた。それらとは一味違ったスワンクという男が、彼女の人生を変えてくれるかも…という期待もどこかにあったんだろうな。いつか一緒に暮らそうね、一緒に出て行こう、でもいつ? 本当に出て行ける? う〜ん。

 だがこの新たな関係は、すぐに仲間うちに知れるところとなってしまった。一触即発の状況。そりゃあサースガードも腹わた煮えくりかえっていたに違いない。でも、その頃にはすでにスワンクは仲間うちでもクールな奴として評価されるポジションにいた。だから、何となく認めざるを得ない雰囲気になったのは二人にとって幸いだったかも。いや、幸いだったのかなぁ。

 ところが好事魔多し。スワンクって前の町で車の窃盗で捕まってて、裁判所への出頭を申し渡されていたのにフケていたわけ。それが、スピード違反したんで警察に行ったら、その場で捕まってしまった。留置場にブチ込まれたスワンク。その件で、彼は「彼女」として女名前で新聞に載ってしまうことになる。これを読んだ仲間たちはスワンクの正体にギョッとして、ビビりまくってしまうのだ。

 まずセヴィニーが留置場にやってくる。カンカンに怒ってるだろうなと覚悟するスワンクは、それでもしょうもない言い訳をして取り繕おうとする。

 「どうしてだろうな、なぜか女用の留置場に入れられちまって」

 こういうどうしようもないウソや言い訳の仕方が、何とも男そのものですな(笑)。あれぇ?何で風俗嬢の名刺がポケットに入ってるんだろう?どうして石鹸の匂いがするんだろう?…てな野郎のフザケた言い訳にしか聞こえないもんな(笑)。変に共感覚えちゃったよ。でも、セヴィニー嬢はそんなの一蹴しちゃうんだ。

 「そんなのどうでもいいから、早く出よう!」

 彼女がスワンクくんを出所させ、二人は手に手をとって留置場を出ていく。そう…もうそんなのどうでもいい。女がいよいよこうと覚悟を決めたら、男のしょうもない言い訳も、二人の間にどんな障害があろうとも、相手にどんな問題があろうとも、そんなもの平気でブッ飛ばしてしまう迫力があるんだよ。あなたが誰であれ、何であろうと私には関係ない!

 それまでマッチョにクールに決めていたスワンクくん、ここぞって時に女のセヴィニー嬢に主導権を文句なく握られてしまうあたり、いや〜俺がハッキリ保証する。スワンクくんのここまで情けないトホホぶり。おまえは確かに間違いなく男そのものだよ(笑)。

 でも、それは二人が自由になったことにはならないんだね。

 

男は最初から「男」ではない 

 何しろノコノコとセヴィニー嬢の家に現われるなんて、スワンクとセヴィニーもバカだ。サースガードなんかは、元々自分の女と思っていたセヴィニーを取られた訳だから、完全にキレているわけ。そこに今度はギッタンギッタンにしてやる口実がバッチリあるわけだから張り切ってる。サースガードとセクストンは、スワンクを無理やりフンづかまえて服を脱がせ、男か女かの判定をする。徹底的に乱暴狼藉し、いたぶりまくる二人。そしてレイプ。…もうこのへんから、スワンクに対して気分が悪くなるような蹂躙ぶりなのだ。

 挙句の果てに警察に訴えたスワンクが、セヴイニーを連れて逃げようと町に舞い戻った時、このサースガードとセクストンは仕返しのために彼女を殺そうとやってくるわけ。

 これねぇ…実際わざわざあんな目にあったのに、何でスワンクはこの町に舞い戻ったのかなぁと前だったら思っただろうね。でも、今なら僕にもわかる。やっと絶対的に自分を理解してくれる相手に巡り会った以上、何が何でも彼は彼女のもとへ戻らない訳にはいかなかった。それは理屈抜きだよな。例え死ぬことになるとしても、そうせざるを得ないもんなんだ。彼女のためなら、自分の命などものの数ではないんだよ。

 だけどセヴィニーつれないじゃないか。いよいよ二人で出かけようって時になったら、やっぱり躊躇してしまうんだよ。何で? 彼はすべてを捨ててもいいと言ってるのに。彼女は結局あれだけここから出たい出たいと言ってたのに。考えたってしょうもない事だってある。こういう事にはノリとか勢いってものが必要な時だってあるんだぜ。

 そんなこんなでグズグズしてるうちに、バカ男二人組がスワンクを殺しにやってくるんだよね。これなら帰ってこなけりゃよかったじゃないの。ここちょっと俺は見ててイライラしたぜ(笑)。

 それにしてもこのスワンクに対する周囲の憎悪、特にバカ男二人組の過剰反応ぶりは、どう考えるべきか。もちろん決して許されるべきではない卑劣さではあるが、その憎悪のバックボーンには、何となく男というものの育ち方育てられ方が大きく影を落していると思えるんだね。

 冒頭にも言ったように、男は「男」として最初から生まれているわけではない。生物学的には「男」であっても、子供時代、学生時代、大人…生活のいろいろな場面で自分が男であることを証明し続けなければならないんだよ。僕なんか未熟児で生まれて病弱で、子供の頃ほとんど運動できなかった。で、子供の頃に運動できない…となってくると小学生では致命的なわけ。それだけで「男」失格。イジメられるネタが一つできるわけ。実際、辛酸なめさせられてきましたよ。

 だから、途中で内股歩きを外股に変え、猫背を胸を張る歩き方に改造。何より運動はそんな訳でダメだから、バババッと積極的にしゃべって下品で大声でヒワイな冗談を連発するキャラに自己改造。みんなが望むいかにも陽気で楽しいちょっとガサツな男の子…そういう人間に扮して、僕は自分を「男」であると証明し続けなければならなかった。それって、ヒラリー・スワンクが劇中で男になりきるため、いろいろやらされていた事に近い。男ってねぇ、はっきり言ってみんなこのヒラリー・スワンクそのものなんだよ。

 じゃあ何で誰もその事を指摘しないのはどういうことかって? みんな認めたくないんだよ。自分が努力してかろうじて「男」になっているだけだなんて。当然当り前のように「男」なんだと見せたいもの。

 だから、あのバカ男二人組がむやみやたらにキレて、とにかく破壊的な行為を実行に移したのは、スワンクを自らの「男」への脅威と見なしたからじゃないか。だって、何とかかんとか、やっとこ自分たちを「男」にしている彼ら(そして僕らも)にとって、見事に「男」になりきっていたスワンクは、自分たちの「男」というものの危うさをまさに体現している存在なんだもの。だから許せなかったんだ。

 とにかくこの作品の見どころは、ヒラリー・スワンクその人に尽きる。彼女=彼のキャラを通じて、僕は自分が男としての楽しみを覚えていった頃の、ウキウキした気分を思い出した。そのへんを僕のような男の観客に実感させただけでも成功だったんじゃないか? もちろん、キンバリー・ピアース監督の功績も大なんだけど、それを体現できる女優を手に入れられたことが勝負を決めたと言える。

 「男は泣かない」…そうねぇ、昔からそう決まってるけどね。女がみんな女優で何かを演じてるというなら、男だってヘタなりに自分を何かになり切らせてる部分はあると思うんだよ。だから女の君たちにお願いしたいんだ。そのルール通りにしない時があったとしても、決して冷たく見放さないでくれと。

 男にだって、本当は泣きたい時があるのだから…。

 

 

 

 

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