「あの子を探して」

  一個都不能少(Not One Less)

 (2000/08/14)


私の教育者体験(笑)

 今から20年近く前のこと、大学卒業迫る年末年始、僕はちょっとだけ塾の先生とやらをしていたことがあるんだよ。意外だろ?

 実は僕はほとんど塾通いってことをしてなくて、それはその当時でもすでに珍しかったんだね。いや、別に信念があったわけじゃない。例えば中学当時、みんな同じ塾に通っていて、そこはもう一つの学校と化していたんだけど、僕は学校外でもみんなとツルみたくなかったんだね(笑)。

 ただ、唯一の例外があって、それは中学〜高校と通った英語塾。少しは英語ができるようになりたかったんだけど、結果的に全然ダメだったね(笑)。でも、そこにはずいぶんお世話になった気がしていたんだよ。

 で、就職活動も一段落ついた大学4年の年末、僕の元にこの英語塾の塾長の先生から連絡が来た。人が足りないから助けてくれと言うのだ。ちょうど暇はあり余るほどあったから、恩返しのつもりで先生のバイトでもしようかな…と、最初はまぁそんな感じの気楽な気分だったのだ。

 ところが、当日行ってみると、僕の担当するクラスは中学生でも典型的落ちこぼれクラス。すでに3年生なのにアルファベットすら満足に書けない。人の話をじっと聞くことができず注意力散漫。集中力希薄。要は何もやる気がない生徒なのだった。6〜7人のクラスなのに、まとめるのがやっと。初日はさすがにヘトヘトになった。これじゃあ授業にならない。

 だがそのうち、僕はこの子供たちを黙らそうとするからうまくいかないのだと気づいた。彼らはある意味で、学校から見捨てられてしまった子供たちだった。本人たちが「先生も私らの面倒見せられてかわいそうね〜」なんて言ってるくらいなのだ。言うことはきかず悪いガキどもではあったが、まだ子供なりに自分たちの置かれた立場は分かっているのが何とも切なかった。「おまえらみたいな連中見ているほうが責任がなくていいよ」なんて軽口が返せるようになってきた頃、僕も彼らにちょっとづつ共感を覚えてきていた。

 また、当時大ヒット中の「E.T.」のバッジをセーターに付けてきたら、「E.T.先生、E.T.先生」と大騒ぎ。やかましくて仕方なかったが、彼らなりに親愛の気持ちは示しているんだと気づいた。それで、その日は必要最小限の授業内容をこなすと、あと映画の話だけした。そして、映画にからめて再び英語の授業らしきものをした。その時の彼らはおとなしいもんだったね。

 それからカセットで歌を流して覚えさせたり、冗談ばかり言ったりして授業を進めた。なぜか仕切りの向こう側で授業していた女先生(ったって、僕と同じく実は大学生)と授業のやり方で意気投合してデュエットで歌を歌ったり…まぁ英語ってわかると楽しいぞってな感じで毎日授業をやっていったんだね。

 それと同時に、彼らに何でもかんでもわからない事を詰め込むのはやめた。最低限アルファベットが書けて、中1程度の単語や文法がわかれば良しとしようと決めた。侮ってはいけない。中1程度でも完全にマスターすれば、かなりの日常会話が可能はずだ。

 だから、ある日の帰り際に塾長から呼び止められた時は、さぞ褒めてもらえるだろうとおめでたくも期待した。それがあんな言葉を投げかけられようとは。

 「あまり余計な事はしなくていいですからね」

 当時の僕はナイーブだったんだと今では思うけど、そんなひどい事を平気で言える神経がわからなかった。しかも塾長いわく、子供たちの親も多くを期待していないと言う。ただ遊ばせていても金がかかるしロクな事をしないので、とにかく一定時間だけ勉強らしきものをやらせて預かっていてくれというのが親の希望だと言うのだ。つまり、あの子供たちは学校だけでなく、親からも見捨てられていた子供たちだったんだね。

 こうなると、元々あまのじゃくで反抗するのが大好きな僕だから、塾長に逆らってどんどん授業に手を加えていった。昔は僕もいいことやってりゃ勝てるとかバカな事考えていたんだな。ウソっぱちだよそんな事、世の中は常に悪の勝ちなんだよ。それに敵を侮ってしまうのも、いつもの僕の悪い癖。

 それからしばらくして、その日の授業のためにやってきた僕に、塾長は冷たく言い放った。

 「代わりの先生見つかったから」

 つまり、その日で僕はクビ。たった今からお役ご免。すぐに帰ってくれという意志表示だったんだね。僕は唖然としたけど万事窮す。そのままスゴスゴと帰るしかなかった。こうして、僕はようやく心が通い始めた生徒たちと永久に別れることになってしまった。何とも残念やら悔しいやら。だが、何より僕が残念で悔しかったのは、あの子供たちのこと。僕があいつらを面倒見たことが良かったとは言うまい。だが、回りの人間たちがすべて自分の利益や勝手を優先するばかりで、誰一人あの子供たちのことを考えていなかったことが腹立たしくてならなかったのだ。僕も偉そうなことは言えない…あの子たちを見捨ててしまったということでは、僕も他の連中たちと同罪なのだった。

 では、教育ってのは一体何なんだ?

 

ミンジ先生はフテくされてやる気ねえ13歳

 中国経済もいまや飛ぶ鳥落とす勢い。都市部の近代化はものすごい勢いで進んでるよ。経済特区なんて大変なんだから。ファッションショーがありクラブがあり、CDもビデオもあふれてる。マフィアだっている。もちろんお金と欲望集まるところ、アレだってナニだって手に入る。そこは万国共通。

 だけど中国は広いのだ。実はそんな進んだ地域ばかりじゃない。中には昔ながらの貧農生活を強いられている地域だってあるわけなんだよ。

 で、この映画はすげえド田舎の小学校に、非常勤講師の先生がやってくるところから始まる。ここで教えてるベテランの初老の教師カオ先生が、親の重病で1か月留守する間の代打要員だ。でも、この先生はとっても非常勤講師なんて立派なもんじゃない。なにせ、ウェイ・ミンジ先生はたったの13歳の女の子。中学校さえ行ってないと言うのだ。だいたい見てくれだって赤いホッペのガキ同然だよな。だからってあまり可愛くないとこがまたすごい。一重まぶたの腫れぼったい目でガン飛ばしながら、フテった表情でブスッと黙ってる。

 こりゃ勘弁してくれとカオ先生は村長らに泣きをいれるが、こいつでダメなら休暇はナシだと言い切られて仕方なくミンジを受け入れることにする。その間引きずり回されながら、自分のことをダメだダメだと言われるのをずっと聞かされたミンジはさすがにフテり気味。でも無理はない。カオ先生に何ができるか聞かれても何も出来ないんだもの。結局、金のためだけにこんな辺境の小学校の代打教師になったということがミエミエのミンジであった。

 だから二言目には金はどうしたとやかましいミンジ。だが、村に余計な金はない。前金では渡せないと村長とカオ先生に言われたミンジはまたフテるが、そこに追い打ちをかけるように「これ以上子供を減らすな」と厳しく言われる。

 何せ貧しい村だから、子供が出稼ぎさせられて学校をやめてしまう。これ以上子供がいなくなったら、学校の存亡に関わるんだね。でも、生徒が減ったら金を払わないとは何とも酷な話。

 で、早速カオ先生が出かけての一日目。いつまで経っても授業を始めず、子供たちを遊ばせたままのミンジ。はっきり言ってやる気なし。そこを村長に見つかって怒られ、子供たちの前で早くも面目丸つぶれ。中でも一番の悪ガキ、まるで中国版クレヨンしんちゃんみたいなツラしたチャン・ホエクーは、はなっからミンジ先生をバカにして言うことを聞かない。まぁ、何かというと黒板の文字丸写ししろとしか言えない、ガキども騒いでも止めようともしない…何にもできないミンジ先生相手では、言うことをきけというのがどだい無理なのだ。ある時は小便したいと教室を飛び出す、ある時は友達とケンカになり、怒るミンジとももみ合いになる。この時なんか、カオ先生がやっとこ貯めた金で買ったチョークがグチャグチャ…と、まぁモメ事っていうと何でもこのホエクーしんちゃんがからんでる。まぁ、ミンジとこのガキとの相性は最悪なんだね。

 そんなミンジ先生が焦り狂う事件も起きた。町の学校から脚の早い子を転入させたいと言ってきたんだよ。頑強に拒むミンジ先生だが、村長やらの力づくでゴボウ抜きされてはどうしようもない。

 …というわけで、いつもフテくされたツラで、ガキにも怒って当たるばかりのとんでもない非常勤講師のミンジだが、ある日、学級委員の女の子の日記の内容を知って愕然。カオ先生が一生懸命お金を貯めて買ったチョークのグチャグチャ事件を嘆き悲しみ、物を大切にしないミンジ先生を責めるその内容に、さすがのミンジも自らを恥じずにはいられなかったわけ。

 さらに、すべての元凶と思っていたチャン“しんちゃん”ホエクーが、ある日学校にいなくなるという大事件が! おなじみの家が貧しいゆえの街への出稼ぎ退学と知ったものの、だからと言って黙って見ている訳にもいかない。子供が減ったらお金ももらえなくなってしまう。どうしよう?

 あなたたち、仲間のホエクーを連れ戻したいでしょう? 街までのバス代はいくら? どうやって稼ぐ? それにはどれくらいかかる? ミンジは子供たちを使ってこの課題に取り組むわけ。そして、これが子供たちにとっての何よりの社会科勉強、算数勉強になっていくから不思議。人間やっぱり事が切実になると、マジで取り組むよねぇ。で、子供たちの力を借りて何とか打開策を見い出そうとするミンジも、立派な先生然としてくるわけなんだよ。

 最終的には、子供たちと一緒に勝手にレンガ運びのハタ迷惑なバイトをして、ボッたくったお金で出かけることにするが、停留所まで行って全然お金が足らないとわかる。結局この際、背に腹は代えられないと、ミンジは子供たちの力を借りてタダ乗りを敢行するという暴挙に出た!

 でもねぇ、途中で見つかってバスを降ろされてしまうんだね。でも、そんな途中の山道で降ろされても、どうしようもない。だからトボトボとでも歩いて前進するしかなくなるわけ。この時、最初は自分のもらうお金のためという大義名分があったはずのミンジなんだけど、実はいつの間にか当初の目的から逸脱し始めていることに彼女は気づいていないんだよね。

 運良く道を行くトラクターに乗せてもらって、街まではようやくたどり着く。何とかかんとか住所を見つけて訪ねてみると、予想外の事態がミンジを待っていた。

 何とホエクーは、着いたばかりの駅のトイレで行方不明になっていたのだ。

 

洋の東西を問わずテレビ関係者にゃロクな奴がいない

 ホエクーが働くはずだった工場の女工を無理やり金で連れ出し、駅の放送で呼びだしかけるが効果なし。しかたなく、なけなしのお金で紙と筆と墨汁買って、「尋ね人」の貼り紙を夜通しかけて何十枚も書くが、通りがかりの浮浪者にそんなもん効果ゼロとケナされ愕然。それならどうすればいいの?と問い詰めるミンジに、浮浪者は答えるんだな。「そりゃあテレビだあな」って。

 その頃、しんちゃんホエクーは文字通り街をさすらい、物乞いして生きのびるストリートチルドレンになり果ててしまっていた。そんな彼を食い物屋のオバチャンが見かねて、皿洗いに雇うんだね。

 さて、大都会を歩き回って何とかテレビ局にたどり着くミンジ。しかし、そこの受付のオバサンに取り次ぐように頼むが、身分証がないとダメとか日本のバカ役人みたいなしょうもない言い草でミンジを邪険に扱う。もう、見てるだけで血圧が上がりそうな、いかにもテレビ業界周辺にいるゲス女って感じで気分悪いのよ。

 だいたい洋の東西を問わずテレビ関係者ってのは、どうしてああも傲慢なのかね? てめえの勝手が何でも通ると思っているのか。前に仕事で関わったビデオクルーの傲慢さと言ったら…二言めには「俺たちは美川憲一と仕事した」とかイバリまくる始末。美川憲一だぁ?それがどうした、このボケが! それに、あの女子アナとかいう連中にも呆れ返るぜ。ロクにしゃべれもしないで、タレントかスポーツ選手追っかけて股開くしか能がねえのか。てめえのそのお口をたまにはもっとマシな事に使ったらどうなんだよ(笑)。ひでえ名誉毀損(爆笑)。でも、連中はマスコミや世間がテレビ業界のことを悪く言うって怒るけど、そう言われても仕方ないとは思わないのか。少しは恥じたらどうなんだこのアホンダラ!

 ふ〜っ、ふ〜っ。血圧が上がりすぎちゃったよ。

 さすがに受付のババアつかまえて女子アナまで槍玉に上げるのは無茶だったか(笑)。しかし、ここで引き下がれないミンジは、テレビ局の玄関前で局長捕まえて直訴しようと炎天下待って待って待ち続けることになった。

 でもねぇ、来ないんだよ局長。受付ババアは冷酷に無視。そのうち陽が暮れて夜になって、玄関も閉じられてしまう。疲れ果てたミンジは路上で眠りこける。ところが寝ているうちに、有り金全部はたいて書いた貼り紙を、残らずゴミに間違われて捨てられてしまうんだね。さんざん。もう着の身着のまま、飯食ってないし風呂も入ってない。

 翌日もまたテレビ局前で局長詣でのミンジ。さすがにみんな騒ぎ出す。ババアが局長に呼ばれて問い詰められ、ボコボコに怒られるくだりはスカッとするけど、こんなことはまず起こらないよ現実には。大抵ババアがフンぞり返って終わりだよな。

 やっと願いかなったミンジはご飯をご馳走になり、局長の肝入りで情報番組に出演と相成った。題して「僻地における教育問題について」。ゲストはド田舎村の非常勤講師ウェイ・ミンジ先生です。

 だけどねぇ、せっかく番組の本番になっても、ミンジは何にも言えないんだよ。もちろん素人だから、カメラの前で緊張しちゃったってことはある。でも、とにかく頭がパンクしそうで、とっても質問になんか答えられないんだよな。でも、せっかくここまでたどり着いたのに…しっかりしろ、何か言えよミンジ! アホバカ尻軽女子アナなんかに負けるな(笑)!…見ている我々としては、何にも言えない彼女にスリルとサスペンスがどんどん極限まで高まってしまう。そして最後、キャスターが彼女に「何か言いたいことはないの?」と質問した時、それは最高潮に達するんだよね。あの腫れぼったい瞳にみるみる涙が溜まっていく。フテくされ真一文字につむっていた口がゆっくりと開く。事ここに至って、ミンジにはお金も何ももう関係ないんだということが分かるんだよ。それは、冒頭でカオ先生や村長に引きずり回されケナながらも弱気にならなかった、子供たちにバカにされながらも平気を装っていた、大都会で途方に暮れながらも泣かなかった…今までひたすら感情を押し殺してきた彼女が、初めて自分の真の感情に気づいて思いきり爆発させる瞬間なんだよね。

 「ホエクー、どこなの? 心配でたまらないわ…」

 それは「パーフェクトストーム」なんざ裸足で逃げ出す、激しく熱い感情の嵐なのだ。

 

原点回帰を希求する「巨匠」チャン・イーモウ

 「紅いコーリャン」で国際舞台に飛び出し、今や中国の巨匠監督となったチャン・イーモウのこの新作は、ちょっと今までと趣を異にする作品だよね。

 もっともチャン・イーモウと言えば、やっぱり女優コン・リーとのゴールデンコンビが真っ先に頭に浮かぶもんね。それもどうやら公私を問わず親密だったらしいけど。そういや近年の彼らのコンビ作って、何だか二人でチチ繰りあってるみたいな映画で、あんまり面白くなかったよね。チチ繰りあうのは、やっぱり見るよりやるほうが楽しいでしょう(笑)。

 それだけでなく、彼と同世代の中国の映画作家チェン・カイコーが「花の影」とか大作主義に移行していったあげく、「始皇帝暗殺」みたいな空疎な超大作をブッ放すに至るし、下からはもっとイキのいい若手がバンバン出てくるし、この世代の人たちはいま曲がり角に立っているんだと思うんだよね。

 だから、チャン・イーモウがコン・リーとの惰性のコンビを解消して新生面を開拓しようというのは、僕は賛成なんだ。コン・リーはとろみ好麺のCMでも出てればいいんだよ(笑)。

 映画のスタイルとしては、直情指向型のヒロインが目的のために物おじせずド田舎から都会に乗り込んで行くというパターンからして、チャン・イーモウが1992年に発表した「秋菊の物語」を連想させるもの。でも、今回はあえて出演者は全部俳優ではなく素人で固めていて、そこが新味と言える。そのへん、国際的巨匠となったチャン・イーモウが、あえてそうした虚飾には背を向けようと決意しての作品なんではないかと思わされるね。

 そうは言っても今回の作品はコロンビア映画という巨大なハリウッド資本がバックに控えている(彼の次作「ロードホーム」もこのコロンビア映画の資本)あたり、さすがは世界的巨匠のチャン・イーモウという構えの作品になっちゃってはいるんだけど。それでもあえてこういうお話、こういうスタイルを選びとったということは、巨匠作品然とした大作中の大作「始皇帝暗殺」を見事に大コケさせたチェン・カイコーを反面教師とした部分も、どこかにあったのかもしれない。第一、田舎の先生の話とくればチェン・カイコーのまだ素朴だった頃の旧作「子供たちの王様」をも連想させる…と言ったら、いささかこじつけに過ぎるか。でも、チャン・イーモウの原点回帰を希求する思いは、この作品の至るところから熱く伝わるんだよね。

 それにしても、この映画のエンディングでは、中国では毎年百万人の子供が出稼ぎで学校をやめざるを得なくなっている…とクレジットが出てくる。それをあちらの国は大変だよなぁと人ごととしてボンヤリ見るもよし。だが、本当にそれで終わってしまうものだろうか。俺たちゃ日本人で良かったなぁって?

 僕が塾の先生をやってた約20年前から、たぶんわが国の子供たちの学力や学習環境など向上してはいまい。しかも英語だけじゃない。数学だって国語だって五十歩百歩だろう。ならば、本当に彼の国の教育事情の貧困を笑えるのか。こちらの国の、親と教育者の貧困ぶりはどうだ。そりゃあ俺と同じ世代の奴が大人になってるんだ、この国がロクな状況になるわけないよな(笑)。

 ほんの束の間でも触れることのできたあの子供たちの表情(もう彼らも30過ぎになっちゃってるだろうけど)を思い出すたびに、僕の気持ちは暗然とせざるを得ないのである。

 

 

 

 

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