「リプリー」

  The Talented Mr. Ripley

 (2000/08/14)


いつになっても、どこに行っても変わらぬ、あのルール 

 幼稚園時代、僕には毎日一緒に遊ぶような仲の良い友達がいたんだよ。その子のことをここでは仮にO君と呼んでおこうか。彼とは本当にウマが合ったんだろうね。いつも一緒って感じだったんだ。彼の家にもよく遊びに行ったよ。家には中庭があってまん丸な池があって、そこに泳ぐ金魚たちをよく眺めていたっけ。

 幼稚園を卒園してから小学校入学までの休み期間も、僕らはずっと一緒に遊んでいた。だから、学校はバラバラでも、きっと付き合いは続くんだろうなと思ってた。だって、こんなに仲が良いんだもんね。

 ところが小学校の入学式が済んで、授業が始まって…何日間か経っても彼から誘いが来なかった。でも、それは無理ないね。今までは同じ幼稚園だったから、その延長でずっと遊べた。今は学校が違うから誘うきっかけがないんだね。やっと小学校1年生になったばかりじゃ、電話で誘うなんてこともなかったんだ。

 で、小学校に入ってから最初の日曜日、僕は彼の家に遊びに行くことにした。かつて知ったるO君の家だから、アポはいらない。今までだってそうしてた。玄関の呼び鈴を鳴らす。すぐにO君が出てきた。だけど、それまでとは何かが違っていた。

 「あ…来たの」

 僕がもっと察しのいい子だったら、この瞬間ですべてを悟っただろうに。僕はおめでたい、何も疑いを知らない子供だった。O君はいつものように扉を全開にせず、ちょっと開いて顔だけ突き出していた。

 「で、何の用なの?」

 何の用だって? いつも一緒に遊んでたじゃないか。僕は悪い冗談みたいにしか思えず、ただまごついて笑っていた。O君は仕方ないなといった雰囲気で、扉を開けて僕を中に入れた。

 いつもおなじみの中庭に、今日は別の客がいた。O君が彼を僕に気乗り薄な様子で紹介する。彼はO君の小学校で出来たばかりの友達だったのだ。彼は僕におざなりの挨拶はしたけど、僕の目を見ようとはしなかった。

 それから、O君と友達はまるでそこに僕がいないかのように振る舞い、二人だけで冗談を言い合いながら遊んでいた。僕はまん丸い池の対岸で、そんな二人の様子をじっと見ていた。いや…正確には彼らはそこに僕がいないように振る舞っている訳ではなかった。それが証拠に、時々僕にわからないようにコソコソ話をしては、クスクス笑っていた。

 30分程その場にいただろうか。僕はいたたまれなくなって、帰るとO君に告げた。「さよなら」という別れの言葉をいう時、O君は僕のほうを振り向きもしなかった。そして彼の友達のクスクスという笑い声。

 この上ないみじめな気持ち。僕はゆっくりゆっくり自宅までの長い道のりを、トボトボと歩いていった。僕が何を悪いことしたんだろう? 何でこんなみじめな目に合わねばならないんだろう? だけど、明らかにO君の目は、「おまえが全部悪いんだよ」と僕に告げていた。ノコノコ出かけていった僕が悪いのか? 世間一般じゃそういうものだとみんな知っていて、僕だけそういう人間のルールを知らなかったのか。

 そんな遠い日の苦い思い出を、僕はバーボンを飲みながらゆっくりと思い出していた。グラスの中の氷がゆっくり溶け出していくのが見える。それと同じように、今こうしている間も、僕の心はゆっくり血を流している。

 ここは日本から遥か離れたある国。1990年代初頭。小さな旅先のホテルのバーで、夜はゆっくり更けていった。僕の連れの女はホテルで働く白人の男と話がはずんでいた。ヨーロッパから流れてきたというこの男、彼女は旅行社での仕事で知り合った仕事上の付き合いと不自然なくらい強調していたが、もう僕にはそんな事もどうでもいいことだった。ペラペラペラペラペラペラペラペラ…やたらわざとらしい抑揚の英語の発音と、いやらしいほど派手なジェスチャーの会話が永遠に続くのではないかと思われるくらい長く続く間、僕はバーボンでゆっくりと神経をマヒさせていった。もちろん、この男がやたら彼女に親しげに触れることも海外では「当然」のことであり、それをとやかく思うのは心の狭い鎖国時代レベルの日本人だけ、ということなんだろう。時々この男が僕のほうを嘲りの目で見つめることも、きっと気のせいに違いない。…彼らが、こうする事は僕にとって失礼でも何でもなくて、さも当然という顔でやっているということは、向こうが正しいに決まってる。責めたら逆に僕が叱られてしまうな、今までずっとそうだったように。どうも僕は幼稚園の頃から、少しも人間世界のルールってやつがわかってないようだ。

 アルコールって素晴しい。どんな痛みからも心を鈍感にさせてくれる。

 南半球から見る月も日本から見るそれと同じ。人間も同じ。そしてルールも同じ。僕が相手を大切に考えているほど、相手は僕を大切に思ってはいない。四半世紀の時が流れても、赤道を越えても、このルールだけはいつも変わらないのだった。その時、僕の胸をよぎったものは、それだけはやってはいけないと分かっていながら、どうしてもかき消すことのできない悪魔のささやき…。

 こんな奴ら、いっそ消えてなくなってしまったらいいのに。

 

リプリーは特異な「才能」を持つ男

 貧しい勤労青年のマット・デイモンは、ひょんなことから造船業界の大物一家と知り合う機会を得た。その時、たまたまその大物氏は彼を名門大学出と勘違いしてしまったのだが、デイモンはそれを訂正もしなかった。いいじゃないか、何も困ることはない。相手が勝手に誤解しているんだ。貧しく非力な彼は、少しでも状況をマシにするためだったら、時には偽りも必要と骨の髄まで思い知っているのだった。

 なぜ大物氏がこの大学にこだわったかと言うと、彼のドラ息子がやはり同じ大学だから。この息子、イタリアに行ったまま帰ってこず遊びほうけたまま。ジャズなんて退廃的な音楽に凝っているのも気に食わない。どうだ、経費はこっち持ち、お礼もするからあのドラ息子をアメリカに連れ帰ってくれんか。

 その言葉が終わるのを待たずして、一等船室の客となっていたデイモン。もちろん事前のジャズの勉強も怠りない。おいおい、そんなこと安受け合いしちゃって大丈夫なのかって? いやいや、デイモンには勝算があった。なぜなら彼には他の人間にはない特異な才能があったから。

 彼は徹底的に他者になりきるモノマネの才能があったのだ。

 さてイタリア入りしたデイモンは、港でいいとこのお嬢様ケイト・ブランシェットと偶然知り合うこととなる。そうすると、知らず知らずのうちにウソをついているのがデイモンの悪い癖。僕は造船会社大物の息子なんだと、これからめざす相手の名をかたって親しげに近づく。なぜいつも自分を偽るのかって? だって、本当の僕では何ら光るところがないから。本当の僕では誰も注目してくれっこないから。

 この気持ちはわかる。僕も人の注目を集めたいと思うとき、常に自分を偽ってきた。面白くてタフな人間のふりをしてきた。本来の自分は退屈でしかないから。それに僕自身が自分を嫌っていたのだ。地味な生活より派手で活動的な暮らし、インドアよりアウトドア、落ち着きよりも喧騒、こぢんまりとした交際範囲より社交的な世界…つまらない自分を否定してかき消すがごとく、自分の逆へ逆へと自らを駆り立てていく。

 その過程で、僕は自分のキャラクターを偽るだけでなく、実際ありとあらゆるウソをついたのだった。僕は大ウソつきで…それも病的なウソつきだった。人と会って話をすると、条件反射的にウソをついた。そのつじつま合わせがまた天才的だった。別に誰かに実害が及ぶようなウソじゃない。どれもこれも他愛のないもの。自分は面白い男だという演出効果を出すための、少々あざとい味付けでしかなかった。でも、やっぱりウソはウソでしかなかった。

 結局、僕はそうしてやっと入り込んだ理想の世界に、最後には居られなくなっていく。ついたウソがウソを呼んで、つじつまが合わなくなることもある。あるいは、やっぱりその世界の空気に合わないということも。そして苦心惨憺して手に入れた賑やかな世界も、楽しい男という評判も、結局手放さざるを得なくなるのだ。そして思い知らされる。やっぱり自分と他の人間との間には決定的な差があるのだ…生まれながらにして与えられた、人間的魅力、キャパシティという差が。

 

可愛さあまって憎さが…

 しかしデイモンのウソつきは、そんなヤワっちいもんじゃない。造船会社の御曹司になり切って如才なく立ち回り、ブランシェットとすっかり親しくなったデイモンは、彼女とまたの再会を誓って別れるのだった。

 さて、ナポリのギンギラ太陽の下に降り立ったデイモンは、すぐにめざす相手を見つけた。恋人グウィネス・パルトロウをはべらし、甲羅干しに余念がないキラキラお坊ちゃまジュード・ロウがそれだ。そこに海パン一丁で青白い肌をさらし、回りの華やいだ海岸の賑わいからググッと浮き上がったヤボったさで現われるデイモンが情けねえ。

 あれっ?君は同じ学校の…なんて偶然を装い、同窓と偽って近づくデイモンに、ジュード・ロウは何だこいつは?…程度の反応しか見せないが、恋人パルトロウは優しく迎える。まぁいいか。どうせ退屈してたんだ。こいつをからかってやれ。こうしてデイモンは、ロウとパルトロウの新しい友達として迎えられることになった。

 そこでデイモンは、すぐに自分の正体を明かす。自分はロウの父親から派遣された者だと。…華やかなロウを見ているうちに、デイモンの中に何かの変化が起きたのだろうか?

 デイモンは自分の持っているジャズのレコードをさりげなくロウに見せて、ジャズファンのロウの関心を引く。案の定、ロウはそんなデイモンを面白がって、あっちこっちと引っぱり回すようになった。お金はロウの父親の金で遊び放題。海辺で、ヨットで、ジャズクラブで…ロウの周囲にはいつも喧騒が広がる。今まで知らなかった華やかな世界の仲間入りをして、その魅力のとりことなっていくデイモン。そして、何より溢れんばかりのロウの魅力にこそ、デイモンはより深く引かれていくのだった。それは仲間や友達の域にとどまるものではない。もはや愛の域にまで達するような感情だった。そして、それはもうちょっとで直接行動に出そうな…いや、もう出かかっているところまで来ていた。

 そんなある日、楽しい日々に陰りが見え始めた。やはりイタリアで根なし草生活をしているアメリカ人でジュード・ロウの旧友、フィリップ・シーモア・ホフマンの登場。何と言ってもデイモンは、ジュード・ロウたちの住む世界とは本来無縁な人間だ。それに対して鼻もちならないシーモア・ホフマンこそが、元々ジュード・ロウたちが住む洒落者の世界の住人。そこではデイモンの存在は霞まざるを得ない。それどころか、そのヤボったさを散々シーモア・ホフマンに嘲笑され、仲間うちでのお寒い存在へと転落せざるを得なくなる。この苦しさツラさ。一度でもこうした居場所のない思いをさせられ、卑しめられ嘲りを受け、気詰まりを感じたことがあるなら、彼の気持ちは人ごとではないのだ。

 そんなある日、あるイタリア娘の自殺事件が起きる。デイモンはその娘が、実はジュード・ロウの秘密の愛人だったと知っていた。うろたえるロウに、自分は絶対秘密を守るからと確約。これで、自分とロウとは同じ秘密を共有する固い絆の関係になれたと勝手に確信するんだね。元の良い関係に戻れるぞ…と。

 でもねぇ、そんな事されればされるほど、人間お寒く感じるんだよ。縛られるのが何より一番嫌いなもんだからねぇ。で、サンレモにロウとデイモンの二人だけで出かけて、ボートで洋上に漕ぎ出したところで、デイモンが調子に乗ってこれからの二人のプランについて話し始め、関係をさらに深めたいとほのめかすと、ロウはついに冗談じゃないぜとタンカを切り出す。

 いつもベタベタ付きまといやがって、気色悪いったらありゃしない。退屈なんだよてめえは!

 愛していたのに…だから、いつも一緒にいたかったのに。この時、デイモンの中で何かがプッチ〜ンとキレちゃった。気がついたらオールでボッコンボッコンにブッ叩いて、ロウのことをなぶり殺していたデイモンだった。そう、可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったもの。

 ボートも死体も海に沈めたデイモンが、次にしたこと。それは、実は彼の深層心理の中で望んでいたこと…ジュード・ロウのようになる…いや、完全に彼自身になり切ることだった。さまざまな偽装工作を張り巡らせ、あたかもロウがまだ生きているかのように見せかけ、パルトロウにはロウが彼女を捨てたかのように言いくるめ、自分はローマに引きこもってイタリアでの享楽的な生活を続行させた。

 

華やかなローマで「全員集合!」

 そんな時、偶然にお嬢様ケイト・ブランシェットと再会するデイモン。そう言えば、彼女の前ではデイモンはジュード・ロウの名をかたっていたんだよね。気をよくして彼女と一緒にオペラを見に行くと、幕間によりによってグウィネス・パルトロウに出くわすじゃないか。たまたまその時はブランシェットと離れていたから、デイモンがロウの名でウロウロしていることはバレなかったものの、パルトロウが連れていた友人のジャック・ダベンポートはブランシェットの知人だから、実は間一髪、薄氷を踏むような状況だったのだ。

 胆を冷やしたデイモンは、すぐにブランシェットを連れてオペラから逃げ出し、彼女にも別れを告げた上で、すべてを丸く収める作戦を張り巡らす。このあたりの段取りの見事さは、またまたドリフの「全員集合!」のコントみたい(笑)。僕は「理想の結婚」の時もドリフみたいって言ってたっけな。そう言えば「理想の結婚」にもケイト・ブランシェット出ていたから、彼女はさながら「ドリフ女優」とでも申しましょうか(笑)。

 何とかかんとかすべて丸めこんで一段落させて、ホッと一息のデイモン。今や郊外に洒落た部屋を借りて悠々自適の生活。しかしいいことは続かない。あのネチネチ野郎のシーモア・ホフマンが嗅ぎ付けて、ああだこうだとイヤミ垂れながらデイモンをいたぶる。しかも、どうやらデイモンがロウのふりをしている事まで悟られる。もうこれまでだ、デイモン。この気色悪いゲス野郎を殺っちまえ!

 デイモンが石膏像で殴りつけてシーモア・ホフマンを殺すシーンは、こう言っては何だが胸しめつけられ気がめいるこの作品の中で、唯一溜飲が下がるさわやかシーン(笑)。ちょっと前の僕だったら、小学校の友達の誕生会で僕をいたたまれない気にさせたあのガキを、ある駅前バス停留所で僕を殴り倒してトボけたあの野郎を、職場でジワジワいたぶって何もかも僕のせいにした先輩を、ある官庁の窓口で途方に暮れている僕を奈落の底に落とした職員のババアを、仕事を膠着状態にして僕に赤っ恥をかかせたヒステリー女を、知ったかぶりで偉そうに人を見下した態度をとるアホバカ女を…実はひそかにギッタンギッタンにしているつもりになってさぞ胸もス〜ッとしたことだろう。今はもうどうでもいいけど。僕がイヤな奴だって? イエス!僕はイヤな奴さ。でも、みんなもどっかの誰かを当てはめてこのシーンを見ているんじゃないか?

 叩きのめしてやりたいと思った奴はいないかい? 傷つけてやりたいと思った奴は?

 

本当に自分の人生を生きるために

 「イングリッシュ・ペイシェント」のオスカー受賞監督アンソニー・ミンゲラの新作がこれなんだよね。「イングリッシュ〜」は別に悪い映画だとは思わないが、だからと言って、今考えるとどんな映画だったっけって思っちゃうくらい印象薄いよね、正直言って。そういう意味で言うとこっちのほうが全然インパクトでかい気がするんだよ。

 また、これはパトリシア・ハイスミスの原作の映画化で、かたちの上ではあの「太陽がいっぱい」のリメイクってことになる訳だけど、これは全く別の映画と言っていいね。だからアラン・ドロンの役がマット・デイモン?…てな単純比較では語れないわけ。そう言えばこの企画、当初はロブ・ロウ主演ということで、10年前くらいからスタートしてたんじゃなかったっけ?

 それにしても、当代きっての若手俳優がずらりと揃って豪華そのもの。マット・デイモンは、その何ともアカぬけないダサい感じがこの役に合ってるんだよね。そして、いい奴に思えるからこそ殺人を重ねる姿を見ると哀しくなる。グウィネス・パルトロウは、せっかく犯罪を成就させようとデイモンが一生懸命やっているのに、チクり入れたり耳障りにわめいたりうるせえヤな女ってとこがピッタリ(笑)。そして、ジュード・ロウ! この男、何でそんなに評判いいのか今までピンと来なかったけれど、確かに輝いていて多少傲慢でも許されちゃうようなとこが凄い。真のスターの輝きを感じたよ。ケイト・ブランシェットの最後までダマされるおめでたいヤボっちさもお見事。この4人をキャスティングできたというのが、何と言ってもこの映画の成功の原因だったろうね。いや、いやらしいまでの好演で注目のフィリップ・シーモア・ホフマンも入れれば5人かな?

 とにかく金銭的な豊かさを手に入れ、今まで持ち合わせていなかった洗練も身につけたデイモン。だけど、せっかく真に愛してくれる人としてパルトロウの知人だったジャック・ダベンポートと付き合いはじめるものの、その暗い心の底を彼に見せることはできない。そして、本当に彼が心を開いて愛せる相手だと悟ったその時、皮肉にも彼すら手にかけなければならないハメになる。終わりのない悪夢、孤独地獄が待ち構えているのだ。

 

 今、僕は何ら自分を偽らずに済む時間を、生まれて初めて持つことができた気がしている。その時、僕は今まで誰にも見せていなかった真の自分自身に帰る。でも、自分本来の姿でいられるチャンスは、当り前のように存在している訳ではない。それに誰もが当然のように持てるものでもないだろう。そして、それはとても危ういバランスの上にある。だから改めてかけがえのないものと思わずにはいられないのだ。

 自分があるがままでいいと思えた時、人は初めて本当に自分の人生を生きていると言えるのだから。

 

 

 

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