「クロスファイア」

  Cross FIre

 (2000/07/10)


あの「ガメラ」の金子修介監督の新作

 先日、浅草に住む江戸っ子映画ファンのHideさんと、昼間食事をしながらお話をする機会があったんですよ。まぁ、ある人のメッセンジャーボーイをやったわけですが、そのついでに映画のおしゃべりもしちゃおう…と。Hideさんは情報通なんでいろいろ面白い話が続出し、時間が経つのを忘れちゃったんだけど、中でもちょっと気になったのが、彼が日本映画「クロスファイア」を見るように僕に薦めたこと。ご存じの通り、あんまり僕は邦画見ないんで…まぁいいことじゃないんだけどね。なぜ見ないのかということについては、当サイト今年1月の特集「邦画に夢中」での僕の原稿をご参照ください。

 実は「クロスファイア」って映画について、僕はほとんど知らなかったんだよ。ただ予告見たら、ヒロインが火を扱う超能力持っているお話で…ときちゃうんで、「炎の少女チャーリー」とその原作であるスティーブン・キングの「ファイアスターター」を想起さざるを得ない。というかハッキリ言ってこりゃパクりだなと感じちゃったので、それでなくても見る気がないのが、ますます関心度ゼロになってしまった(実際のところ宮部みゆきの原作は、「ファイアスターター」へのオマージュとして書かれたものらしいが)。それをHideさんがホメるわけ?

 そんな訳でHideさんの熱心な「クロスファイア」賛辞にも気のない生返事をかえしていた僕だが、彼の言葉に中に出てきた名前に思わずドッキリ。

 監督が金子修介?

 何だって? 平成「ガメラ」三部作の監督の最新作なの? …そりゃジョン・ウーの最新作より見る必要あるよ!

 やはり特集「邦画に夢中」の中で僕が書いたように、長らく苦手意識(…と言うより嫌悪感と言ったほうがいいな)を持っていた僕の日本映画観を若干なりとも改善したのが、この平成「ガメラ」。最初見た印象は、とにかく大人の鑑賞に耐える、見てて恥ずかしくない作品…というものだった。

 こんな事を言うとまたまた日本映画ファンに物議をかもしちゃうんだろうけど、実際、僕にとっての日本映画って、この「恥ずかしいか」「恥ずかしくないか」の攻防ラインでのせめぎ合いに終始してるんだよ。大概が面白さとか内容までいってない。正直なところ今まで日本映画の大半はこのレベルで右往左往していたはずだ。

 それなのに邦画シンパの映画ファンや批評家は、やたら大げさに論じたりホメたりしている。これが昔からチャンチャラおかしくてねぇ。まるで何かの「ごっこ」みたい。本当の事からは目をそむけ、見ない語らないことを前提としての感想や批評の連発。予算が少ないんだから、撮影が大変なんだから…とか、あんた何言ってんの? コーエン兄弟の作品をそんな事言ってかばいますか? キアロスタミは? フランケンハイマーは?

 かと思うと、作品の面白さとは別の次元での批判やコキ下ろしの集中攻撃とか。何だか日本映画って「映画」ではなくって何かのイデオロギーみたいだよね。政治か宗教の道具みたい。つまり、日本映画は他の国々の映画が「娯楽や文化や芸術」なのに対して、「政治や宗教」みたいなものなんだよね。変に宗派やセクトとかあったりして。ヤだね〜。だから、みんなそこで退いちゃうんだよ。関わりたくなくって。一部の連中でオナニーしてればいいじゃん(笑)。

 実際、僕あたりでも日本映画について語ると(そんな事ほとんどないのに)、必ずって言っていいほど文句飛んでくる。ロクな目に合わない。何でそうなるんだろうね? 他の国の映画じゃこんなことないよ。

 ところが最近、どうもそういう邦画のセコい枠から飛び出しつつある作品が、次々生まれつつあるように思えるんだよね。良くも悪くも。昔からのファンからは気にいられていないものも多いみたいだけど、そういう奴らは放っといて…と(笑)。

 われらが平成「ガメラ」もそんな作品群の代表例と言っていい。最初は「恥ずかしくない作品」として僕の注目を引いたが、なかなか面白いとわかってからは完全に目が開いた。ジャーナリスティックな視点も持った鮮度の高い作品、かなり歯応えのあるエンタテインメント作品として…。その三部作をバランスよくセンスよくスケール感を持たせてつくりあげた、あの金子監督の最新作かぁ…。

 その数日後、あわてて僕が劇場に走っていったのは言うまでもない。

 

ひとり寂しく生きてきた女の子の秘密

 お話はビデオ映像を模した回想シーンでスタートする。幼い頃、その特殊能力で「襲いかかってきた怖いお兄ちゃんを燃やしてしまった」女の子。母親は彼女に自分の力を使うことを禁じた。女の子は、理由はどうあれ自分が一人の人間を殺してしまったこと、そして自分のこの力は邪悪なものであるということを胸に刻み付けて育ったわけ。

 そして現代。

 例の女の子は大人になったけど、みんなの仲間に入れないネクラOLとなっていた。演じる矢田亜希子はあくまで健康的な見栄えの人なので、あまりそのネクラと言われる由縁が伝わらないが。まぁ、「シーズ・オール・ザット」のレイチェル・リー・クックがメガネを取って美人になるのと同じ、お約束の展開なわけだね。そうそう、リー・クック嬢はスクール水着がボイ〜ンだし(笑)。とにかく会社の若手中心のイベントなどにも呼ばれず「クラい」と言われている彼女。でもそんな彼女にちゃんと目をつけてる、わかってる男もいるんだよね。それが同じ会社のサラリーマン伊藤英明なわけ。で、実は彼女も彼のことを憎からず思っているではないですか。雨の日に落として濡れた郵便物からも、思わず湯気がたつほど熱い思いが…(笑)。

 誰も見向きもしない彼女を、会社の寮のお祭りに呼んだ伊藤くん。そこで彼女は手伝いに来ていた伊藤くんの妹と知り合って意気投合する。この妹ってのが、いかにも男が頭の中でこしらえたような、よく出来すぎの女の子でハッキリ言って現実味はゼロ。こういう人物像のつくり込みは、やっぱり日本映画ってうまくないのかなぁ。その後の展開を盛り上げるために、彼女をかわいくかわいく造形しなければならなかったことはわかるんだけど。「あたし、お姉さん欲しかったんだ。お姉さんって呼んでいい?」という台詞にはちょっと寒くなった。君、女と付き合いだしてすぐ、その女の妹か弟に「お兄さんって呼んでいい?」なんて言われたらどう思う? 退くよな(笑)。

 まぁともかく、夜も更けてきたのでヒロイン矢田亜希子ちゃんは、このやたらなついてくる伊藤の妹を最寄りの駅まで送っていくんだよね。で、駅からタクシーに乗りなさい…と。というのは、最近夜道で若い女が襲われる事件が多発していて、何人も殺されているから。妹はハイハイと言うことをきくふうに見えて、矢田ちゃんが帰った後でタクシーがあんまり来ないんで待ち切れずに夜道を歩き出してしまうわけ。

 案の定、不良グループみたいのに襲われ、殺されてしまうんだよ。

 お通夜の晩、放心状態の伊藤くん。それを見て、妹さんの遺影を見つめる矢田ちゃんも無念の気持ちがつのる。あの時、私が最後までついていけばよかったのに。その怒りと悲しみのせいで、お通夜の席は間違いなく4〜5度は気温が上昇したはず。

 やがて、この連続女性暴行殺人の主犯格の男=徳山秀典が逮捕されるが、これがまだ未成年のガキで、しかも何だか有名人のセガレという最悪のパターン。捕まっても罪を問われず、即出てきてはデカいツラ。昨今のやりたい放題のガキどもを思い出させて、かなり見る者の血圧上げる。…なんて書くと、また未成年者への量刑を重くするのはナンセンスなんて言われて抗議殺到しそう。でもねぇ、ああいった凶悪犯罪やったガキどものツラ見ていて、ちょっと何年か少年院で過ごせば反省して心入れ替えると、あなた本気で思える? 断言していいけど、絶対あいつらマトモな人間になりっこないよ。うへ〜言っちゃった。

 まぁ、それはさておき、野放しになった徳山のクソガキを見て我慢ならなくなった伊藤くんは、マスコミに取り巻かれてゴキゲンのこいつを包丁持ってつけ狙う。いよいよブッ殺すとなった時、止められるんですな例の矢田ちゃんに。

「あなたが罪人になって、妹さんが喜びますか?」

 そして、彼の目の前で、「あれ」をやって見せるのである。子供の頃から封印していた呪われた力、ファイアスターターを。

 

女は誰もがスーパーパワーを持っている

 おとなしそうに見えても、おっとりとしているように見えても、女は時として、男がビックリしちゃうようなスーパーパワーを発揮する時があるんだよね。どこにこんな熱さが隠れていたんだと驚かされるような情熱とか。まして、それが「愛」の御旗の下でのことならば、なおさら。

 だから、彼女が伊藤への愛と、自分に優しさを与えてくれたその妹に報いるためとなれば、前後見境なくなる訳ですよ。あれほど人には向けるなと固く止められてきた力の封印を解く。早速、徳山のクソガキを誘き出して焼き殺そうとするんだよね。

 ところが伊藤くんはいかにも凡人。焼き殺そうとする途中でビビッて中止してしまう。これが後あとたたるんだよ。この時にひと思いにブチ殺しておけばよかったのに。何でも生殺しはいけません。

 あげくの果てにバカ正直に、「焼き殺そうとしている君は怖かった」なんて矢田ちゃんに言っちゃうわけ。それはないよな。おまえのためにやったんだろ? 気付いたときには彼女は彼の前から消えていた。

 一方で、連続女性暴行殺人からずっと事件を追っている女刑事がいて、これを桃井かおりが、日本映画では珍しいリアルな職業人のおばさんとして演じているのが面白い。だからこの映画、ある意味で荒唐無稽なお話を扱っていても、どこか地に足が着いたような印象があるんだね。この桃井かおり、登場場面ではトボけた台詞がいちいちおかしいけど、終盤の大立ち回りでは堂々としてかなりカッコいい。大変な拾いものです。

 話はこの後、超能力者たちの軍団が出てきたり、警察上層部の陰の大物(永島敏行)が出てきたりして、どんどん大ぶろしきを広げていく。先の少年法の問題じゃないけど、じゃあ法が裁けないなら誰が裁いてもいいのか?…などという問題提起もしつつ(もっとも、それほど深刻なもんじゃないけどね)、どんどんスケールでっかくなっていく。

 しかし、一方で超能力を人に見せたがために、また一人ぼっちになったヒロインが、死んだ母親に「やっぱりおかあちゃんの言った通りだったね」とつぶやきながら、引っ越し先のソウキンがけをやっている場面など、ちょっと地味めでしっとりした描写も交えて描いているところがミソだ。

 そう、この映画はそうしたヒロインの心情風景が何とも切なく、いいのである。ずっと自分の気持ちを心の奥深くしまいこんで隠してきた彼女が、超能力とともに外へ発散する激しい感情。雪の中で彼女と伊藤が再会し抱き合うシーンでは、二人の回りに熱線のシールドみたいのが張られ、降ってくる雪がそれに触れてはジュッと溶ける。まぁ言ってしまえばマンガみたいな描写なんだが、彼女の思いのたけが伝わって、ちょっと素敵なシーンになっているんだね。

 やがて、警察上層部の永島がすべての黒幕だったことがわかるが、すべての悪事を陰から糸引いてるのが警察幹部だなんてことは、今の日本なら誰でもみんな知っていることだから意外でも何でもない(笑)。警察がワルなんて子供でも知ってるよ。罪をすべて矢田ちゃんにかぶせて抹殺しようというのが永島の魂胆で、クライマックスの遊園地での大スペクタクル・シーンでもかなりあざといマネをして彼女を殺そうとする。そのやり口たるや少々やりすぎで、テレビの「水戸黄門」の悪役並みに露骨なために、従来ならばかなり幼稚で単純に思えるところ。しかし皮肉にも現実はそれ通りどころかそれ以上いっちゃってるため、この映画の永島があまりオーバーに見えないんだな…こりゃ喜んでいいのか悲しんでいいのか(笑)。ただ、ちょっと展開が冗長になったきらいはあるね。

 終盤では、こうなるしかない…というエンディングを迎えるものの、見ているこっちはちょっとやりきれない。しかし、映画はこれでは終わらない。風呂敷包みをていねいにひとつづつ縛っていくように、遊園地での火炎渦巻く巨大なヤマ場からキチンキチンと事件にケリをつけていき、最後の最後に金子監督はみんながうれしくなる本当のエンディングを用意してくれたんだね。

 それはささやかだけど、この映画の中で一番力強い炎が映るショットだ。それは、愛という名のスーパーパワーだ。

 そして女は、誰もがこのスーパーパワーを持っているのである。

 

 

 

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