「グラディエーター」

  Gladiator

 (2000/07/03)


関東のうどんは食えたもんじゃない 

 リドリー・スコットはね、うどん好きなんだよね。

 「ブレードランナー」の開巻間もなく、酸性雨降り注ぐ近未来のロサンゼルスで、ハリソン・フォードが屋台のうどんを食べるシーンを覚えているだろうか? また「ブラックレイン」の地球上とは思えない大阪の警察署では高倉健が、屋外ではマイケル・ダグラスが、それぞれうまそうにズルズル食っていたのを? それもソバではない、麺の太いうどんがお気に入りなのだ。あいつジャパニーズのヌードルっていうと、まずうどんだって思っているんだろうな。そして「ブラックレイン」で大阪を舞台にしただけに、うどんも関西風と決めているに違いない。

 実際、うどんは関西風にとどめを刺す。東京のうどんってのはツユが辛くてね。醤油味が濃く出てるソバのツユそのまんまに、麺だけうどん突っ込んであるって感じでどうもねぇ。その点、関西のうどんはダシも効いてて麺の歯応えも十分、関東のうどんと違ってマジでうまいのである。しかし、僕の子供時代は逆にこのソバもどきの関東のマズいうどんを食って育ったので、うどんのどこがうまいのか全くわからなかった。だって、うちの家系はみんなソバ屋だったんでね。

 厳密に言うと、僕の父親の方の親戚がソバ屋ばかりなんだ。元々は名古屋がルーツで、行ったことはないけど恐らくきしめんか何かつくってたんだろう(笑)。祖父の代から東京に出てきてソバ屋を始めた。で、なぜか親戚一同ソバ屋ばかり。僕の親父だけソバ屋やらずにサラリーマンになったという訳。

 冠婚葬祭ともなれば、親戚一同がソバ屋軍団と化す(笑)。ソバ屋運営などの話で花盛り。ちょっと部外者にはついてけない雰囲気。まだ若い頃、栃木の田舎から上京間もなくで嫁いだ僕の母にとっても、そうだったんじゃないかなと察しがつく。

 僕の母は、夫である僕の父のある種の鈍感さにはちょっと閉口していたに違いない。そして、それは父方の親戚のソバ屋軍団全体に対しても同様だったのではないか。少なくとも幼い僕にはそう見えた。悪い人たちでは決してないし悪気もないが、部外者には入りづらい部分があったのだろう。あまりに親戚どおしの絆が気味悪いくらい固かっただけに…。本当のところは、今では知るよしもないのだが。

 そして僕の母は、新しい時代に生きる活発で能動的な女であったのにも関わらず、精神的には古い時代のカビ臭い美徳を捨て切れずにいた。父も周囲のソバ屋軍団も、母にそんな古く封建的なスタイルの維持を期待した。一見、母は完全にそんな古い時代を肯定し受け入れた女に見える。だが、母の上京後の独身時代の写真を見ると、そこには大胆なモダンガールの片鱗がかいま見えるのだ。

 だから、母は無意識のうちに自分に不自由を強いる男たちを恨んだ。そして、それ以上に、自分が陥っている不自由さの元凶…「女」というシステムそのものを恨んだ。ハッキリそれを母から聞いたことはない。しかしそんな母を長年見続けた僕には、苛立ちの正体が何となく分かるのだ。母自身は頑強に否定するだろうけどね。

 母は女が嫌いだ。だから、生まれた子供が男でよかったと言う。しかし、その子が「女以上に根性のない情けない奴」だと知って悔しがり罵った。そして、子供が長ずるにしたがって明らかになっていった「男」そのものの特徴を、深く深く嫌悪した。

 だから、僕は愛されない子供だと思っていた。

 母親は人一倍負けず嫌いだったから、家事も子育ても誰よりも一生懸命やっていた。部屋をいつもきれいにしていて、掃除下手かたずけ下手の知人の主婦らのことをよく笑っていた。しかし実はきれいに見える部屋も一皮むいて、ひとたび箪笥や戸を開けると、しまい込んだ荷物が崩れ落ちてくるような按配だった。外面だけ、見てくれだけは立派。それは、心の底では家事なんか好きでないから…ならば少しくらい、いいかげんでもよかったのに。

 そして僕も、自分のことが愛せなかった。「女」でなくてよかったと言われながら、自分は男らしい男ではなかった。そのくせ成長するにつれて、「男」そのものの嫌な性質だけは受け継いでいるようなのだ。何をどうやってもどこを切っても怒りをかうしかない。しかし、人から愛されず自分のことも愛せない人間が、果たして他人を愛せるのだろうか? 答えはおのずから出ていた。

 幼い頃から他人と接点を持つのがとても苦手だった。自分を裸にしてあるがままを他者に見せるのがイヤだった。それでも人間生きているうちには人と本当に深く関わらざるを得なくなる事がいくつかはある。まぁ…恋愛とかそんなようなものだ。そんな時には、相手が自分を傷つけるか自分が相手を辱めるか、いずれにせよひどいことになるのは時間の問題だった。自分でも信じられないような出来事が起きてウンザリさせられるのだが、実は後で考えて見ると、すべて発端は自分にある。自分の歪んだ、醜い心の中にあるのだった。

 僕は自分を傷つける者を恨んだ。そして珍しく自分を受け入れようと近づいてくる者に対しては、その人間を卑しめることで応えてきた。今だから白状しよう。僕は決して善人ではなかった。

 だから僕には手にとるようにわかるのだ。周囲の人間たちすべてに嫌われたとされる一人の男の胸中が…。リドリー・スコット監督の最新作「グラディエーター」は、そんな登場人物が物語の重要な位置を占める作品。それは、どうヒイキめに見てもどこか病んでいた僕にとって、他人事とは思えないことなのである。

 

愛の無限地獄のはじまり

 西暦180年、領土を拡大し続けるローマ帝国は、現在、北方戦線でゲルマン民族と交戦中だ。ハードな戦闘の日々、くじけそうになる兵の士気を鼓舞しながら、巧みな戦術と勇気と腕っ節で自軍を勝利に導いているのは、兵たちの信望も厚く自らも百戦練磨の戦士であるマキシマス=ラッセル・クロウその人である。その人柄と度量を見込むのは、何も部下の兵士たちばかりではなかった、時のローマ皇帝リチャード・ハリスですら彼の人柄に惚れ込み、まるで息子のように愛情を注いでいるのである。

 そのハリス皇帝、長らく多くの人々の尊敬を受けて帝国に君臨していたものの、近年身体の衰えが激しく、周囲にいやが上にも後継者問題を考えさせずにおかなかった。少々屈折したムード漂う王子ホアキン・フェニックスは、後継者は自らが指名されるに違いないと勝手に武者ぶるい。その姉の王女コニー・ニールセンも、そんな弟の言動に眉をひそめながら、その後あのような悲劇が起きるとは夢にも思わなかったはず。彼女、実はかつてラッセル・クロウといい仲になったことありながら、裏切って捨てた前科あり。その後お互い別々の相手と結ばれながらニールセンは一児を成した後に夫を亡くしていた。クロウも長く戦いに駆り出され妻子と離ればなれ。いいかげん彼女たちが待つ故郷に戻りたがっていた。

 ところがそんなある日、ハリス皇帝に呼び出されてみると、何と皇帝の後継者になってくれととんでもない申し入れ。やはり、あの息子では危ない。腐敗した国の中枢で大ナタ奮ってくれとの頼みだが、クロウとしてはそうおいそれと聞く訳にもいかず態度保留した。

 一方、親父ハリスからの呼び出しに次期皇帝への指名だとハシャいでいたホアキン・フェニックスは、実の父の口からラッセル・クロウを指名すると聞いて逆上。そりゃあ指名すると約束してた巨人に桑田を指名されてしまった清原以上に悔しかったでしょう。しかしその後巨人にシッポ振ってFA入団するとは、キヨ、おまえプライドあるんかい(笑)。ホアキンにはまだまだ清原より意地がある。元々、自分は愛されていないとうすうす感づいていたので、他に誰もいないのをいいことにその場でハリスを殺害する。キヨもナベツネをバットでブン殴るくらいの事するべきだったんだよ。しかし例えハリスを殺したところで、愛して欲しい者から愛を得られなかった悲しさ辛さは決して癒される訳もあるまい。一見、野望の階段を駆け上がっていったように見えるホアキンだが、その実、彼が陥っていったのは心の乾きが決して潤されることない、愛の無限地獄なのであった。

 父皇帝の死去と同時に自らの皇帝就任を発表するホアキン。姉ニールセンはこれから起きる恐ろしい悲劇を予感し、何が起きたか悟っていても黙る決心をした。しかし一本気で表裏のない男マキシマス=ラッセル・クロウではそうは問屋が卸さなかった。彼は新皇帝ホアキンへの不服従を露骨に態度で示した。これがホアキンにはどうにも我慢ならなかった。なぜなら、彼こそ父に息子のように愛された男、そして世が世なら姉の夫にもなったかもしれない男…まさに文字どおりの義兄弟。自分とは、まさに何から何まで対照的にネガとポジの関係にある男。だからこそ、許せない気持ちも人一倍であろうことは言うまでもないのである。

 ラッセル・クロウを将軍の地位から引きずり下ろし、処刑せよとの命を出すホアキン。クロウはその網をかいくぐって逃げるが、最愛の妻子は辱められて殺された。自らも傷ついたクロウは、倒れているところを捕まって奴隷としてセリにかけられることになる。そんな彼を競り落として剣闘士用の奴隷にしようとしたのが、奴隷商人オリバー・リードだ。心も身体も傷つきグッタリのクロウはリードの下で剣闘士としてのキャリアを積み、ローマ首都コロシアムでの皇帝列席のもとで行われるビッグイベントに登場することになるのである。

 しかしこのイベント、何かの戦いを再現したものらしく、戦車に乗った戦士が奴隷剣闘士たちを皆殺しにするという筋書きはすでに出来ていた。それに、縦横無尽にコロシアムを走り回る何台もの戦車相手では、地面に這いつくばるばかりのクロウはじめ奴隷剣闘士たちはどう見ても圧倒的に不利だ。しかし、ここで人生すべて投げやり、やる気なくなってたクロウ、急に目覚めるんだね。

 元々軍人だから状況判断も戦術も得意。だからクロウは仲間の奴隷剣闘士たちという自分の「軍隊」を得て、急に生きいきしてくる。迫り来る戦車軍団相手に、「ここはダイヤモンド隊形だっ!」とか冷静に指示出して、自分たちの「戦争」をおっ始めちゃうのである。こうなると独壇場。連戦連勝の将としての勘が冴えに冴える。戦車軍団なんて目じゃない。このくだりは「ベン・ハー」の戦車競争シーンとかも想起させて、血が騒ぐ興奮だ。そして全面的勝利。場内騒然。大番狂わせに見ていた皇帝ホアキンは唖然とする。しかし、刺激を求める観衆には大ウケ。どっかのプロ野球チームみたいに勝ちゃあいいのだ(笑)。

 あげく、よせばいいのに勇者を謁見してやろうと、ホアキン皇帝ノコノコとアリーナまで下りてきた。そこで会うはずのない相手、マキシマス=クロウの姿を認めたホアキンの驚いたこと。しかも何が悔しいかと言って、大衆の心をがっちりつかんだクロウでは、もはや皇帝と言えどもみだりに殺すことなどできないのだ。そんな衆人環視の中、白昼堂々、クロウは皇帝であるホアキンをコケにしまくる。な、な、な、な、なんでこうなるんだ〜。ホアキン歯ぎしりしても、何もどうにもなりはしないのだ。

 

好かれようとすればするほど嫌われる悲しさ

 親父も俺を愛してくれなかった、そして姉貴も俺を愛してくれなかった…。もっとも、ホアキンの姉ニールセンへの愛はちょいと危ない方向いっちゃってるけど。そして、彼らの愛はことごとくマキシマス=クロウに向かっている。そして今まさにローマ市民の尊敬も…偉大な皇帝と敬われたいのに、その喝采はまたまた一身にラッセル・クロウが持っていっちゃっているのだ。どうして、なぜなんだ?

 だからホアキンあらゆる手を使う。今度は凄い剣の使い手を用意。さらに油断してるとトラが飛び出してガブッといく仕掛けもつくった。でも、やっぱりクロウは強いんだよ。またまた勝ってしまう。倒れて観念した戦士に対して剣を突きつけるクロウ。回りの観衆は血と刺激を求めて「殺せ!」「殺せ!」の大合唱。調子に乗ったホアキン皇帝も、大衆の歓心を得たくて「殺せ!」コールに一役買う。

 しかしクロウは違うんですね。こんなくだらない事で人殺しさせるんじゃねえよと剣を捨てる。これで場内ドッチラケ、観衆の反感かうかと思いきや、何とクロウの慈悲深さにまたまた場内大絶賛。おいおい、自分たちさっきまで「殺せ」と言っていたくせに(笑)。これじゃ一緒になって「殺せ」コール出してた皇帝ホアキンは立場ない。まるでアホみたいじゃないの。これにはまたまたプライド傷ついちゃったよね。僕はこの観客たちはホアキンに対してあんまりだと思います(笑)。

 試合の始まる前には観客に食料バラ撒いたりして、人気とりしたいという気持ちがミエミエのホアキンだが、結局何をやっても裏目に出るのは本当にお気の毒だ。どんなに強くてもお客に嫌われた一時期の貴乃花みたい。だからあんなにお兄ちゃんを嫌ったのか。

 そう、この対立は元々は部屋の後継問題(笑)もからんでいるし、若貴兄弟の葛藤を頭に浮かべればわかりやすいかも。クロウ&ホアキン義兄弟説は間違ってないのだ。

 そんなホアキンは、自分を裏切ってクーデター計画に荷担しようとした姉のニールセンをさんざ脅して「やらせろ」の一点張り。そんなことやればやるほど嫌われるのにねぇ。

 ついに業を煮やした貴乃花…いや、ホアキンは思いきってクロウと同部屋対決(笑)に踏み切ることにしたわけ。元々、剣の腕前もチト自信あり。もっとも試合前にクロウの身体に傷を負わせて、自分に有利にしようというセコい手口を忘れちゃいない。

 かくしてここは両国国技館ならぬローマのコロシアム。ホアキンはまるでテンプターズとかのグループサウンズもかくやという感じのヒラヒラ付けた装いで登場。キメればキメるほど嫌われるのが悲しい。

 実際の試合になっても、傷を負わせたはずのクロウにどんどん追い詰められていくあたり、ますます悲しい。剣を落っことしたら、みんなが渡すな渡すなってシメし合わせているじゃないの。俺ってそんなに嫌われてるの〜?

 結局ブッスリやられておだぶつのホアキン。クロウもそれまで…で力尽きる。「マキシマスの亡骸をかつぎたい者は?」との声に、みんなが争ってかつぐクロウの遺体。しかし同じコロシアムに転がっている、ホアキンの死体に君たちあまりに冷たくはないか(笑)? 実の姉までもほったらかしとは、いくら何でもあんまりだ。

 リドリー・スコットって言えば、何と言っても逆光とスモークで画面を彩る「映像派」として知られていた人。だけどその作品系譜は何でもござれの観が強いよね。SF、史劇、刑事アクション…なんでもできるけど、そこがこの人の器用貧乏な弱点かも。特に近年はデミ・ムーアの坊主刈の頭だけが話題だった「G.I. ジェーン」や、ヨットスクールの海難事故を描いた「白い嵐」と、「???」と理解に苦しむ作品が多かった。それだけに、ここへきての堂々たる復活にはうれしくなったね。しかも、例の「逆光、スモーク」などのチャラチャラした映像効果にはほとんど頼らず、重厚でがっちりした映像づくりを行ったことは大したもの。それこそ「ベン・ハー」「十戒」「クレオパトラ」「スパルタカス」など、往年のハリウッド・スペクタクル史劇を堂々と再現したような画面の連続にはため息が出る。もちろんCGもふんだんに使っているのだろうが、どこか人間くさいスペクタクル映像にホッとする。僕にとって今までベストだったスコット作品「ブレードランナー」の上をゆく出来映えと確信するよ。

 ラッセル・クロウは「インサイダー」の演技派ぶりもかなりなものだったが、この主人公にして華も身もあるヒーロー、マキシマス役には脱帽しちゃたな。こんなにボリュームのある男優さんは久々じゃない? 彼じゃなければこの映画シラケたよね。

 そして、こういうハリウッド・スペクタクル史劇と言えば、脇を英国のベテラン名優で固めるのが定石。今回もリチャード・ハリス、オリバー・リードという2大スターを配してぬかりなし。特にオリバー・リードなどは、近年、B級映画やクズ映画へのゲスト出演ばかりで見る者に悲しい思いをさせ続けてきたが、今回の役は物語の中でも重要人物で、出番も最近では一番と言っていいほど長くかつおいしい役。何とこれが遺作となってしまったが、最後に花道飾ったと思えばうれしいじゃないか。

 だが何と言っても今回の作品の最大功労者はこの人、ホアキン・フェニックス! 屈折して滑稽な男の恐ろしさと悲しみを両方見事に表現してさすがの出来映え。最初に彼を認めたのはあの後味最悪の「8mm」で、作品はどうしようもない出来映えながらホアキンの好演は心に焼き付いた。今回は全編大車輪ハイテンションの熱演が堪能できるよ。

 それにしてもラスト、薄れていく意識の中で死んだ妻と子が待つ自分の農園に急ぐクロウは、あの世へ…まぁ三途の川を渡っているところなのだろうか。そこは現世の苦しみも悲しみも、きっと何もないところに違いない。

 ならば死体を誰にも顧みられることなく打ち捨てられたホアキンも、同時にこの世から旅立つ最中と僕は信じたい。誰にも愛されず誰も愛することができない、さながら悪夢のような人生…でもね、あの世に旅立つにせよ、この世に踏みとどまるにせよ、その苦しみにはいつか終わりがあっていいと思うんだよね。かくあるべき自分に立ち戻れる時が、いつかやってくるはず。

 悪い夢にも終わりはきっとあるよ、必ずね。

 

 

 

 

 

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