「エニイ・ギブン・サンデー」

  Any Given Sunday

 (2000/07/03)


目先を変えたオリバー・ストーン

 オリバー・ストーン…って聞くと、映画ファンなら誰でもある種のイメージ抱くんじゃないか? 押し付けがましい。独善的。偉そう。まったくその通りだね。最初はそれほど気付かなかったんだけど、作品をどんどん見続けていくうちにそのクサみが鼻についてくる。いつも言うけど「JFK」なんか、それでなくても偉そうなケビン・コスナーが、ラスト何の根拠もないのに「ケネディ暗殺犯はFBIとCIAとマフィアと大企業と…」な〜んて決めつけて終わる。あれじゃあ裁判に負けるわけだよ。エリン・ブロコビッチといい勝負のアホ。でも、その素養は後から見てみると、すでに「プラトーン」なんかにもわずかながら漂ってはいたんだよね。つまり、これストーンの作家としての資質なんだ。

 だから僕はストーンを、「ハリウッドのみのもんた」と命名させていただいた訳なんだけど、そのうち映画ファンがみんなストーンの作品と聞くと退くようになっちゃったんだよね。どうせまた偉そうなんだろ?って。

 いや、そうでもないよ。地味で誰も見てなかったけど、最近じゃ「Uターン」なんかよかったぜ。そうは言っても誰も知らない。こりゃあストーンもヤバいかなと僕もマジで考え始めた今日この頃、当のストーン自身そのへんは自覚していたと見た。

 何だ何だまたベトナムかケネディかニクソンか60年代かメディア批判か。もうウンザリなんだよストーンのおっさん!

 で、言いたいことは基本的に変わらないんだけど、飾り付けやお皿変えたらアッサリして食べやすくなるんじゃないか?…そう思ったかどうか知らないが、ストーンはちょっといつもとは違うフィールドに姿を現わした。

 今回の舞台は、アメリカン・フットボールのフィールドだ。

 

クォーターバック交代にまつわるお話を中心に

 という訳でアメリカン・フットボールもシーズンたけなわ。老将アル・パチーノのコーチ率いる、マイアミ・ドルフィンズならぬシャークスは、ちょっと苦しい戦いを強いられているんだね。シャークスきってのスタープレイヤーで名クォーターバックのデニス・クエイドがいきなり負傷して退場。次に出したクォーターバックもケガ。で、補欠の知らないようなクォーターバックしかいなくなった。仕方なく起用したジェイミー・フォックスは、初陣に武者奮いと言いたいところだが、いきなりゲロという上がりぶり。パチーノもおまえのやりたいようにやれ…とアドバイスするのが精一杯だ。

 ところが、これがうまくいってしまうから世の中わからない。ガムシャラ無茶苦茶が大成功。味方はチームプレイもへったくれもないからボヤくものの、味方もわからない戦法では敵がわかろうはずがない。かくしてマグレ当たりとは言えジェイミー・フォックス一躍花形に躍り出るわけ。

 このクォーターバック交代にまつわるお話を中心に、さまざまな人間模様が交錯する。パチーノは自分のフットボール観が実は時代遅れなんじゃないかと内心感じ始めた初老の男。父親からチームを受け継ぎながら、昔気質の父とは違って合理的にビジネスライクに割り切った経営をめざすキャメロン・ディアズは、何かとこのパチーノと衝突する。また、自らの限界を悟り始めるクォーターバックのクエイド。そんな夫の焦燥を冷たく切って捨てる妻ローレン・ホリーは虚栄心に囚われた女だ。選手の健康無視した処方など平気なベテランのチームドクター=ジェームズ・ウッズは、試合のためなら必要悪を黙って受け入れる男。だが、その下で働く新任ドクターのマシュー・モディーンにはそれが我慢ならない。そして彼の健康上の忠告を受けながらも、プレーにかけるチームの要、LL・クール・J。実際にはその他にも、アン・マーグレットとかチャールトン・ヘストンとか、とにかく重量級のキャスト満載で、これ見てるだけでもすごいね

 だけど本当にすごいのは、あたりまえの話だけど試合の場面だ。オリバー・ストーンって、実は映像上の実験を何作か前から意識的に行っているなとは感じていたんだよね。それの一番最初で目だった例というのが「ナチュラル・ボーン・キラーズ」だったんだろうと思う。最初はクエンティン・タランティーノ脚本で撮ったということで、若い映画人への対抗意識でやったんじゃないかと思った大胆な映像処理だが、あれ決して奇をてらったものではなかったんだねぇ。あの絶え間なくブレるカメラ。様々なフィルムタイプ、レンズ等々を使ったフィルムのバリエーションを、暴力的ともいうべきリズムで刻みつないでいく編集。これは明らかにあの「ナチュラル・ボーン・キラーズ」からの遺産と言っていいと思う。だから、この映画のフットボール場面はリアルでもあり幻想的でもあり、とにかく他の映画では決して見られないオリジナリティーを獲得しているのだな。

 そしてギンギラなスター陣でも抜きんでていいのは、やっぱりパチーノ。競技場でわめき散らし、いつものように「ファック!ファック!」と吠えまくっているあたりは、やはりパチーノ独壇場。そして、一人っきりの時間に寂しさを紛らわすため、エリザベス・バークレーの娼婦を買う侘しさ。それでも己の信念にはとことん忠実。「勝つか負けるかより、男らしさが問題だ」なんてこと言ってる奴、今どき他にはCBSテレビのニュースのプロデューサーくらいしかいないよ(笑)。

 

主人公たちの癒されぬトラウマ

 一方、一時思いきりチヤホヤされたあげく、すっかり自分を誤解してスターきどりになったフォックス。当然、チームでも浮きまくり。パチーノが見かねて忠告しても聞く耳持たず。だがこの男、故なくしてこんな利己的な人間になったわけではない。その原点には昔の自分に対する不当な仕打ちがあったのだ。

 他人など信用できない、だから自分だけでうまくやる…そうそう、僕もそんなことを言ってた時期があったっけ。だから僕もかつてはチームプレーを嫌い、ひたすらスタンドプレーに徹した。他人は信用できないからな。俺が自分ですべてをやらなきゃ、うまくいくはずなんてないんだ。人に気に入られようなんて思ったことない。そんなことどうでもいい。そもそも俺にとって他人などいないも同然なのだから。だから手伝ってくれなんて絶対言わない。ただ俺のやる事の邪魔をするな。何も見ないふりをして放っておいてくれ…。しかし、その代償は高くついた。僕は信じなくてはいけない人まで冷たく拒否してしまった。いや。そんな気はないのに、いつの間にかどうしても信じ切れなくなっている自分に気付くのだった。そしてみんな去ってしまった…。

 当然のごとくというか、フォックスも現実のしっぺ返しをくらう。この僕が今でもまだ払い続けている、人生の痛い授業料を払うことになるのだ。

 そして峠を越えた選手の悲哀をかみしめるデニス・クエイドもまた、これから下り坂の人生に耐えなければならない。そう言えばモーニング娘でかつて人気ナンバーワンだった安部なつみが、何であんなに急激に太ったんだろうね(笑)? 後から加入したゴマキの人気急上昇が、そんなに彼女の心を穏やかならぬものにしてしまったのかね。デニス・クエイドは激太りにはならないだろうが、本人の胸中はいかばかりか。しかもスター・クォーターバックの妻という自分を維持するのに一生懸命で、夫の気持ちなど推し量ろうともしない女房の正体に気付いた後、一体どうやって夫婦としてやっていくんだろうねぇ。俺なら絶対やっていけないな。

 何でもソロバンづくのディアズにも、実は人知れない悲しみがあった。幼い頃から毎週日曜、愛する父親とあたりまえの家庭生活をろくでもないフットボールに奪われてきた彼女にとって、今のチームに対する冷たい仕打ちは、知らず知らずのうちのフットボールに対する復讐だったに違いない。

 そんなトラウマ乗り越えて、ついに決勝戦(映画の設定ではスーパーボウルもどきの架空の試合)へとなだれ込むシャークスだが、僕にはこれの前哨戦が始まる前、ロッカールームでのアル・パチーノの大演説がこの作品のすべてを物語っているように思える。試合が始まる前に全選手の士気を鼓舞すべく、熱っぽく語る大演説。映画を見ているときに覚えようと思ったんだが、長すぎてとっても全部覚え切れなかった。だから、ここに書いた台詞はたぶん実物とは全然違ってる。でも、それが何だと言うのだ。同じである必要なんてない。これはあくまで僕の頭と心の中にある映画なのだから。ひょっとしたらパチーノじゃなくって、これは全部俺が頭の中でこさえたものなのかもしれない。俺自身が自分に対して、そして他の誰かに言って聞かせたい言葉なのかも。

 …で、パチーノは確かこんなふうに言ったはずだ。

 

 「俺は今まで多くの間違いを犯してきた。稼いだ金も全部使い果たしてしまったし、逃がしちゃいけない女たちを手放した。…でも、もう俺も歳だ。そして、この歳になるとわかってくることがある。

 ゲームってのは人生と同じなんだ。あらゆるポイントで、ほんの1インチの一挙手一投足で運命が変わっていく。だから、この1インチのために自分を犠牲にしても構わないという気持ちを持つことが大切なんだ。

 おまえの横にいる奴の目を見てみろ。そこにはおまえと同じ思いが燃えているはずだ。このゲームのために、お互いのために、自らを投げ出してもいいという思いが…」

 

 チームメイトを信じろ、このゲームを戦い抜くために。

 

 

 

 

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