「ロミオ・マスト・ダイ」

  Romeo Must Die

 (2000/05/29)


肩の力が抜けてる男性像って

 先日、浅草に住む高校時代の友人に会いに行ったんだよね。ちょっと相談事があったりして。ところが最近のまるで夏のような熱気ムンムンのところに、ちょうどたまたま三社祭が行なわれていて、すさまじい人出でもう大変! 何でも90万人が集まったとかで、そりゃシンドイわけだよね。何でこんな日に友人の家に行こうとしたのか、自分の見通しの甘さを呪ったけど後の祭り。友人の家にたどり着くまでには、すっかり汗だくになっていたわけ。あ〜シンド。

 一体何の話をしに行ったのかはちょっとナイショなんだけど、まぁこの友人とはもうかれこれ25年来の仲ってことになるわけだから、いろいろ忌憚のないところを心ゆくまで語り合えた感じだね。彼の嫁さんも同じ歳で、まったく肩の凝らない人。もっとも初めて会った日から「だいたいFはさぁ」と呼び捨てだったのは、いかがなもんかとは思うけどね(笑)。

 そんな二人を見ていて思うのは、まぁ夫婦に限らず男女の仲ってもんは、男が威張ってて格好のいいもんじゃないなってことだよね。ここの夫婦もご多分に漏れず、ダンナがコケにされっぱなし。実際、夜はビール飲んでるうちにいつの間にか寝ちゃう毎日らしく、「しょうがないわねぇ」と言われ通しの彼なのだ。しかし、話好きの嫁さんがペラペラといろいろしゃべっているうち、つい勢い余ってしゃべりすぎた時には、静かに一言、「それは言い過ぎだな」とつぶやく。すると嫁さんもハッと気づいて黙り、彼はまたすぐボケ〜ッと昼行灯状態に戻る…と、何とも絶妙のコンビネーションで傍で見ていても見事だなぁとうならざるを得ない。

 これと対照的なある友人夫婦を見たときには、何とも惨いものを見せられた気がしたな。この夫婦もやはり同じ歳で、大学時代から付き合ってた二人。その成れ染めから僕は見てきたわけだが、結婚後の亭主のほうの態度はちょっと驚いた。何だか新婚早々やたら威張ってるのだ。あげく嫁さんをさんざバカ呼ばわり。前々から言ってきたように僕はフェミニストなんかじゃないし、昔気質の人間なんだけど、それでもこれにはイヤ〜な気分になった。恋人同士の時は快活だった嫁さんのほうも、何だかクラ〜くおとなしくなっちゃって落ち込んでる。一体何があったんだろ? 結局この二人はその後どうなったかと言えば、嫁さんはアッチの世界にいっちゃって、だけど子供もいるし…ってニッチもサッチもいかない状態になっちゃった。この亭主、その後も自分のほうが正しいとかいろいろゴチャゴチャ言ってたけど、ハッキリ言って自業自得としか思えないな。

 昔ふうの教育を受けてきた僕は、さすがに全面的に男中心の考え方から離れることなんて一生かかったってどうせできやしないが、内心では部分的にちょっと違うんじゃないのって思うところもないわけじゃない。「男は男らしく女は女らしく」って足かせが煩わしいのは、実は何も女の専売特許なんかじゃないんだな。

 「男らしさ」だけでなくて、とにかく「こうでなくてはならない」態度を強いられる状況って疲れるよね。「陽気」とか「にぎやかで楽しい」とか「強気」とか「場を盛り上げる」とかも、そんな規制概念の一部だからね。生まれてからずっと植え付けられてるものだから簡単に解放されはしないけれど。これじゃ楽しいはずないはずだよ、人生が。

 その点、女の前で頑張らなくていいとなると、とても楽でいいね。僕はシンドイことばかりだったから、なおさらこれは一度味わったらやめられない。ボケ〜ッとアホ面して(笑)、思いきりリラックス。でかい音を立ててハナをかんでも、ヨダレたらしても、ズボンのチャック開けっ放しでも全然ヘーキ。まぁチャックまで開けっ放しじゃ、さすがにマズいけど(苦笑)。…いくら何でもそりゃ言い過ぎだった。ちょっとはトキメキとか緊張感とかないの…と怒られちゃうしね(笑)。でも、そんな完全な無防備状態になれるって素晴しい。ただし、これは誰の前でもできるって訳じゃない。だからそういう人がいたら、それはどんなリスクを侵してでも手に入れないといけないね。絶対他人になんか渡しちゃいけない、値千金の価値があるんだから。

 それはまぁともかく、そんな強かったり頑張ったり偉かったりって概念が大したもんじゃないってことになったら、一体、男の売り物ってこれから何になるんだろうね? 一つだけ言えるのは、人間というものは男でも女でも、かわいげってものがなくてはいけないだろうと思うんだよね。それがない奴って面白くも何ともないだろう? だから、これからの男性像も、愛敬があるかないかってことが重要になってくるんじゃないかと思うんだよ。

 そういうしなやかでおかしくて、どこか肩の力が抜けてる男性像という意味で、「ロミオ・マスト・ダイ」はちょうどいい見本になるんじゃないかな?

 

オークランドの港湾地域は一触即発状態

 アメリカはオークランドの港湾地域は、黒人ギャングと中国人ギャングが前々からにらみあってきた場所。現在何とかかんとかバランスを保っているが、それは目の前にプロホッケーチームのホームグラウンドとして、海上スタジアムを建設するというビッグプロジェクトが目の前にぶら下がっているからで、どっちにしろ一触即発な状態なのには変わりはない

 そんな時、よせばいいのにヤケに羽振りのいい中国人のアンチャンが、イカす車でマブい女連れて、黒人街のクラブに乗り込んできた。店の従業員やお客たちの思いっきり冷えた視線の中、この若僧中国人ジョン・キット・リーは連れてきた女たちと乳繰りあって、挙句の果てにビーチクしゃぶっちゃってゴキゲン。しかし、しゃぶられ過ぎだよネーチャン、ビーチクが黒いぜ。当然、それを見ていた黒人客たちは面白くない。いくらビーチク黒くても、肌が黄色い連中がこの店で遊ぶのは許せない。やがて店の連中が出てきて「帰ってくれ」と脅されるが、この若僧中国人は何を考えているのか妙に強気。いよいよヤバいということになったところで駆けつけたのは、なかなかクールな面構えのラッセル・ウォン率いる中国人の一団。一目で怖いオニイサンたちとわかる連中だ。さっきの若僧ジョン・キット・リーは中国人ギャングのボスの息子とわかる。その身の安全をまかされたラッセル・ウォン、やりたくもないドラ息子の尻拭いに、正直ウンザリというところなのだが。

 当然ちょいとした言葉のやり取りがあった後で、いっちょ遊んでくかとの言葉を発するやいなや、ラッセル・ウォンはかなりの拳の使い手ということを大々的に披露する。

 何だかんだの挙句、店を脱出する中国人の一団。ジョン・キット・リーはラッセル・ウォンにお灸をすえられるが、全然聞く耳など持っちゃあいない。しかし翌朝、ついに恐れていたことが現実になった。黒人街のど真ん中で、ナマイキな若僧ジョン・キット・ローが吊されて殺されてるじゃないの。ヤバいヤバい、これじゃ戦争が始まっちゃうよ!

 親父の中国人ギャングのボス、ヘンリー・オーは怒ったが、あわてた黒人ギャングのボス、デルロイ・リンドウが早々にお悔やみの花を届け、犯人は誰かを早急に調べると確約したので何とかその場は収まった。まぁ、目先にホッケー・スタジアムのビッグ・プロジェクトがあるからね、事を荒立てたくないのはお互い様。

 おもろいのは、中国人ギャング・ボスのヘンリー・オーの下に腹心ラッセル・ウォンがいるように、黒人ギャング・ボスのデルロイ・リンドウには米つきバッタの手下アイザイヤ・ワシントンがべったり…と、非常に両者が似たような人間構成になっているんだね。中国人ギャングのほうはどうかわからないけど、黒人ギャングのほうでは一の子分のアイザイヤ・ワシントンはじめ、ボスの実の息子に至るまで「今に見ていろ俺だって」と、実は内心ビッグになることを狙っているらしいところがおかしい。それでもボスの前ではワシントンはただただ忍の一字だし、タイガー・ウッズ似のセガレも親父に一喝されたらグウの音も出ない情けなさなのだが。

 でも、僕はまだこの映画の肝心な登場人物を紹介していない。そいつは、まだこの時点ではアメリカにはいない。

 それこそが、親父の罪をかぶって香港の刑務所に服役中の中国人ギャング・ボスの息子、殺されたジョン・キット・リーの兄貴…今回の映画のヒーロー、ジェット・リーなのだ。

 

 さてさて、このジェット・リー、確かに物語の最初では香港の刑務所内にいる設定なのだが、ここから脱出するのには大して時間がかからない。

 しかも、いつの間にかヒョッコリとアメリカにいるんだから、この人っておかしい。長年の刑務所暮らしの疲れとか陰りなんて微塵もないんですよ。どうやって海を渡ったかもわからない。ニコニコしてあっけらかんとアメリカに降り立つ。親父の中国人ボスの元にやってきた時の話を聞くと、どうやら彼は親父に見捨てられたんだか無実の罪を押し付けられたんだか、そんな理由で捕まっていたらしいんだが、瞬間的に怒りをあらわにするものの、すぐに穏やかな表情に戻ってしまう。

 ボスの手下ラッセル・ウォンとも、昔は友達だかライバルといった関係だったようだが、そこに深い感情はさして感じられない。弟の仇をとりにシャバに舞い戻ったのに、恐ろしいほどに気負いがないというか、怖いほどリラックスしている彼なのだ。いつも何だか楽しそう。一体何がそんなに楽しいんだ、ジェット・リー!

 そんなジェット・リーの一方で、もう一人この作品の重要な登場人物を紹介し忘れていたっけ。黒人ギャング・ボス、デルロイ・リンドウの娘、アーリヤだ。彼女は親父の汚い商売をイヤがって、一人暮らしをしながら堅気の商売をしているけなげな娘。だから、親父のヤクザ商売にドップリ浸かったタイガー・ウッズ兄貴のことなんかケチョンケチョンに言っちゃって、かわいそうに兄貴も立場がない。今回の一触即発事態では、親父がビビっておデブのボディガードをこのアリーヤちゃんに張り付かせたが、彼女はこれがジャマでイヤで仕方がない。このデブなボディガードが大ボケこいてる間に逃げ出して、バッタリ出会った相手が何とここで会ったが百年目のジェット・リーだったのだ。

 この時の二人のやり取りは、まあ軽〜いジャブみたいなもんね。お互いちょっと気に入ったけど、それほど恋が芽生えて…って感じじゃないね。これから何度も会って、いろいろな苦難を乗り越えていくうちに激しい愛になって、「ロミオとジュリエット」的な宿命の二人に…って思っていたんだが、これがそうはならない。いつまで経っても軽〜いお友達関係みたい。だから、ハッキリ言ってそういう意味での緊迫感はいつまで経ってもゼロなのだよ。だってジェット・リー、何があってもニコニコうれしそうな顔してるだけなんだもの(笑)。アーリヤも、そんな子供みたいなジェット・リーを面倒みてるピンポンパンの歌のお姉さんみたいな、恐ろしいほど可愛らしくて健康的な関係になっちゃうんだよね。でも、こういう男女関係って悲壮感全くなくっていいかも。もう、しょ〜がないわね〜とか言われて女に構われているニコニコ男って、何となく楽しくないかい? 俺の夢なんだよ。

 お話はそのうち、いよいよ泥沼の抗争化してくる。デルロイ・リンドウのタイガー・ウッズ似息子が「親父も俺様に仕事をまかせろってんだ」とか、エッチ相手の女の前で偉そうにホザいてるところを襲われ、その女もろとも高層ビルから突き落とされたりするが、このシーンがまた何だかおかしい。落っことされてからヒュ〜〜ッって二人が空中を落ちていく様子を、異常に長い滞空時間で見せているんだね。その間二人は手をバタバタさせて、

 あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

…って感じで落ちていく。こんな一瞬で終わらせても問題ないシーンをなぜ執拗に長く見せているのか。笑っちゃったけどね。

 それにしても、この映画の主役ジェット・リー、強いことはもちろんなんだけど、実はこの作品でそれほどそこらじゅうで暴れまくっているわけではない。確かにいろいろアクション場面はちりばめられているし、それなりに楽しめる見せ場にはなっているけれど、このジェット・リーをわざわざ連れてきたんだったら、本来もっともっとガンガン暴れさせてもいいだろう。宣伝コピーでは「マトリックス」の上をゆく見せ場だかワイヤーアクションだかって書いてあったが、その印象からするとむしろおとなしすぎるくらいの雰囲気だ。

 たぶん香港時代のファンなら物足りなく感じるくらいなんだが、何だかそれは意識的にやっているような、計算した上でのアクション控えめって感じなんだな。マーシャルアーツの大スター、ジェット・リーことリー・リンチェイをわざわざハリウッドに招いて、それほど暴れさせていない。それはなぜ?

 それよりここでは何となくスットボケた雰囲気で彼を使っている感じなんだ。全編ヒップホップなんか流しちゃってカッコよくつくっているように見えて、ジェット・リーには全く緊迫感なし。だいたい彼のニコニコ顔にヒップホップがまるで合ってない。もっとも僕ら年期の入った映画ファンから見ると、ジェット・リーことリー・リンチェイは、あくまで中国の山奥で涼しい顔して人間わざじゃない凄い修行をしている「少林寺」の坊主頭の青年って印象があるからね。それがなぜかジェット・リーでアメリカでヒップホップで…とくると、そりゃ違和感のほうが大きいのも無理はない。ぴんから兄弟が六本木のクラブ・シーンで大人気って言うのと同じくらいハズしてます。俺なんかいまだに、彼はヒップホップなんかより、ボワ〜〜ンってドラの音のほうが似合ってる気がするもんね。

 そんなジェット・リーとアーリヤが二人だけで真相を究明しようとクラブに乗り込んでいくときに、ジェット・リーの出で立ちがあんまりヤボったいんで、アーリヤが彼に帽子をかぶせるんだけど、それがかえってイタズラ坊主みたいな格好になっちゃって笑っちゃう。ここでも彼を可愛らしさで売ろうっていうのが明らかなんだよな。終盤でデルロイ・リンドウがジェット・リーを見て、思わず「小さいな〜、子供かと思ったぜ」とつぶやいてしまうあたりも、見ているこっちまで思わずうなずいちゃうほどで笑っちゃうよ。

 アクションで面白かったのが、襲いかかってくる中国女に立ち向かうジェット・リーとアーリヤって構図。とりゃ〜って飛びかかる女を見て、「俺には女は殴れないよ」とおっしゃるジェット・リー。ん〜、もう仕方ないわね…と言ったか言わないか、アーリヤちゃんがジェット・リーの手や足に成り変わって、彼に操られるかたちで中国女と戦う。このシーンは何とも珍妙でおかしい。よく結婚披露宴でケーキカットの時に、新郎新婦でナイフを握って「結婚した二人の初めての共同作業です」なんて司会者に言われるよね。僕なんかそれ聞くたび、初めての共同作業は別にあるだろう…なんてエッチなこと考えてしまうけど(笑)。そういう意味で言えば、ここのアクション・シーンこそ二人の初めての共同作業って感じ。息がピッタリ合っていい感じ。正直言ってこのシーン以外での二人の関係は、終始ピンポンパンのお姉さんとお子ちゃまの間柄です(笑)。

 でも、こんな男性像がいいんだよね。そういや最近はあのジェームズ・ボンドだって、昔みたいに女たちを手玉に取ってと言うより、女上司のMやマネペニーにコケにされたり、しょ〜もないわね〜と言われたりしながら結構楽しそうにやってる。頑張っちゃいかんのですよ。威張ってもいけない。エヘヘと笑いながら、女に頭ナデナデされて生きるのもいいではないか。まぁ、もちろんやる時はやるんだけど、それ以外はエヘヘ(笑)。

 おっと…これだけだと、まるでしまらない映画みたいだな。そんなことないよ、アクションはそれなりにてんこ盛りだ。ここからがジェット・リーの、「やる時はやる」の部分だね。ラストは裏切り者のラッセル・ウォンとの決闘シーン。これが珍しくこの作品のジェット・リーにしては気張った顔しての見せ場で、ワイヤー・アクションがバシバシ。ラッセル・ウォンはこの作品の中で、ハッキリ言ってジェット・リーに対抗できる唯一の強敵なんで、かなり見せてくれます。でもねぇ、このラッセル・ウォン、いよいよ…って時に言ってはいけない一言を言ってしまうんだよね。

 「色男は死ぬ運命なのさ(ロミオ・マスト・ダイ)」

 ジェット・リー、ちっとも色男でもロミオでもないんだよ。むしろ色男って言うなら当のラッセル・ウォン自身のほうがよっぱどスカした伊達男。だから自分でこれ言っちゃいけなかった。もうここで勝負あったわけ。…で、これでわかるだろう。俺が何を言いたいか…が。

 カッコつけた偉そうな男の時代は、もう終わったってことだよ(笑)。

 

 

 

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