「どら平太」

  Dora-heita

 (2000/05/22)


自由がいちばん大切

 のっけから私事で恐縮なんだけど、おかげさまでうちのサイトも10000ヒットに達することができたんだよね。本当にみなさん、ありがとうございます。この場を借りてお礼を申し上げたいです。まぁヒット数なんてものは日頃そうは気にしていないものなんだけど、さすがにこれだけの数字になるとそれなりの感慨はあるよね。

 でも、人によっては1周年以上経ってるのにやっと10000ヒットか…なんておっしゃる方もいるかも。お説ごもっともで、何せ最初の頃なんてどうやってお客さん増やすかもわかってなかったから、一週間のお客さんの数が30人ちょいなんてこともあったくらい。一週間100人越えるまでが長かった。そういうところから始まっているからね。それにやっぱり掲示板がないホームページってのは、そうそうリターンのお客さんはいないもんだよね。だから、僕としてはこれで上出来かもって思ってる。

 それじゃあ掲示板付けるか…っていえば、そんな気はないよ。間違えないでいただきたいのは、僕のサイトにあるのは掲示板ではなくてゲストブックだからね。掲示板のホストなんて僕の器じゃない。気が重いよ。

 前にもどこかで言ったけど、掲示板のホストともなれば言いたいことも言えない。やっぱりお客をもてなす訳だしさ。客は好き勝手なこと言えるけど、ホストはあくまで場が円滑に機能するように心くだくわけ。これは結構しんどいことだと思うよ。

 僕も一介のネット映画ファンとして、いろんなところにカキコしたりするけど、それでも気を使ってマジメな映画の話をだんだんしなくなる。だって、怖いもんね。映画に対する考え方なんて人それぞれだから、ちょっと俺がマジメに書くとケンカ売ってくる輩なんかいる。そりゃあ自分のところだったら、いくらだってそんなケンカ受けて立ってやるよ。俺も嫌いなほうじゃない。だけど、人のところじゃねぇ…せっかくみんな楽しくやってるところブチ壊したくない。だから、だんだんマトモなこと書かなくなって、エッチなことや下品なことしか書かなくなる。面倒くさいから。

 お客の立場で掲示板に立ち寄るのだって、こんな事考えざるを得ないんだ。まして掲示板のホストだなんて、俺にはまっぴらごめんだよ。実際、掲示板を主催してる知人が、自分のサイトの内容から掲示板に思わぬ波紋が広がったことで、かなり心を痛めているのを聞いたりしてると、何とも不自由なもんだなとウンザリせざるを得ない。掲示板のことでなくて、それ以外のコンテンツのことでこうだぜ? 思ったことも書けなくなる。ごめんだね。俺には自由であることがいちばん大切なんだ。好きで大切に思っていることには、本心を書きたいだろう?

 下品で言いたい放題ってのはその点いいよ。誰も止められないんだから。また、誰もマトモに言うこと聞いてやしない。だから何でも言えるんだ。僕の言うことを聞いてやろうという人しかわからないように発言するというのは、結構気楽でいいもんだよ。

 僕はいつでも物事の価値基準を、自由であることを最優先事項として考えているんだ。自由であること。これは本当に大切なことだ。何かを発言しようとするときには。

 そして、自由であるためには、やっぱり結構リスクをおかさないとねぇ。

 

何でも体験しなきゃ映画ってわかんねえのか?

 しっかし去年の映画と言えば、やれラストの秘密は黙っていてくれだとか、ネタバレはどうのとか、そんなのばっかで全くウンザリしたよね。果てはテレビで肝心のどんでん返しを放映しちゃった宣伝CFまで登場しちゃってビックリ。

 まぁ、それはさておき今年はどうかと言うと、あれほど大流行だった「秘密」は陰をひそめたものの、もう一つの気が重くなるトレンドがまかり通ってウンザリしている。いわく、「〜した人じゃないとこの映画はわからない」

 結婚した男じゃないとわからない、女じゃないとわからない。わからない、わからない、わからない。…確かにそんな傾向はあることはある。「フィールド・オブ・ドリームス」はいい映画だと思ったものの、公開当時いまひとつ僕の心に届かなかった由縁は、やはり親を失ったり親から離れた状態であの作品を見ていなかったからだろうと思う。去年の父親の手術を経て今あの映画を見たら、たぶん違った作品に見えるんじゃないか。

 だからといって、なんとかビューティーとかオールアバウトなんとか…みたいに、見た奴が鬼の首取ったみたいに、これはおまえらにはわからない…なんて吹聴するのはいかがなものか。上記のように、結婚した男しかわからない云々…を広げていっちゃったら、売春しなきゃわからない、殺人しなきゃわからない、麻薬打たなきゃわからない、強姦されなきゃわからない、幽霊見なきゃわからない…。そんなに何でもかんでも体験しなきゃ映画ってわからないのか。そんなことってないよなぁ。

 そんなわけで、そんなくだらない事とは無縁な映画を見たいとフト見たのが、この「どら平太」。何となく楽しそう、楽しいだけって感じのたたずまいの作品。おいおい、今度は「勧善懲悪」の映画なんてくだらないって? そんな肩肘張ってどうすんだよ。人生は短いんだよ。

 実は「どら平太」をすべての偏見から解放してあげて語るうえでは、もう一つの困った障壁があるんだね。それは日本映画ファンの存在。

 ここからは私の偏見大会になるんだけど、対象を日本映画に特定するファンってのは何だか他の映画ファン全般と比較して、偏屈であったり、すぐイデオロギー的発言をしたり、あまりに作り手との仲間意識が強すぎてヒイキの引き倒しになったり、逆に近親憎悪が講じて感情的な攻撃にはしったり…。まぁ、ハッキリ言って困ったもんだって印象があるわけよ(笑)。それでなくてもパイの小さい映画ファンの、さらにその中の小さい一切れってことになっちゃうものね。どうしてもそれなりのバランスが生まれてくるだけの意見のバラエティに欠けてくるし、マニアック度も高くなるから普遍性の点でも弱くなりがち、おまけに何となく少数勢力なものだからどうしても偏狭なものの考え方をしがち。で、やたら濃いだけで見識のあまり感じられない意見のるつぼ的状態に、つい他の映画ファンみんな日本映画には触れたくない、関わりたくない(笑)ということになる。つまり日本映画の話がイマイチ盛り上がらないのは、ひょっとして日本映画ファンのそんな態度に原因があるのかもしれない。

 で、案の定そういった日本映画本来のファンから、この映画はすこぶる評判よろしくない。…ということは、面白いのかもしれない(笑)。現に、珍しく洋画ファンからこの映画を見たという報告が多くあったし、結構好意的な意見が大勢を占めた。

 ならば私も見てみようか、つまんないナワバリ意識的イデオロギーによる映画論から離れて。…というわけで、ここで語られるのは私にしては珍しい日本映画新作「どら平太」についての感想なんだよね。

 

あえて汚名を着るには理由がある

 ある地方の藩でのお話。江戸から新たな町奉行として赴任するはずの望月小平太が、いつまで経っても出仕してこないところから、物語がスタートする。この小平太なる町奉行、実はかなり鳴らした遊び人で飲む・打つ・買う三拍子揃った人物。道楽者の「どら」ということで、「どら平太」との異名を持っているという、今回のお話の約束事がまずイントロで一通り語られる。言うまでもなく、この「どら平太」こそが今回の主役・役所広司の役どころである。

 この藩には「壕外」と呼ばれる治外法権の地域があって、そこでは博打、売春、密輸なんでもありの状態。しかし、そこを仕切っている三人の親分と城代家老をはじめとした藩の重職たちが結託。この「壕外」からの上がりで藩の財政を潤わせている以上、何ら手をつけることはできず、悪事の数々は放置されたままの状態になっていた。

 しかし、この「壕外」をこのままにしては藩政の改革はできないと、若殿の命を受けてやってきたのがこのどら平太なのだ。

 このどら平太の味方はというと、旧友であり藩の目付役である仙波(宇崎竜童)、安川(片岡鶴太郎)の二人。しかし、この二人はそれぞれ別々の立場でどら平太をバックアップし、お互いは決して信用してないみたいなのがイヤな予感。

 そして当のどら平太はというと、自分の悪評を藩内に流させて思いっきり敵の警戒を解かせるとともに、町奉行の職に就きながらも一度も奉行所に出てこない。当然、城内での評判は悪くなるわな。

 登城して城代家老らの前に現われるや、自分の任務は「壕外」の浄化であると宣言。重職たちが異議や不満をブツブツと並べ始めると、懐から取りだした殿のお墨付を読み上げて、自分は若殿から全権を委任された人間であると威圧する。まぁとにかく型破りな上に度胸も結構よくて、回りの人間はみんなこの男のペースで振り回され始めるんだよな。

 どら平太を味方する2人の中でも特に真面目人間の安川は、あんまり悪名を高くしないほうがいいのではないか、せめて奉行所には出たほうがいいのではないかと彼の身を心配する。その心配通り、藩の血気盛んな若者の中には「こんな素行の悪い町奉行は懲らしめねば…」とどら平太の命を狙う連中まで出てくるのだが、彼は一向に方針を改める気なんてない。城内のお偉い連中に気にいられたところで何の解決にもなりはしないし、そもそもすべてをひっくり返して勝負をしようという人間は、常に自由でなければならないということを彼はよくわかっているのだ。

 そう、何にも増して自由は大切だ。そして、自由を得るためには、あえて汚名を着なければならないときも、火中の栗を拾わなければならないときもあるんだよね。

 

肩の力の抜け具合がいい

 どら平太は遊び人風情を装って、外部の人間は入っちゃならない「壕外」の中にウロチョロと出入りするようになる。連日連夜派手に騒いで酒、女、バクチと興ずるうちに、この「壕外」の中にもどら平太と仲良くなってくる者が何人かできてくる。しかも、次には素行不良の新任町奉行・望月小平太として乗り込み、飲んで騒いで暴れたあげく、この一帯を牛耳る親分衆と兄弟杯を交すという暴挙に出た。

 ところが、何もかもどら平太ペースになってきたかと思ったそんな時、とんでもない珍客がやってくる。どら平太が江戸で深い仲だった芸者のこせい(浅野ゆう子)だ。彼女はどら平太が嫁をもらって落ち着くと聞いたので泣く泣く身を引いたのに、どうも嫁をもらう気配がないと察知して、この藩まで押しかけてきたのだった。これにはさすがに厚かましくもずうずうしいどら平太もかなわない。いいかげんなウソやら言い訳なんかどんどんひっぺがされてトホホ状態。いやはや、本当に男なんて女の前じゃだらしない。優しくて可愛くておとなしい女だなんて、こっちは相手のことを甘ったるくニヤケて勝手に思いこんでるもんだけど、マジに腹がすわると違いますよ(笑)。そうなっちゃうと男なんてホントに手も足も出ないよな。怒らないから本当のこと言って…なんて言うけど、正直に言ったら怒るに決まってる(苦笑)。

 それはさておき、こうした敵味方が入り乱れる中、どら平太の「壕外」浄化大作戦は、果たして成功するのか?

 ここまで見てくればおわかりのように、これはあくまで痛快明朗時代劇…だ。それ以上でも以下でもない。どうも日本映画ファンって潔癖症でマジメな人が多いのか、こういう楽しい以外の何者も入っていない作品は許せないみたい。そういう意味ではこれは実に空っぽな映画だよ。実際、この映画を評価するカキコをいくつかの掲示板で行なったら、食いついた食いついた、頭にきて否定したくてウズウズしてる奴らのレスが。

 まず、この作品のバックグラウンドとして、黒沢、木下、市川、小林の4大巨匠の遺稿シナリオだということがあるから、みんなすごく期待してしまうのかもしれないね。これ元々は、この4巨匠で1本のシナリオを書き、それぞれで部分部分に分けて撮って、後で編集で合体させるなんてマジで無茶な企画だったんだよね。できるわけないよな。

 でもそれにしては、加筆訂正が加わったであろうけれど、ちゃんとシナリオとしてまとまっていたのはかなりの驚き。上記のようなとんでもない企画だったから、シリアスな内容でなく単純娯楽作品を…と考えるのは自然な話だが、それにしてもここまで楽しくボケまくってくれるとは。考えてみれば黒沢、木下、市川はそれぞれスタイルは違えどお客を楽しませることにかけては一流のエンターテイナーだったし、比較的マジメ派と見えた小林だって、大作をつくったときのケレン味にはただのマジメ人間にはありえないシャバっけがあったよな。それに、日本映画どん底時代に抗しようと旗揚げした彼らの企画だったから、とにかくお客を楽しませなきゃ…という気持ちが働いたのかもしれない。

 そこで、単なる娯楽映画だからと目の仇にされてもねぇ…。これがアメリカ映画なら、そんなヤボは言われないだろうにね。

 でも、このメンツで娯楽映画っていうと、かなりな重量級スーパー・エンターテインメントを想起したくなるけれど、これはけっこう軽量級なんだよね。例えば日本映画にも文句なしのエンターテインメント時代劇の系譜はあって、例えば何といっても戦前の山中貞夫の作品「丹下左膳余話/百万両の壺」なんかゴキゲンなエンターテインメントで、今見てもモダンで楽しい。ハリウッドも真っ青だよ。でも、「どら平太」はそこまでは全然いってない。…と言うより、最初っからそんなのめざしてない。もっと肩の力抜いてつくってるんだ。で、その脱力具合が僕なんかには好ましいんだよね。

 市川演出はその洗練ぶりが生かされてて、時代劇のお約束ごとに今ふうでライトな感覚が混ざって力の抜け方がいい感じ。ただ、明るく楽しい娯楽作をもっと追求するために、さらにメリハリが利いたらよかった気もするけどね。そうすれば、終盤はニヤニヤどころか、アハハと盛り上がったんじゃないかね。それと、ヤクザの大親分の屋敷での50人相手の大立ち回りの場面に、スローモーションにストロボアクションみたいな効果を出したショットを入れたのも、ハッキリ言って無意味だったと思う。あそこは正直言ってこの映画の中で唯一寒かった。

 そして、この映画のメリハリの足りなさ、どこかボンヤリした感じは、音楽のせいではないかと思うんだよね。ボヤ〜ッとしたシンセ・サウンド。こういう音って映像に付けるの簡単なんでついつい多用してしまうけど、今回みたいに粋で楽しい映画をめざす場合にはもっと冒険が欲しかったな。リズムのない音楽は娯楽映画にはキツいです。

 出演者では役所広司はやっぱり圧倒的によかったね。僕は彼をテレビの安っぽい時代劇で見たときから、彼は時代劇に向いてると思ったもの。今回も、変に型にはまったような時代劇のお約束でもなく、だからと言って力み返ってことさらに現代的芝居というわけでもなく、肩の力を気持ちよく抜いて演じていて好感持てる。あと、出演者で意外によかったのは片岡鶴太郎。この人の役者としてのシリアス演技って実は僕は大嫌いで、変にマジな顔してカッコつけた顔を見てると、こいつ自分が二枚目だと勘違いしてるんじゃないかと頭痛くなってた。芝居もうまくなんかないし。ところが今回はそんな変な力みがないんだよね。これは見事だった。やっぱり演出家の力って大きいんだよね。日本人の役者で見てみると、本当にそのへんよくわかるわ。

 しかし、そんな市川演出をもってしても、どうにもならなかったのが浅野ゆう子。小股の切れ上がったいい女、男好きのするかわいい女をカッコよく演じるって、これがなかなか難しいんだなと痛感。おそらく、この年代のいい女優さんが枯渇しちゃってるんだろうな。一生懸命、たぶん脚本に書いてある台詞を一言一句変えずに、一行づつ演技指導されながら演じたのだろうけど、そんな不自然さが抜けなかったというかモロに出ちゃったのがツラかった。

 まぁ、確かに作品的にものすごく優れたってものじゃあないんだよ。でも、そこそこ楽しめる軽量級作品ってのが本当に少なくなっちゃってるし、実は今、映画ファンに最も必要なものなんじゃないかと思うんだよね。肩の力が抜けた、ただ楽しいってだけの映画が。

 そう…肩の力が抜けてるっていうことは、何よりも自由ってことなんだからね。

 

 

 

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