「アメリカン・ビューティー」

  American Beauty

 (2000/05/15)


 

筆者注

この感想文は、アメリカ映画「アメリカン・ビューティー」を高く評価し大切に思っておられる方々、また深く共感されている方々にとって、精神衛生上好ましからざる表現が数多く含まれております。上記に該当すると思われる方々は、ここから引き返してお読みにならないことを心からお勧めいたします。

 

 

 

 

 

歴代オスカー受賞作には忘れ去られた屍が累々

 今から何年前になるだろう、ある年のアカデミー賞受賞式のこと。その頃はまだ司会のビリー・クリスタルによるオープニングの歌のメドレー(笑)は恒例化していなかった。で、この年のオスカー受賞式のオープニング・アクトは何かというと、「フェーム」で主人公の一人を演じて主題歌も歌った女の子、「フラッシュダンス」の主題歌も歌ったアイリーン・キャラが舞台に立って、ゆっくりと感動的なバラードを歌いだしたのだ。

 いや、正確には彼女の歌だけではなかった。というより、こっちのほうがメインだったのだが、彼女の背景に配置された巨大なプロジェクターに往年のアメリカ映画の名作のクリップが次々と上映されはじめたのだ。

 どれもまずそのタイトル・ロゴが映り、次いで名場面が…しかし、それはただのアメリカ映画名場面集ではなかった。何とアカデミー作品賞にノミネートされながら受賞できなかったおびただしい作品群の目録だったのだ。そして、そのラインナップがまたすごかった。「スター・ウォーズ」、「レイダーズ/失われたアーク」、「E.T.」、「ネットワーク」、「ナッシュビル」、「2001年宇宙の旅」、「俺たちに明日はない」、「駅馬車」…最後にはあの「市民ケーン」に行き着くそれらの作品群は、どれもこれもアメリカ映画、いや、世界映画史に残る巨大な存在感の作品ばかり。なるほど、アイリーン・キャラが「敗者は決して負け犬ではない」…などと歌っているように、決して軽んじられるような作品たちではない。それどころか、比較するのは気の毒だがオスカーを実際に獲得した作品群、「愛と哀しみの果て」、「ガンジー」、「普通の人々」、「パットン大戦車軍団」あたりを考えてみると、ちょっとこれはおかしな話だよなと考えたくもなる。

 もちろん「タイタニック」やら「許されざる者」、「ゴッドファーザー」など、私自身それなりに価値を認めるオスカー作品賞受賞作もごまんとある(これにもみなさんそれぞれ異論があろうことは想像に難くないが、それやってるとキリないので先に行くよ)。しかし、正直言って大概のオスカー作品賞受賞作品って、ほんの何年かでパッとしないイメージになるって気がしない? 「イングリッシュ・ペイシェント」のこと、みんな今でも覚えてる?

 だから、例の受賞式でのフィルム・クリップつくったスタッフも、保守的で型にはまったオスカーの権威に対してちょっと反抗してみたかったのかもしれないね。こんなもの、何の価値もないんだよ…ってね。

 まぁ結局政治力とかアメリカ人、中でも映画人たちの思惑なんかで大きく左右されてしまう投票内容になっているんだ。元来、相対的な作品評価で選ばれるわけもないのだけれど、仮にそういう事情がなかったとしても、やっぱり結果は大きく変わらないのではないかと思えるんだよね。って言うのは、元々映画っていうのは水もの。その時その時の鮮度ってものがある。だから、後から見たらなぜだかまったくわからないけど、その作品が選ばれたまさにその時には、そうにしかなりようがない時代の気分ってのが確実にあるんだろう。

 そんな訳で、昨年の「恋におちたシェイクスピア」の感想文書いたときも同じこと言ったんだけど、ぼくはオスカー受賞作って言うだけで眉にツバつけてしまう。まぁ「恋におちた〜」自体は歴代オスカー受賞作の中では悪い映画じゃなかったけどね。それだって、今となっては印象はどうかなぁ? 先々長く残る名作だろうか?

 そこで言いたいのが今年のオスカー・レースで圧勝したこの作品のことだ。正直に腹の底から申し上げたいのだが、「アメリカン・ビューティー」なるこの映画、真に評価するに足る作品なんだろうか。

 

便器の蓋ぐらい閉めておけ

 実はこの映画、あんまり僕は面白いとも思わないし、第一好きじゃないんだね。こんな話題作じゃなければ取り上げなかったよ。

 ケビン・スペイシーの亭主、アネット・ベニングの女房、ゾーラ・バーチの一人娘が、空虚でがらんどうな家庭のなかで、てんでバラバラ勝手に自分の幸せ探しをおっ始めて全てをブチ壊していく話ってことは、ここで僕が改めて言わなくてもみんな知ってるよね。

 実はこの映画、見る前から食指がそそらなかったんだけど、それはなぜかっていうと、かつて家庭崩壊劇のブームってのがアメリカ映画に確実にあったからなんだよね。

 レッドフォードの初監督作「普通の人々」とか、「クレイマー、クレイマー」なんかがオスカーの作品賞とったころだ。それに先立つ「結婚しない女」など、突然妻が夫が別れようと言い出したり、何かが発覚したりして家庭が崩壊するというお話が続出。ひとつのブームになっていったんだね。この時代、あのアラン・パーカーだって「シュート・ザ・ムーン」なんて撮ってるんだから、いかにこの傾向が映画界を席巻していたかわかる。そうそう、スタンリー・キューブリックの「シャイニング」だって、そういう文脈で見れば違って見えること請け合いだ。

 で、何が言いたいかというと、「アメリカン・ビューティー」という作品の存在を知ってまず思ったのが、こんな家庭崩壊劇みたいな映画を今さらつくってどうする…というような感じ。それがまた、こんなにアメリカで受け入れられて、しかもオスカーまで取ってしまうなんて…。

 それで実際に現物を見てみたんだけど、これ、まず巷で言われているように家庭崩壊劇ではないね。妻も子供も心が離れてしまって…と描かれはするが、具体的に何が悪いのかは描かれない。すでに「悪いもの」として決め付けられて描かれている。特にアネット・ベニング演ずる妻はかなりカリカチュアライズされて滑稽に描かれており、単に点景としての存在でしかない。全編にわたってケビン・スペイシーの内面の倦怠ばかりが強調されている。これはあくまでスペイシーの内面で起きているドラマなのだ。ドラマの原動力がスペイシーが日常をブチ壊しはじめるところから始まることからも、それは明らかだ。スペイシーの人生リセット願望映画というわけ。僕はちょっと昔のエリア・カザン監督の作品、カーク・ダグラス主演の「アレンジメント」を思い出した。人生にある程度成功したはずの男が、突然自分の運転している車でわざと事故を起こし、それをきっかけにして一言も話さなくなり何もしなくなる…まぁ、何もかもしたくなくなるって気持ちは僕もわからないでもないけどね。

 それにしても、登場人物がどいつもこいつも、まるで生気のない冷たい目をしているのが本当にイヤな感じだ。特に娘役のゾーラ・バーチなんて何が楽しいんだかわからない顔してて、オッパイだけやたらデカい。それなのに豊胸手術でもっとデカくしようとしてる。あれ以上胸デカくなって暗い顔…なんてゾッとする。そういう意味では比較しては何だが、前の家庭崩壊劇の頃より、作品世界の持つ温度は確実にかなり下がっているんだろうね。

 じゃあ、あんまりこの作品について語るのは気乗りしないから、ズバッと手短に済ませようか。

 この映画は確かによくできてるとこもあるし、面白さもある。だけど、ハッキリ言って人生はクソだ世間は空虚だってことだけ言いっぱなしの映画なんてねぇ…。

 いや、その主張そのものは別に悪いとは言わない。でも、それをこの映画が発見したみたいに偉そうに言われてもね。

 だって、そんなこと誰にでも分かり切っていることだろう?

 しかも、それを登場人物の目の高さまで下りてきて語るんじゃなくて、高みの見物を決め込んで、「人生はクソなんですよ」って語る、そのことに何の意味があるんだ。

 この何とかいうイギリス人の監督(サム・メンデス、名前も覚えたくない。)、元々は演劇畑でいろいろ賞も取っている奴で、この映画第1作でオスカーも取ったんだって? 何でそんな奴に「人生はクソだ」なんて言われなきゃならないんだ。こいつにはシャレで済むことかもしれないが、俺にとってはヘタをすれば人生は本当にクソになりかねない。そこを何とか立て直しつつ、人の力を借りながらもやっていこうとしてるんだからね。そもそも、その作品を描く手つきに「僕ってお利口でしょ?」って思い上がりが感じられるのもイヤだ。人生はクソ…ね。それはわかった。で、何なんだ? だから何なんだ。

 いや、人生はクソでもいいんだけど、クソやりっぱなしで流さない、おまけに便所の窓閉めきりで臭いがこもっちゃって、便器の蓋も開けっぱなし…っていうんじゃ、あまりにだらしない。例えば君が女だったらこんな男と暮らしたくないだろ(笑)? いやいや、俺は違うぜ。違うはずだ。…違うように努力する(苦笑)。

 いや、ひょっとしたら…あの映画の中でみんながかくも冷え切っていた理由も、この便所の蓋を閉めた閉めないの問題が原因だったのかもしれない(笑)。いわゆるシモの事っていうのは人生の基本だな。

 それはともかく(笑)、何のビジョンもなくてクソは臭いってだけのことを言うのに2時間以上かけてる映画なんだからねぇ、これは。

 そんなの言われなくたってわかってる。みんなクソぐらい毎日してる。俺なんか健康のために色まで観察してるんだから。これはガンの早期発見に大事だよ。

 

共感している妻帯者男性諸君、あなたはダマされている!

 まったくクソ、クソって何回言ったんだ、ひどい文章だねこれは(笑)。繰り返していうけど、これはこんなに話題にするほどのことはない映画だよな。だけど泣く子も黙るオスカー受賞作だし、日本じゃ何と言ったってオスカー受賞作って絶対なんだよね、なぜかわからんけど。

 それに題材から言って、中高年層の方々、特に一部の妻帯者男性を中心に異常に強い共感を集めそうなこともわかる。で、これ言ってしまうと結婚もしていない人間に何がわかると言われそうだけど、男って寂しくって悲しい生き物なんですよなんて、自分の首筋にキスするみたいな自己憐憫をぶらさげて欲しくないな。

 俺、イヤなんだよ自分にもあるそういうとこ。ケビン・スペイシーが毎朝シャワーでやってるのより、タチの悪いオナニーだと思う。要するに慰めてくれって言うことになってしまうじゃない? できれば若い女なんかに身も心も。こういう日頃不満を抱いている人たちの肩をチョンと突ついて、自分を思いきり憐れんじゃっていいよ、君のほうが正しいんだからね…って媚びを売る、腐臭ふんぷんたる映画がこの作品なんだよな。でも、もちろんそれは商売のためだけどね。こういう日常に不満持つ男性を中心とした中高年層が世界最大のマーケットになりえるという、周到なマーケティングの末にできあがったものじゃないか?

 この映画を見てダマされて共感しちゃった人たちが、大量同時多発的パブロフの犬のようにウジャウジャ出現してくるのかと思うと困っちゃう。男はツラいんだよ、特に妻帯者の男は。…そりゃ大変(笑)。でも、それ言うなら女もガキもみんな同じにウンザリしてるんじゃないか?

 俺はハッキリ言わせてもらうけど、フェミニストなんてもんになったことはない。「アリーmy love」って大嫌いだし(笑)。大体が男社会にどっぷり浸かった男なんだよ。でも、こういうのは好きじゃないんだよねぇ。苦労を知らない独身男が何言っていると非難ごうごう覚悟の上で言わせてもらえば、共感するのもいいけど一人ひとりが背景に抱えてるバックグラウンドは全然違うはず。問題点もバラバラ。それが一様にこんな型取りしたプラスチックでできたような安っぽい映画で共感できちゃうって、どこか変だと思わないか。

 …と思ってこの映画よくよく見てみれば、この家庭が、そしてスペイシーの演じる主人公が、どうしてこうなったのかの理由の部分はきれいさっぱり欠落しているんだな。だから、見る側が勝手に自分の事情を当てはめて見れちゃう。空き箱みたいにがらんどうにつくった映画。そこがそもそも安易なつくりだと思えてしまうんだよね。ズルいと言い直してもいい。つまり「共感させる」ことを前提に罠をつくりこんである大量生産の工業製品みたいな映画なんで、そもそもが深みも真の心の痛みも何にもないカラッポで空虚な映画だと思うんだよね。ダマしなんだよ全部。

 どこかの掲示板で、自己逃避映画よりもこういう「アメリカン・ビューティー」みたいな映画も見なくちゃあ…みたいなことを言ってる人いたけど、そもそもこの映画自体が、巨大な自己逃避マシーンなんだよな。 

 思いっきり自分を肯定して開き直っていいんだよ…なんて甘い言葉に乗りたくなるのもわかるけどさ。男の反骨精神ってそんなもんだろうか。社会や既成概念に反抗したいってなら、こんな映画にそそのかされてじゃなくて、自分の意志で、キッチリ物事ケリをつけてやりたい。自分ちで壁に食器ぶつけて割るなんてショボいかたちじゃなくってさ。だから、この映画はそういう意味で「男の踏み絵」だよ。

 まずこの映画の監督、脚本家がこんな人生観を本当に持っているかどうか。そのあたりから俺は疑うべきだと思うよ。結構うまいもん食っていい女抱いてバンバン遊んでたりするんじゃないか、こんな映画でダマして世界中の連中から巻き上げた金で

 予告編で使われていたザ・フーの曲はなかなかよくて唯一のお楽しみだったのに、これ実は本編では使われておらずガックリ。入れてほしい要素は何も入ってなくて、入ってなくてもいいものばかり詰まってるスッカスカな映画なんだよな、これって。

 

 とにかく男性諸君、用を足した後、便器の蓋は必ず閉めておくように(笑)。クソは臭うからな。

 

 

 

 

 

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