「ザ・ビーチ」

  The Beach

 (2000/05/01)


ネットのどこかにきっとある

 今やってるウチのサイトの特集じゃないけど、ネットでホームページとかやってるといろいろあるよね。特に今年入ってからウンザリすることばかり。つい先日も知人がホームページを立ち上げて、みんなで楽しくお祝いした。せっかくいい気分で掲示板なんかやってたんだけど、何だかおかしな輩が現れてね。どうせ実社会じゃマトモに相手にされないようなゲス野郎なんだろうがね。

 だけど、こんなバイ菌や寄生虫どもがウヨウヨしている中でも、奇跡的に無菌状態みたいになっている掲示板とかもあって、それはそこの常連になれば楽しいだろうね。

 実は僕はどこかでも白状したように、実は掲示板ってあんまり好きじゃないんだ。あれだけいろんな所にカキコ(実はこの言葉も大嫌い)していながら、それはないだろ…って? 確かに楽しいことは楽しいんだけど、何だかね。

 最初、僕がネットの世界に入ってきたとき、この掲示板ってのがよくわかんなくってね。面白そうと思うこともあったけど、大半の掲示板ってのが何だか排他的でさ。内輪だけでチマチマ楽しんでて、クラ〜い感じ。で、僕が怖々足を踏み入れたのが、いわゆるツリー型の掲示板。誰かが書いたコメントに、みんなが次々レスしていっていいやつ。必ずしもホストが出てこなくていいから、楽しいよね。で、ここで味をしめた。颯爽と外のいろいろな掲示板に出かけていった。で、そんな調子でいいんだと思って、勝手気ままにカキコしたんだけど、これがよくなかった。まず僕の鼻っ柱を叩き折るようなパンチをお見舞い。不意をつかれてフラッとなったところを、みんなでボカスカ。あれは言葉のリンチだよね。

 僕は悪気なんかなかった。ただやり方を知らなかっただけなんだ。さすがに傷ついたよ。ただ、知らないだけの奴だっているって、ネットの世界の住人は想像もつかないのか? みんな生まれたときからパソコンやってるみたいに自分を錯覚しちゃってるんだよね。

 マナーがなってないとか何とか言うのがこういう連中の常套句なんだけど、そのマナーってのが誰が決めたかわからない。決して街を歩いているだけではお目にかからないマナーだぜ。しかも、そういう奴に限ってネット上で意外とひどい言動をしてたり、実際に会ってみると常識のない言動したりする。一体どうなってるんだ。

 僕だって私生活やネットを問わず、いつも常識的な正しい言動してるわけじゃない。だから、つい枠をはずれることがあってもいいと思うよ。そうしちゃった人を一方的に責めたりしない。問題にしたいのは、あの有無を言わさぬ袋叩き状態だ。

 僕はスゴスゴ引き上げたけど、ひどく屈辱を感じた。その後、同じ掲示板をのぞいてみると、常連たちの勝ち誇ったようなコメントが嬉々として並んでいた。あまりにもひどい。これは「荒らし」なんて言われる奴らより、実はひどいことじゃないのか。

 先に書いた掲示板とそれを中心にした映画ファンたちの集団とは、その後ひょんなことから合流することになった。そのときには自分の拙いサイトもそれなりに知られるようになり、みんな噂で私のことを知るようにもなっていた。そうして再び私が迎えられたときと言ったら!

 まるでそれは、北朝鮮が国連に加入を認められたようなものだった。みんながみんな僕を罵ったわけじゃないから、すべての人を毛嫌いはしない。中にはずいぶん私に思いやりを見せてくれた人もいる。だが、僕を罵った連中が、まるで何もなかったかのように手の平を返して接してくるのだけは耐えられない。「Fさん、Fさん」って。やめろ、近づくんじゃねえ! 俺は自分を罵った奴らを覚えているし、許してはいるが決して忘れはしない。それをおまえらも覚えていることだ。決して俺はおまえらと同族ではないからな。

 今は僕が言いたい放題しても喜んでくれてはいるが、それは俺が「お仲間」になったということだろう? それって何なんだ。おかしいとは思わないのか? この排他的な「談話室」のあり方そのものが。

 実際、いろんな掲示板でちょっとした勘違いで「撃退」されていく人たちを見てきた。確かに彼らの言動は無思慮だろうが、それを言うおまえたちはどうなんだ。僕はそんなとき、こんな醜悪な人々の群の中に、同じように自分がいることが無性にイヤになる。僕は別だと叫びたくなる。

 しかし仮に悪意がなくても、そんな「撃退」に一役かってしまうこともあるんだよ、ネットの世界ではね。実は僕もそうだったんだけど。そう、確かに自分もそれに一役買ったりした。善意からでもそういうことは、きわめて簡単に起きる。そこが怖いとこでもあるんだよね。

 それでも、居心地のいい掲示板にはいくつかレギュラーになって居着いてしまった僕だが、時に自分のことを客観的に考える時がある。周りから見て、ビギナーから見て、僕は昔自分が思ったように排他的で鼻持ちならないネット野郎みたいになってやしないか?

 よく、こうした輪の中にいると、「ここで知り合った仲間はみんな素晴らしい」と口々に言う。それには俺も部分的にだが同意しよう。かけがえのない人たちと何人かこうした環境の中で知り合った。彼らとはつきあいを続けたい。だが、みんなそうか? みんないい奴か? また会いたいか? 本当のことを言えよ!

 それよりも掲示板とかネット映画ファンの掟、マナー、仲間の輪の中で、薄気味悪く連帯していくことが健康的なことと言えるか? どうだ、どっちなんだ! 俺は人間として個人と個人で連帯したい。「輪」や「マナー」や「掟」ではなくて自分の責任で。

 だから、掲示板には複雑な気持ちになる。荒れたものになっては目もあてられないが、波風立たない掲示板にすれば、それは純粋培養の無菌室みたいなもの。そんなの果たしていいことなのか?

 問題なのは無菌状態の中に「荒らし」みたいなバイ菌や寄生虫が入り込んでくることではない。我々自身、その掲示板に「選ばれし者」のほうにこそあるのではないか?

 なぜなら、我々こそがバイ菌や寄生虫なのだから。

 

レオの海岸物語(笑)

 「ザ・ビーチ」の悪口ってのは一体いつ頃から聞こえてきたんだろう? ひょっとすると、映画の製作発表の時からもう駄作の烙印が押されていたのではないか? 

 4月に入ると街にはベタベタとポスターが貼りだされ、イヤが上にもゴールデン・ウィーク期待の大作という雰囲気が盛り上がってきそうなものなのに、何だかだれ一人映画を見る前からこれは駄作と決めてかかっていた

 でも、俺も偉そうなことは言えない。実は自分自身そうだったんだから。でも、やっぱりそれはそうしちゃうよね。いけないことだとわかっていても。

 私がそれは間違いだと気づいたのは、自分でネット映画ファンを批判する文章を連発し出した頃からだった。いわく「見る前から内容を決めてかかるなら、映画なんて見る必要がない」。ごもっとも。なのにわかっていながら、なぜ俺は同じ事をしていたんだ。恥ずかしくなる。

 では、なぜこの映画はかくもケナされなければならないのだろう。理由はありすぎるほどある。

(1)レオナルド・ディカプリオの新作だから。

 これが最大の理由だろう。「タイタニック」でスーパースターになった、いや、悪意を持って見れば「成り上がった」ディカプリオのコケる姿が見たいというのが、まぁ大方の期待ではないか。あと、ミニシアター系の映画ファンなどは、この名を見ただけでバカにしようと身構えていることだろう。途中に「仮面の男」が挟まってはいるものの、あれは賢明にも大物男性スターを大勢揃えてディカプリオの存在感を隠していた。今度は文句なしの一枚看板。叩くのに不足はない。

(2)ダニー・ボイルの映画だから。

「トレインスポッティング」の鮮烈なイメージで前面に出てきたダニー・ボイル。「普通じゃない」でハリウッドに進出したが、これはいたって扱いが地味。今度はドドーンと大作感があって、これまた叩くのに不足なし。「トレスポ」気に入ったミニシアター系ファンが、堕落だとケナすのは火を見るより明らか。大体ミニシアターでいろいろ映画が見れるようになったのはファンとしてはうれしいが、ミニシアターに偏った歪んだ映画ファンが生まれたことは、日本の映画状況を10年は遅らせているよ。それまでレギュラーだったユアン・マクレガーが「金に目がくらんで俺を下ろし、ディカプリオにはしった」云々とマスコミに語ったことも、心の狭いミニシアター・ファンには力強い援軍。マクレガーがどこかでペプシのキャップになってたことはみんな忘れてる(笑)。

(3)ディカプリオとボイルの作品だから。

つまり、キンキラ金の臭いがしそうなスターのディカプリオ(しかも「タイタニック」一発の成り上がり)と、「トレスポ」でこれまたハリウッドに成り上がろうとセコく立ち回ったダニー・ボイルが組んだ作品だから、叩かなければいけないのだという映画ファン的使命感(笑)、そしてよく映画は知らないんだけど、わかってる顔をしたい若造ねーちゃんの思惑が美しくも奇跡的に一致。本来、一本の映画が隅から隅までまんべんなくケナされるはずなんてないのに、これだけはボロクソに叩かれる結果となったのだろう。しかも、「タイタニック」以降のキンキラ・スターイメージのディカプリオ・ファンは、夏のレオ様の娯楽大作を見に来たのに難しくてスカッとしない「トレスポ」監督の映画を見せられるし、「トレスポ」が好きになるようなファンにはディカプリオの顔がそこに映っているだけでイヤ。どう考えたって誰も楽しめない映画になってしまったのだ。

(4)良心的映画ファンの立場から見ると。

かくして、わずかながら残る良心的な映画ファンの立場から言ってもこの作品は不利だ。なぜなら、「ウォーター・ワールド」など海を舞台にした期待の娯楽大作映画で最近ロクなものがない。まして、ストーリーがよくわからない段階での物語の雰囲気というか予感は、どことなくあのつまらない「6デイズ・7ナイツ」に何となく似ている。何と言ってもディカプリオしか出てないみたいで、ロバート・カーライルがチョイ役で出るらしいが、キャストも何となく弱体に思える。第一、「トレスポ」で曇ったイギリスの町並み撮ってたダニー・ボイルが、晴れた美しいリゾートなんか撮れるの?

 

 オーケー、オーケー。ごもっとも。これだけ揃えば文句ないや。どう考えてもいい作品のわけはない。道理でみんながケナすわけだ。だけどね、俺はあまのじゃくのせいか、これだけケナされると違うんじゃないかって思えてきたんだよね。だって、映画ファンがみんなケナしてるんだろ? だったら面白い可能性があるぜ。

 だって、俺は映画ファンなんざ、はなっから信じちゃいねえもん(笑)。

 

西欧甘ちゃんどもが途上国でドツボ映画

 暑苦しくて湿気が強そうなバンコクから、お話は始まる。我らがディカプリオは、何だか平凡な日常がイヤになって、何かエキサイトメントを求めてタイに来たとブツブツ言ってる。もう、おわかりだろう? ベルトルッチの「シェルタリング・スカイ」や去年の「ブロークダウン・パレス」にも出てきた、西欧の若い甘ちゃんどもが聞いたふうな理屈ヌカしてヨソに行って、ドツボにハマるお話。もう、この手のお話は一つのジャンルを形成するほどいっぱいあるよね。で、バカじゃないの?と思うでしょあなたも。そう思ったら、あなたもこの物語の仕掛けにハマってる。

 強がってくだらないことを「冒険」どと言ってやってはみるが、別にナニも世界が変わりはしないのだよね。そのうち、だんだんそれに気づいてブルー入ってくるディカプリオ。何か面白いことねえのかよ?

 同じ汚ねえホテルに同宿するきれいなフランス人の女の子に目が奪われるが、彼女はすでに売約済み。女の子はヴィルジニ・ルドワイヤン。すでに台湾でエドワード・ヤンの「カップルズ」にも出ているから暑さと湿気はお手のものか? 男のほうのギヨーム・カネは知らない俳優だけど、この女がじきにディカプリオのものになって、男が用なしになるってことは最初から察しがつく。

 でも設定上それはディカプリオ気づかないことになってるから、一応ナニがたまっててホテルで悶々。すると、何だか暴れ回ってる音がするじゃないか。誰だ誰だ。待ってました! 今一番ノってるキレてる男、ロバート・カーライルのお出ましだ!

 彼はディカプリオの隣の部屋に泊まってて、いきなり部屋どおしの仕切りになってる天井近くの網戸ブチ破り、ディカプリオに話しかけてくる。ディカプリオも普段ならこんなむさ苦しい男願い下げだろうが、何しろ向こうじゃフレンチ・カップルがバンバン骨がきしむほどセックスやり放題でクサクサしてたとこ。カーライルの与太話に飛びつく。

 こいつが言うには、海の向こう誰も知らない入れない場所に、ウソみたいにきれいな「ビーチ」があり、そこじゃマリファナが群生して吸い放題。みんな一生楽しく暮らせるとか。だけど、バイ菌どもや寄生虫どもがウヨウヨやってきて…くそったれ! 話しながらもキレてくカーライル。興味惹かれながらも話をそこそこに切り上げるディカプリオに、カーライルの話をマトモに受け取る気なんてさらさらない。一晩のお慰み。

 と思ってたらさにあらず。翌日、ディカプリオの部屋にはカーライルから届けられた封筒が! 中には「ビーチ」の地図が! もっと驚いたことに、カーライルは自分をナイフで滅茶苦茶に傷つけ死んでいるではないか。何? もう死んじゃったの、カーライル?

 で、ディカプリオはその地図持って、例のフレンチ・カップルに「ビーチ」へ行こうと誘うわけ。確かにアドベンチャーには飢えていた。だが、そこに助平な下心がなかったとは言わせねえぜ、レオ! 俺たち男ならみんなお見通しのことさ!

 結局、その「ビーチ」がある島の間近に浮かぶ島まで行って、そこから泳いで渡るって計画になるんだけど、その前に一晩、別のアメリカ人観光客と飲んだのがいけなかった。つい「ビーチ」のこと知らせたくなって、地図の写しをそっと彼らのホテルの部屋に置いてきてしまうわけ。バカだねぇ。

 そんなこんなの揺れ動くディカプリオの気持ちは、フレンチ尻軽女ルドワイヤンへの態度でもミエミエ。星なんざ見ながらスカしたこと言うんだけど、結局ヤリたいってこと見透かされ。

 「人はこれぞという相手を見つけると、さも相手が“理想の人”と思ってその理由づけするけど、そんなの無意味なんだ」などと、知ったふうなこと負け惜しみのカッコつけにホザくディカプリオ。でもなレオよ、おまえはわかってない。俺もそう言って今までウソぶいてきた。だけど、それはそんな相手にたまたまブチ当たってなかっただけのことなんだよな。…このあたりで、ディカプリオが過去に何かで傷つき、それで世の中にフテくされてバカにするようになり、ここまで流れてきたことが浮かび上がってくる。ならばこいつバカな若造と見下してはいたが、ここでちょっとこっちも見方を変えてやらねばなるまい。

 そういう話とくれば、レオはオレ、なのだから(笑)。

 

楽園は遠きにありて思うもの

 海をヘトヘトになりながら渡る三人。これはレオならぬオレには真似できないなぁ。泳げないんだよ。で、問題の島を散策すると、噂の大麻群生を発見するが、それはヤバ〜いお兄さんたちが育ててる畑。危うく銃でブチ殺されそうになりながら退散する。キモを冷やし、内輪モメしながら島を行く三人。こういうとき男ってやたら勇ましいこと言いながらクソの役にも立たないんだよな。結局ここぞと言うところはルドワイヤンちゃんがシメて、そこに謎の男が現れて「ようこそ、ビーチへ!」

 ビーチ…だか、何だか知らないが、ここは世界各国から来た「自由な精神とありきたりの観光に飽き足らない真の旅人・自由人」と自称するような連中のコミューンと化していた。みんな、何らかの理由でここまでたどり着き、ここの魅力の虜になったんだよな。

 ここにいれば、年がら年中遊び放題。環境を壊さず自然と共生しながら、物質文明から距離をとり自給自足生活で、楽しくストレスなしで暮らせる理想郷。地元の大麻畑を経営しているヤバい連中とはきわどいバランスで何とか共存している。お互いのジャマをしないという条件付きで。

 だから、よそ者が入ってくることは簡単には認められない。自分たちのような「選ばれし者」でなければ。どうやらディカプリオたちは認められたらしい。で、彼も地図の写しを人に渡したとは言えない状況になってきた。

 それからの毎日は夢のよう。何にもイヤなことしなくていんだもの。一生ここにいるぞ。ここの支配者である、ちょっと偉そうな女ティルダ・スウィントン(「オルランド」の男オンナ役が印象的だったね。)は秘密保持に熱心で、歯痛で苦しむ仲間を断じて島から出そうとせずに無理矢理抜歯してしまったが、それにもディカプリオも意義はなかった。だって秘密が大事。外の世界に知れたら、俺たちみたいじゃない俗物の人間たちが入り込んで来ちゃうんだから。

 そのうち、予想通りルドワイヤンちゃんがディカプリオにお肉体を投げ出してきた。前のカレシはお払い箱。気の毒だけど仕方がない。しかも、ディカプリオはビーチで魚を捕っているうちにサメと遭遇。死ぬかと思ったが子供のサメだから何とかしとめ、みんなの賞賛の的になる。もう鼻高々。ゴキゲン。絶頂。パーフェクト! 俺の人生、まるで満月のように欠けたところのないすばらしさだ。

 しかし、良いことはいつまでも続かない。街に買い出しに行かねばならず、ディカプリオは女リーダーのスウィントンにじきじきお供を命じられる。

 ディカプリオが女リーダーと街に出ることが決まると、コミューンの一同が一斉に彼に頼み事をする。やれタンポンを買ってこい電池を買ってこい石鹸を買ってこい新聞を買ってこい。結局ここの人間は物質文明から離れた自給自足と言っても、最後は何かとその物質文明に頼る、都合のいい理想郷の住人なんだということが明らかになる。このあたりからだんだん見えてくるのだ、「トレインスポッティング」のダニー・ボイルらしい皮肉な視点が。

 女リーダーと街に出てみると、ゴミゴミ、ギラギラと俗悪で耐え難い。やっぱりこうした俗物とは違う俺さまはあのビーチじゃなくっちゃ生きられない…なんて、ふざけたことホザくディカプリオ。だが、ビーチに出発する前に一緒に酒を飲んだアメリカ人観光客がディカプリオに親しげに話しかけてきて、彼がビーチのことをバラしたことが女リーダーの耳に入ってしまう。ヤバい。

 でも、そこはそれ大人の対応だ。女リーダーが要求したのは取引き。バラした件は秘密、その代わりディカプリオは義務セックス。この女リーダー、ハナっからそれを狙ってたのだ。激しく一発やった後で、「ゆっくり休んでね、朝またしたいから」なんて女に言われたらどうです? 俺、ちょっと願い下げだな。やりたいからするのと、させられるのは違うよね。まぁ、今もう僕のカラダは全然ダメになっちゃってるけど(笑)。

 戻ってからしばらくすると、メンバーがサメに襲われるという悲劇が起こる。死んじまった奴はいい。だが、大怪我した奴がいるのに医者を呼ぶことができない。女リーダーがそれを許さない。閉ざされた理想郷、それは誰にも犯させない。なぜなら、その中でこそこの女リーダーが絶対権力を振るえるのだから。このへんから物語は歪んだものに変わっていく。

 そのうち、一人怪我人がうなっているだけで気が滅入るとばかり、建物から出されてテントに置き去りにされる。それで表面上は前と変わらず楽しい毎日。機械文明・物質文明に頼りながら、それとは離れたところで無縁のふりをして楽しむ生活。苦しんでいる仲間を目の前から消し去り、楽しいことだけ追求する生活。どう考えても欺瞞としか思えないビーチの生活なのに、そこに慣れきったディカプリオには、それがわからなくなっているのだった。

 だが、例のアメリカ人観光客どもが地図を持って島にやってきたときには、ディカプリオももう関係ないとは言えなくなっていた。コミューンから離れて連中を見張るように言われたディカプリオ。やがて、ルドワイヤンに女リーダーと寝たことがバレて、ますます孤立の度を深める。そんな絶望と孤独のどん底に落ちてみると、意外にこうした孤立生活もいいんじゃないかと思ってくるから不思議。だって、もうクソ面倒くさいビーチの女リーダーの掟に従わなくてもいいんだもの。そのうち現実感覚さえ失われてくる。森の中をディカプリオが歩き回るテレビ・ゲーム画面(笑)が登場してくるあたり、とても象徴的だし、これまたいかにも「トレスポ」の監督らしい処理だ。この場面ホント笑っちゃうよ。

 そのうち、だんだん狂ったロバート・カーライルの気持ちが理解できるようになってくるし、第一似てくるディカプリオ。それどころか、カーライルと親しく語っている気にさえなってくる。そして、大麻栽培のヤバい連中の回りをウロウロし始める。何だか「地獄の黙示録」をも思わせるこのくだりを見ていると、この作品がコンラッドの「闇の奥」に影響を受けていることは明らかなんだろう。そう言えばお話の冒頭にも「地獄の黙示録」が出てくるもんな。

 やがて、ずべての均衡が破れる瞬間がやってくる。アメリカ人観光客がうっかりノコノコ大麻畑に顔を出して撃ち殺されるところから、事態は急展開。楽園は悪夢にまっしぐらだ。

 

 ラストは文明世界に復帰したディカプリオが、インターネット・カフェ(!)でメールを受け取るくだりで締めくくられる。彼はそこで、あの懐かしいビーチでの楽しげな写真を、別れたルドワイヤンから受け取るのだ。それは楽しげだ、写真に撮って、ネットを通して、コンピュータ・ディスプレイに映して見れば…だ。

 楽園は遠くにありて思うもの。そう、理想郷は必ずきっとある。ただし、それは決して目に見えるかたちでつくりあげることなんてできない。

 それは、自由な人間の心の中にだけあるものだから。

 

 

 

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