「ボーン・コレクター」

  The Bone Collector

 (2000/04/24)


もう崖っぷち、もうダメ…となったとき一発大逆転

 神様とは意地悪なもの…と本当に私は思う。

 次から次へと何でこんなことが起きるんだとクサっていく自分。そりゃあ世の中にはツイてない人、ひどい不幸にあった人はゴマンといる。だが、自分がドツボにハマったと思っている人間にそんなことを考えるゆとりや余裕は毛頭ない。小学校で集中的なイジメにあっていたときも、付属校でそのまま上に上がれるものをわざわざ蹴ったら全部落っこちて浪人になったときも、すごくいい雰囲気だった職場に頭のおかしいヒステリー女が入り込んで周囲を滅茶苦茶にし始めたときも、そして安定した職場を蹴って外に出たとたんボコボコにされたときも、そして一貫して女に生皮はがれるような思いを味あわされてきたときも…正直、私はボヤきまくっていたよ。で、どうにも先が見えないんだよな、そういうとき。

 ただ、ツイてないツイてないとボヤく私ではあるが、心底絶望しているかと言えば、意外とそうじゃないんだな。実は僕はそういう意味では変な自信がある。決してヘバらない「ダイ・ハード」な奴だって自信が。これ矛盾してるでしょう?

 なぜかって言うとね、いつも私はツイてないってボヤいてはいるんだけど、実は本当はすごくツイてる人間かもしれないって思えるからなんだ。

 いつもいよいよ崖っぷちのクリフ・ハンガー状態になると、なぜか危機一髪大逆転なことが起きる。イジメでいよいよお終いと思う寸前、イジメてた奴の一家は夜逃げ。大学受験も2年間までと決められて、受けた大学ことごとく落ちまくり、あと1校というところでセーフ。一緒に働いていた人が裏切ったときも、猛烈巻き返しで自分の次の職場決まるまで何とかつないだ。職場が滅茶苦茶、自分もヒステリー女のターゲットにされて辟易してたときも、1年我慢したら新たな仕事が始まって、気がついたら職場でナンバーワンの売り上げをあげて誰も僕に文句言えなくなった。まぁ考えようによっては女のことも、今まで僕が相手にしてた女たちでは、うまくいくはずもなかったんだよな。なまじっかあんなのでどうにかなってたら、それこそ高い代償払わされる羽目になったろう。そう考えてみれば、いつも危機一髪でセーフなのだった。

 しかし、そうは言ってもこの強運、いつもギリギリ。私が自分の状況に絶望しかかり、もうダメだと思いそうになるまで作動しないんだよな。本物の絶望感を私が味わうまで救われない。神様が意地悪だというのは、そういうわけなのだ。

 実は今回もそんな感じ…というか、今回はもっと手強かった。一見安定しているように見えはしたが将来性がない職場を出たはいいけれど、それから渡り歩いた職場はなかなかツラいものだった。ここはいい…と思ったところは、よくよく見てみれば全部ウソでイカサマ。それが判ったときには自分は孤立無援で中国の小島に独りぼっち。あらゆる辛酸なめつくし帰国してみれば、自分の立場は急転していたり…。年齢と不況という、自分にはどうすることもできない要素もからんできて、こりゃーいよいよ今回ばかりはどうすることもできねえかと、マジでキレかけた。私生活もどん詰まり。親も自分もいい歳こいて、もうこうなりゃどうにでもなれ…とヤケのヤンパチ。あんなに一生懸命キャリアアップを図ろうとした仕事もいいかげんに放り投げ、安い金でも暮らしていけりゃいい…と、ただただ時間つぶしみたいな会社勤め。また、関わる女関わる女どうしてこうもおかしい奴ばかりなんだ、こりゃ何かの陰謀じゃないかと疑いたくもなる女性関係のひどさ。何をやってもうまくいかねえな、俺の人生もう失敗だったって結論が出ちゃったな…と、すべてをあきらめきった、はずだったのだけれど…。

 そのいよいよあきらめモードに入ろうというそのときに、今回もなぜか思いもかけぬ援軍が現われた。それもパソコンのディスプレイの向こう側、電話回線を通じてやってきたのだった。俺はもうすべてをあきらめて、いよいよ破れかぶれになろうというところだったのに。そうなれば楽だったろうにな…とも、ちょっとは思うよ。だって積極的に人生と関わろうとすることは、結構タフなことなんだ。でも、車輪は回り出してしまった。

 人生とはまこと皮肉なものだ。それとも、それがこの俺の運命なのか。そうねぇ、今度ばかりは私も真の運命論者になっちゃったよ。だって、そうとしか思えない展開なんだもの、どこから見ても。

 そんなことを改めて考えさせられたのは、デンゼル・ワシントン主演の一見猟奇サスペンス、「ボーン・コレクター」を見たからなんだけど。

 

人生斜に構えて見てる屈折した者どうし

 今はやりのプロファイリングだっけ? ニューヨーク市警の警官で、犯罪心理学とかデータ捜査の天才がデンゼル・ワシントンの役。ところが、ある不幸な事故から首から上と指一本を除いて全く動かない身体に。彼はハイテク・ベッドにパソコン装備で外界とは電話回線でつながれてはいても、不自由で虚ろな毎日であることには違いない。しかも、最近、周期的に発作が彼を襲い、意識不明になることも。彼がいちばん恐れているのは、この発作が高じて植物人間になることだ。いっそそれなら自分の命を…と安楽死を望む彼に、友人の医師も説得する術を持たない。頭脳明晰な彼ではあるが、もはや人生の全てに絶望しているのだった。

 もう一方でやはり孤独な影を抱いた女が一人。このたびめでたく若くしてオスカー助演女優賞に輝いた逸材アンジェリーナ・ジョリーが演じる、ペーペーのパトロール警官がその人。ガッツもやる気もあるはずなのに不完全燃焼で、現場でも軽んじられるいわゆる「お巡り」。恋人との関係もこれまた不完全燃焼で、そのせいか自ら願っての少年課への転属も間近。しかし、彼女が警官になったこと自体に、実は深い因縁があるのだが…。

 そんな彼女がブチ当たったのが、何とも胸クソ悪くなる猟奇殺人。発端はある少年の通報で、街のはずれの廃列車軌道の線路に、砂利に埋もれた奇怪な男の死体。しかも近くのアムトラックの線路上には、砂のような粉末が一山と、古くなったビスが一個。そしてこれまた古い印刷物の小さな紙片。こりゃ重大な証拠と思ったジョリー巡査は、突っ込んでくるアムトラックの汽車を必死に止めて、「写るんです」(笑)を買ってきて現場写真をバシバシ撮りはじめた。だが担当の偉い警部はてめえが無能なのを棚に上げて、彼女をバトウしまくり。ムカついてもじっとがまん。

 殺されていたのは、空港からタクシーを拾ったまま消息を絶った男。実はこの時、男の妻も一緒に消息を絶っていた。妻の命も危ない!

 そこでニューヨーク市警のお偉いさんからワシントンに協力が要請される。ジョリーが撮影した写真とさまざまなデータを携えて刑事たちがワシントンの元にやってくる。そんな話を持って来られても…などとボヤいてはみたものの、この手の事件を見ると血が騒がずにいられない。人生何も興味ないとうそぶいていたワシントンが、やれ死体だの骨だのという気色悪い話題を口にしながら変にイキイキしてきちゃうあたりは、何とも奇妙ながら微笑ましい。ワシントンのアパートに機材やスタッフが集められ、即席の捜査本部になっちゃうんだが、あんな世捨て人みたいにフテっていたワシントンはどんどん元気元気! 頭もサエて回転しはじめたワシントンは、最初に現場を訪れて的確に証拠と写真を残した警官が、優秀な人間であることをたちまち見抜く。

 「この警官をスタッフに加えろ!」

 警官の仕事はそこそこでいいやと、やはり半ばフテッていたアンジェリーナ・ジョリーがただちに呼ばれた。ジョリーも「せっかく少年課への転属が決まったのに!」と最初はブツくさ。おまけに寝ているだけで人をアゴでコキ使っているようにしか見えないワシントンに、いきなりイヤミをお見舞。その瞬間、人生を斜に構えて見ている同士として、何となくワシントンは彼女に対し「相手にとって不足なし」ってな感じを抱いた。これこそが、ここで会ったが百年目の二人だったんだねぇ。「言い方はキツいけど、あれがワシントンの最高のホメ言葉なんだよ」と慰める看護婦のオバサン。いんや、ジョリーはわかってるさ。お互い気の強いひねくれ者同士だもの、気心は同じ。それを瞬間的に察知するジョリーなのだった。

 現場に残された手がかりから、次の被害者が閉じ込められている場所を突き止めたワシントン。今度の現場はニューヨーク・マンハッタンの地下に伸びる古い地下道だ。しかし、一同が駆けつけたそのほんの目と鼻の先で、第2の被害者は命を落すはめに。一同歯ぎしりして悔しがるがどうにもならない。

 そして、ワシントンからジョリーに指令が飛ぶ。特別捜査班の連中が現場入りする前に現場検証をして、自分の目と耳となって、様子や雰囲気を嗅ぎとってきてほしい…と。

 手錠と縄で固定され、惨たらしく殺された被害者の姿。それを見ながら、おっかなびっくりジョリーは真っ暗な現場をたった一人、ジャネット・ジャクソンのコンサートみたいに(笑)ヘッドセットを身につけた姿でウロチョロ見て歩く。同行の他の刑事たちでさえ、彼女と一緒に現場に入ることは許されない。頼りはヘッドセットから聞こえる、ワシントンの冷静きわまりない指示のみ。極度の緊張の中、現場を必死で見て回るジョリーだが、手錠で固定された被害者の手首を切ってこいと言うワシントンのあまりに過大な要求にはさすがのジョリーもブチ切れ。何が寝たきりだ調子に乗るんじゃねえ!とヘッドセットのマイクにどなって立ち去ってしまう。いや〜このヒロインは身障者だろうと何だろうと徹底的に容赦しません。

 彼女が連絡を断った後、彼女の経歴をコンピュータで洗うワシントン。すると、彼女の父親も警官だったが自殺し、彼女自身がその発見者となっていた事実がわかる。そう言えば「N.Y.P.D.15分署」のマーク・ウォールバーグも警官だった親父のトラウマで警官になりながら、何だかいろいろ苦しんでいたよな。ところがこちらのアンジェリーナ・ジョリーのほうは、警官になる前の職業は何とモデル! つまり父親の死が彼女の人生を全く変えてしまった…ワシントンは彼女の心の中の闇に、何かを感じとるのだった。

 一同の説得でワシントンの元に戻ったジョリー。「この前は行き過ぎだった」とアッサリ済ませたワシントンだったが、この一件が孤独な二人の気持ちを一層近づけたのは言うまでもない。

 

電話線一本で近づく二人のハート

 この映画では、ニューヨークという街そのものが十二分に生かされていて、一種独特なムードが醸し出されている。今世紀初頭から使われなくなった地下鉄駅、家畜小屋などなどが、現代最先端の建造物を満載した大都会ニューヨークの皮を一枚ひっぺがしたところに実際存在するという不思議さ。ニューヨークの街を歩いてみればわかるけど、あそこって道路とかはボコボコで年期入ってそうだし、街中にも築100年なんて建物がゴロゴロ現役で存在してる。東京なんて元々わが国の住宅が木造中心な上に、関東大震災や第2次大戦を経験済み。それを潜り抜けた丸ビルでさえ、単に金のために取り壊す土建屋的発想のデリカシーのなさなんだから、街の表情なんて21世紀まで待ったって豊かになるわけがない。だから東京って住んでてつまんねえんだよ。かと言って地方の奴にバカにされるとムカつくんだけどさ。自分で言ってるうちはいいんだけど。

 「ローズマリーの赤ちゃん」あたりから「エンド・オブ・デイズ」なんかまで、いろんな映画がニューヨークを舞台にして面白い効果を生んでいるわけは、そんなこの街の持つキャラクターが面白いからなんだよな。悪魔とか得体の知れ ない物がうごめく余地がたっぷりあるんだよ。しかも、それが京都とかの単に古い街ってことだったら別に勝手にやってれば…(笑)って話になるが、政治・経済・文化の一大拠点で、アメリカから世界への情報発信基地ニューヨークだからこそ、物語のスケール感がでかくなる。あの不細工なUS版「ゴジラ」も、そこにニューヨークでなければならない由縁がある。東京に怪獣が出てくる理由は、単に壊す建物が多いってことだけでしょ?

 そんな魔界に通じる扉がどこかにありそうな街ニューヨークを舞台に展開される連続猟奇殺人は、確かに色々趣向をこらしてムード満点。しかし、あくまで直接描写を避けて見せていくあたりはこの作品の品格を明かに上げている。程の良さがあるんだよな、描き方に。

 で、そんな猟奇殺人描いてもエゲツなくならないお話は、徐々にお話の中心をワシントンとジョリーの主役二人にシフトしていく。事件が起きるや常に先乗り組として現場一番乗りのジョリー。その彼女と寝たきりワシントンが、電話回線一本で結び付いてドキドキしながら固唾を飲んで現場の様子を感じ取っていくさまは、ヘタな恋愛映画の愛の言葉のやりとりよりセクシー。惨たらしい惨状の報告や分析をしているのに、何だか二人がその言葉にウットリしているような不思議な錯覚さえしてくる。この二人のプロとしての感情を抑えたギリギリ会話が、こんなにセクシーってのが何とも面白い。そして電話線一本でこの二人は、信頼と共感にますます固く結ばれていくのである。二つのハートが近づいていくのには、電話線一本もあれば十分ってことだよね。

 そのうち、ワシントンの部屋での二人のやりとりも何だか艶かしくなっていく。二人の心臓がドキドキ近づいていくのがわかるんだね。見ているこっちもドキドキ。ジョリーには、プロとしての自分を認められているっていう誇らしさもあるのに違いない。「自分の運命は自分で切り開け」というワシントンの言葉に、「そんなことを言う人が、何で安楽死なんてしようとするの?」とジョリーが切り返す頃には、二人の間に確かな信頼が築かれていた。彼女の言葉に、思わず自分も「?」となってしまうワシントン。そう、常にあきらめず、戦ってきた自分だったのに…。二人の中で、何かが変わろうとしていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

ここから先はネタばれになるので、

見てから読んでください!

 

 

 

 

 

 

 

 この実に不思議なサスペンスを撮ったのは、オーストラリア出身のフィリップ・ノイス。「パトリオット・ゲーム」と「今そこにある危機」の2本のハリソン・フォード主演ジャック・ライアンもので知られる人だが、サスペンス畑ではあのシャロン・ストーン主演の出歯亀マンションをめぐるエロ話「硝子の塔」をつくり多くの映画ファンを激怒させた人と聞けば、誰もがこの「ボーン・コレクター」見る前にイヤ〜な予感したはず。よく今回は踏ん張ってくれました。

 しかしながら今回もいよいよ終盤というところで強引な展開となり、無茶なエゲツないアテ馬犯人を出してきたり、真犯人に安っぽい性格づけをしたりして、前半のキメ細やかさを失ってちょっと興ざめさせる。それでも面白い味が出たのは、このお話自体のテーマによる。あんなに人生に意味を見い出せなくなって、死にたいと願っていたワシントン。犯人が彼を殺そうとすることは、ある意味で彼の望みをかなえることでもあるはずだ。ところが皮肉にも、そのときワシントンの胸にファイティング・スピリットが戻ってくる。絶望し切っていたと周囲も本人でさえも思っていたのに、最後の最後までわずかながらも胸の内に燃えていた希望の灯。二人の偶然の出会いは、ジョリーだけでなくワシントンにも大きな影響を知らず知らずに与えていた。この、何とも感動的なおかしさ…がこの映画の真骨頂なのだ。

 一瞬、まさか!と思わせる引っかけがあるが、ラストは天使も空から降ってくるクリスマスの晩。あんなに絶望的状況だったワシントンが、何と車椅子で動けるまでに復活しているではないか! 彼もジョリーが投げやりな人生を活性化したように、もう一度人生やり直す気になったのだ。そして彼女は絶望のうちに縁を切った姉一家とワシントンを再会させる粋なはからいを見せた。

 話がうますぎるって? だってクリスマスの晩だ。奇蹟だって起きるさ。だから、投げ出してはいけないよ。例え何もかもうまくいかないと感じられたとしても。ツイてない人生もいつかは変わる。

 クリスマスはこの映画の二人にも、この映画を見る人々一人ひとりにも…もちろん僕やあなたにだって、平等にやってくるのだから。

 

 

 

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