「ヒマラヤ杉に降る雪」

  Snow Falling on Cedars

 (2000/04/17)


痛ましい初恋の記憶

 初恋の思い出…なんてケツがかゆくなりそうなこと言われると、みなさんはすぐに思い当たる思い出があるのだろうか? 

 そんなことをいろいろ考えているうちに、私はふと忘れかけていた女の子のことを思いだした。その名を仮にAと呼ぼう。彼女と知り合ったのは中学2年生のとき。男の子も女の子も妙に色気づいてくる時期だ。

 僕は声のでかさとギャグでみんなに知られた存在だったが、それゆえに教師たちからケムたがられてた出来の悪い生徒だった。僕の味方をしてくれた先生は担任の女教師と、新聞部の顧問で僕に書くことの楽しさを教えてくれた女教師の2人だけ。この2人の先生はいつもひねくれ者で扱いにくい僕をかばって助けてくれた。まぁ、ある意味僕は問題児だったわけだ。一方、彼女Aは頭がいい優秀な子として知られていた。テストをやれば常に1番。クラスで…ではない。学年で1番。私はピエロのような男の子、彼女は優等生の女の子。こんな対照的な存在もなかったが、なぜかクラスの中の仲良しグループ5〜6人の中に2人とも顔を出すことになった。思えばすごく不思議なとりあわせだったよね。

 で、いつも何かっていうとこの連中は集まって遊んだ。って言ったってかわいいもんだ。当時できたばかりのマクドナルド(ちょうど数年前のモスクワみたいな状態だったっけ)で粘ったり、サイクリング行ったり、誰かの家でゲームしたり。

 実は、最初は僕の好きな女の子としては別の本命がいて、彼女も僕と同じようなギャグ担当の女の子でおチビでお下げなんかしていた子。彼女も僕には気があったらしく(後年にそう言ってた。惜しかったな!)二人でエッチな冗談なんかポンポン言い合っていたが、実践となるとまるでダメ。一回夜中のキモ試しのときに彼女とペアを組んで、彼女に今でいう「挑発」をされたんだけど、当時の僕はヤボてんで臆病だったので、何もできなかった。

 そのうちひょんなことから仲違いし、クラスも違ってしまった彼女の代わりに、僕の前に現れたのがAだった。

 彼女は…少なくとも僕の目には清純で上品で頭のいい女の子のように思えた。とてもじゃないけど、僕なんかまるで関わりになれないような女の子。でも、彼女はちょっと違ってた。僕にもすごく話しかけてくれたし、何しろとてもやさしい子だったんだ。とてもユーモアがあって、話も面白い。僕はよく一人で彼女の家に遊びに行ったけど、彼女はイヤな顔もせずつき合ってくれた。それが、今でも僕には不思議なんだよね。なぜ僕と二人で会ってくれたのか。

 好きな男がいたというのは聞いていたが、誰がどう見ても似合わないタイプの、ちょっと崩れた男だった。そして案の定、告白したけどフラれたということを風の便りで知った。

 彼女の家の父親が確か単身赴任とかで、家は彼女とその妹の二人だけになっていることがよくあった。そこに夜中まで遊びに行っているときのドキドキ感と言ったら! 何か起きそうで、何も起きない。でも、僕の中では彼女はまさに夢の女として焼き付いていたのだった。

 やがて、高校受験。彼女は内申書も試験も申し分なかったので、都立の一流進学校に行った。僕は教師たちに思いっきり要注意人物として目をつけられていたので、試験の点が良くても都立では望み薄。結局、私立の大学の付属校に入ることになった。

 でも、高校に入ってからも思いはつのった。そして決心したのだった。大学はスライドで上に行かず、あえて受験して進学しよう。そして、彼女に告白するんだ。…あぁ、何とバカなこの俺。

 それで、高校3年あたりから彼女とも疎遠になった、勉強しなくちゃいけないもんな。

 で、大学受験。やっぱり付け焼き刃じゃあどうにもならない。見事に浪人。周囲の人間はなぜ付属校にいながら外を受けなければならなかったのか、意味がわからず戸惑っていた。でも、これは私のケジメなのだった。何が何でもトラクターで旅する「ストレイト・ストーリー」みたいなもんだね。だが、彼女の進路を聞いたときには、戸惑ったのはこの私のほうだった。

 彼女が予想を裏切って、高いレベルの大学を狙わなかったのである。何とイケイケ遊び人女で有名な某女子短大に入ってしまったのだ。動揺は隠せなかった。

 いや。本音を言えば、彼女が自分に近づいてきた、射程距離に入ってきた…などと、寂しいことを考えていたのが事実だったのだ。僕は彼女に会わずに、とにかく大学に合格してビックリさせてやろうなんてバカなことをまだ考えていた。

 そしてさらに1年。今度はやっと合格した。私が受けた学校の中で一番レベルが低いところで、実はそこしか受からなかった(笑)が、まぁいい。受かりゃいいんだ。Aは? 彼女はどこだ?

 彼女は我が家の近所から東京の近県に引っ越していた。居場所はすぐにわかったので、すぐに行こうと思えば行けた。だが、そのとき私は友人からおぞましい話を聞いてしまったのだ。

 誰もが知っているヤリマン女。彼女はその短大に、いかにもふさわしい素行の女に変貌していたのだった。

 誰彼となく「やらせる」というのはもはや有名。現に友人の知り合いも他の連中と義兄弟となっていた。その際の「あの女、ヒ〜ヒ〜言って喜んでたぜ」というコメントは、もはや仲間内の間では知らぬ者がないほど有名になっていた。ウソだろう? そんなバカな。…なぜ?

 私はどうしても信じられなかった。会うまでは、せめて声を聞くまでは、僕は納得できない。

 そして受話器から、あの懐かしい声が聞こえてきた瞬間…僕はみんなが言っている彼女の悪評がすべて真実であることを悟った。2年の歳月は彼女をすっかり変えていた。声は確かに彼女のものだった。だが、その話し方や物腰は、やさしくてユーモラスで、とっても気さくだった彼女のものではなかった。私は、自分の全く知らない女に電話してしまったようなものだった。

 彼女と私の通っていた中学は、その学区では決してレベルが高い方ではなかった。だから、うちの中学でトップだった彼女が学区一の進学校に受かった後、レベルのギャップに愕然としたことは想像に難くない。彼女はそこで人生を大きくドロップアウトさせてしまったのだろうか。イケイケ短大に行った時点で、私は気づくべきだったのだ。もっとも、彼女が中学時代につき合いたがった男の質を考えれば、遅かれ早かれこうした展開になったのかもしれない。

 彼女との再会だけを望みに2年間過ごした私は、まるで自分がカラッポになってしまったように感じた。もうどうにでもなれ…と、破れかぶれになった私は、ある女とバカな振る舞いに及ぶのだが、それが考えてみれば私の呪われた女性遍歴のスタートになってしまった。まぁ、ハッキリ言ってそれから延々…つい数年前まで起きてきたことは、悪夢以外の何者でもないよ。地雷踏みっぱなし。でも、それもこれも出発点から誤ってしまった私の責任なんだろうね。

 でもねぇ、いつまでもそんなことにピリピリして、いちいちそうビビッてばかりもいられない。それで私は、ここへきて地雷の除去にようやくとりかかっているようなわけだ。

 しかしそれもこれも、元を辿ってみればあの女…あまりに思い詰めた代償は大きい。無駄に費やされてしまった長い長い時間…。

 「ヒマラヤ杉に降る雪」はこんな薄汚れた私の経験談なんかよりもっと高級な話だけど、切ない初恋をテーマにしている点では、ちょっと共通するものがあるかもしれないね。

 

ある漁港を舞台に起きたジャップのトラブル

 アメリカのワシントン州というから北のほう、何だかいつも冷え冷えとした雰囲気のサンピエドロという島が舞台。時代は第2次大戦が終わって間もないころ。夜中、濃い霧に包まれ、海で立ち往生の漁船からお話は始まる。船上のヒゲ男がバッテリーがいかれたか何かで困っているところにもう一隻の船が現われるが、そこに乗っていたのは東洋人…正確に言えば日系アメリカ人か? 誰だこいつ。

 唐突にお話は飛んで翌朝のこと。別の漁船で海から網を引き上げようとすると、若い漁師が朝っぱらからオエッと海に気まえよく捲き餌する。お魚さん大喜び。おいおい、おまえ「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」でも見たのか(笑)と同僚が駆け寄ると、網に昨夜のヒゲ男の死体が引っかかっているではないか。

 にわかに退屈な田舎の港町に衝撃が走る。何せ殺人事件だ。俄然張り切る連中の中に、地元でローカル新聞を一人で切り盛りしているイーサン・ホーク青年もいた。そりゃあブン屋の血が騒ぐ。

 実はすぐに容疑者は捕まってしまった。やはり地元で漁師をやっている日系人リック・ユーンだ。その女房の工藤夕貴が沈痛な顔をしているところに、声をかけようとするホーク。でも、工藤夕貴は剣もほろろ。何だか気まずい感じ。この二人何だかいわくありげな感じだが…。

 これ以降、容疑者ユーンを裁く裁判の様子と、イーサン・ホークと工藤夕貴の過去の回想の2本立てでドラマは進行するわけ。そして、そのどちらにも暗く影を落としている事件がある。それは第2次大戦中にアメリカが行なった、日系アメリカ人の強制収容所への強制連行だ。

 裁判は…というと終始、ユーンに不利に動いていった。血のついた棒などが出てきたり、状況証拠はマズいものばかり。元々、みんな戦争の記憶が生なましいもんだから、ジャップをひどい目にあわせたくてウズウズ。ジャップはいつもうすら笑いを顔に浮かべて気持ち悪いんだよ…なんて、この作品の中では執拗にこういう発言が繰り返される。ありがとうね白ブタちゃんたち! いつかハムにして食ってやるぜ(笑)。ブヒ。

 運が悪かったことには、殺されたヒゲ男と容疑者のユーンとの間には土地売買に関わるトラブルがあった。ヒゲ男の実家がユーンの父親に土地を売るはずだったのに、分割で払っていた代金がどうしても滞ってしまったために約束はチャラ。土地は息子のヒゲ男に売り渡されることになってしまったいきさつがあるのだ。そして、何で代金が滞ってしまったかというと、その頃ちょうど太平洋戦争で日系人が強制移住させられ、払いたくとも払えない状況にあったから。ユーンはそれでも自分たちの立場を少しでも好転させようと、軍に志願してヨーロッパで戦ってきた。しかし、帰ってみれば土地はパー。そりゃ怒ります。これをきっかけに、元々は幼馴染みだったヒゲ男とユーンは仲違いすることになってしまうのだ。…って、真相がわかればわかるほど、こりゃバッチリ殺人動機だって気になってくる。日系人リック・ユーンに不利になっていくではないか。

 そして、もう一つのお話のほうは、予想通りイーサン・ホークと工藤夕貴の初恋物語となるわけ。

 だけど、こういうシチュエーションって何度かアメリカ映画で見てきたけど、何だか成功しているのがないよねぇ。例えばセンサラウンドの重低温で戦場の衝撃音を再現しようともくろんだ「ミッドウェイ」。軍人チャールトン・ヘストンの息子エドワード・アルバートが、収容所内にいる日系の女の子と恋仲という設定なのだが、いかにも無理やりとって付けたエピソードというのがミエミエで、苦しい描写だった。

 また、戦時中の日系アメリカ人の受難劇としては、これまでのところ最大の作品である「愛と哀しみの旅路」。ここでもデニス・クエイドとタムリン・トミタのラブ・ストーリーはイマイチだった。作品はしっかりつくってあり、ごひいきアラン・パーカー監督だけあって私も大好きな作品だが、成功作かといえば残念ながら首をかしげずにはいられない。それだけアメリカ映画で日本や日本人を描くのは、なぜか困難をともなうのである(「存在の耐えられない軽さ」で、アメリカ人なのにあれだけリアルに「プラハの春」を再現したフィリップ・カウフマンが、なぜか「ライジング・サン」で日本人を題材に選んだとたん、ヘロヘロになってしまったことを思い出してほしい)。まして、そこでアメリカ白人男性と日系女性の恋を描くと、何だかとたんにシラジラしくなっていくのだった。

 では、この「ヒマラヤ杉〜」はどうか?

 

「思い出を描くことがテーマの映画」

 実はこの二人の初恋物語はすべて回想シーンとして処理されるんですよ。で、その初恋話に限らず、とにかくこの映画は回想シーンが多いです。まぁ、この映画って基本はアメリカ映画の特産にしてオハコの法廷サスペンスなんですよね。だから、証言者の回想なども含めて、どうしても構成上は回想が多くなる。10人出てくれば10人ぶんの回想があるみたいなもの。でも、これほどやたら回想シーンが多用され、それがストーリーの核心に触れてくる映画というのも珍しい。まるで「思い出を描くことがテーマの映画」と言っても過言じゃないね。普通は回想シーンってのはかなりダイレクトな表現で、芸がなさ過ぎるからあんまりやらないもんだ。だからこそ今回の作品では、演出も回想シーンがそれぞれ単調にならないように工夫をこらしている。そして、そんな数限りなくある回想の内の一つにすぎないから、初恋シーンだけ突出してクサく見えることもないわけ。これは作戦勝ちかも。

 しかも、そんな回想による初恋物語は大半がイーサン・ホークと工藤夕貴自身の出演ではなく、彼等の子供時代を演じるもっと歳若い俳優さんの出演によるものだ。で、これがいいわけですよ(別にイーサン・ホークと工藤夕貴がよくないと言っているわけではない)。特に工藤夕貴の子供時代を演じる鈴木杏って子が実にいいんですよ。私なんか工藤夕貴のことばかり聞かされてて、こんな子出てるなんて知らなかったから、もうビックリ。若い二人のラブシーンは、とってもみずみずしくて素晴しいね。

 で、初恋について雄弁に物語っている場面は若い俳優さんが演じ、現実のシーンはイーサン・ホークと工藤夕貴。で、これが対照的にぐっと抑えた芝居やらせてるんだよね。特に工藤夕貴なんか、同じアメリカで撮った「ピクチャー・ブライド」と比べればその差は歴然。熱演度がほとんどゼロに近い。ところが、これがいいわけですよ。これが初恋のあの描写と距離をつくってて。

 距離と言えば、先ほど語った初恋の回想シーンだけど、これらがすべてイーサン・ホークのまなざしの彼方にあるシーンとなっているところがまた切ないんだよね。二人の間に三人称的にこの回想シーンがボーンって出てくるわけじゃないの。これがミソなのだ。…というのは、ここからがツラいところでもあり、他の例えば「ミッドウェイ」や「愛と哀しみの旅路」と違うところなんだけど、この作品は困難に立ち向かって愛を貫いたきれい事じゃないんだね。困難につぶされてしまった、情けない恋を描いているところが違うんだ。ここが肝心なとこなんだよ。

 いい感じで育んできた二人の恋だけど、そこに太平洋戦争がかぶってきちゃうんだね。それからのアメリカ白人の仕打ちを考えたとき、もう工藤夕貴には彼との恋愛を存続させることが無理だと決定的にわかってしまう。そんな彼女からのフラれ手紙を読んでフテくされたイーサン・ホークが、日本軍相手に南の島で「シン・レッド・ライン」状態になってしまうのは運命のいたずらとしか言いようがない。おまけに…「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」エンディング状態になってしまうとは! ここまでこの点を観客にわからせずに引っぱってきたあたり、スコット・ヒックス監督なかなかの確信犯ぶり。かくしてイーサン・ホークくん、親父さんは良心的反骨の新聞人として、紙面の広告カットされてもあえて日系人を擁護する気概があったのに、彼自身はおのが身に降りかかった災難から、ついこうも叫んでしまいたくなってしまうのだ。

 「ジャップ・ビッチ!」

 う〜ん、いい言葉だ。私も、海外旅行っていうと現地の男ひっつかまえてバコバコやりまくってる日本のアホ女どもにぜひ言いたい(笑)。ガイジンだったら誰でもいいのか、おまえらは? でも、他にも言いたいやつは山ほどいるぜ(笑)。

 かくして愛も友情も消え果て、憎しみが憎しみを呼ぶ「アメリカン・ヒストリーX」状態。いんや、「ヒステリーX」かな(笑)?

 恋に破れ戦場でダメージを受け、文字通り心も体も傷ついたイーサン・ホーク。偉大な良心の人として現地の日系人にもいまだに尊敬されている父親亡き後、例の地元新聞を継ぐのだが、やっぱ受けた傷のためかどこか偏屈な男になってしまったんだね。何かというと父親を引き合いに出されるのもシャクにさわる。うるせえな、どいつもこいつもジャップどもも。工藤夕貴のことは忘れようったって忘れられない。だけど、それは単に思慕の対象としてじゃない、当然そこには憎しみも混じった何とも屈折した感情がにじんでいるんですよ。クラ〜い。

 ところが彼、その夜の無線を傍受した記録を見ていて、容疑者リック・ユーンの無罪につながる証拠を発見してしまうんですよね。でも、そこからが葛藤なんですよ。

 なぜ俺が奴を助けてやらなきゃならないんだ。ジャップなのに。俺が愛した女を奪った男なのに。…亭主がいなくなれば女はひょっとして自分の元に戻ってくるかもしれないとの打算も、当然そこにはあったろうな。この気持ちは私にも痛いほどわかる。

 かくしてお話は、このイーサン・ホークの内面の葛藤へと移っていくわけ。ここでの正しい選択というのは、彼にとっては苦しい選択なのだ。しかしそれこそが結果的には、自分を縛り続けたオブセッションと父親の影から、自らを自由にする唯一の方法でもあるんだね。そんな彼をじっと観察し続け、重大証言をしたあとの彼の気持ちを察した弁護士マックス・フォン・シドーの台詞が、そのあたりを的確に言い当てているかもしれない。

 「世の中は偶然に支配されてる。そうでないのは、人の心の中だけだ」

 

鈴木杏 VS マックス・フォン・シドー新旧2人に注目(笑)

 「シャイン」で一気に注目を浴びたオーストラリアの新鋭スコット・ヒックスは、なかなかすぐれた仕事をしたと思うよ。少なくとも、不毛地帯だった「米国の日系人強制収容物語」というジャンルに、一つのエポックメーキングな作品をつくりあげた観はあるね。俳優陣はみな素晴しい出来だけど、今まで言い忘れていた人では、イーサン・ホークの親父役にあのサム・シェパードを起用したあたりがニクイ! シェパードその人の持つ「反骨の人」というキャラとドンピシャでまさに絶妙のキャスティング。そして、実はこうした充実の演技陣の中でもダークホース的によかったのが、往年のベルイマン作品の名優にして、最近はもっぱらハリウッドの脇役と化していたマックス・フォン・シドー。彼が喘息持ちの弁護士に扮して、役も大きいし久々にいい味出してるのだ。考えてみると、フォン・シドーってずっとハリウッドで重宝して使われちゃってたけど、本領発揮できたのはわずか「エクソシスト」ぐらい。その他といえば、古巣の北欧に里帰りして撮った「ペレ」ぐらいかな? あとはやたらチョロチョロ顔だけ出してるけど(そのフィルモグラフィーには「フラッシュ・ゴードン」とか「ジャッジ・ドレッド」とかクズ映画が立ち並ぶ)、どれもこれも金のためって感じのどうでもいい小さな役ばかり。今回ようやく久しぶりにハリウッド映画で、フォン・シドーが堂々と出てきて演じてるのを正面切って見たって感じ。この映画では、鈴木杏とマックス・フォン・シドーの新旧2人が最大の収穫(笑)と言えるんじゃないかな?

 証言によってリック・ユーンを救ったイーサン・ホーク。しかし、それは結果的に女と父のオブセッションから彼自身を救うこととなった。

 「世の中は偶然に支配されている」…という。そう、確かに不幸はいともたやすく「偶然に」起きてしまい、状況によってはそれをかなり引きずることになる。確かにそれは避けられないことだけど、終わらせることはできるんじゃないか? 自分の中に、他者の中に、そして自分と他者との間に「偶然」が築き上げた、醜く歪んだかたくなな憎悪の残骸なんて。そして、その時にそれに終止符を打つのは、「人の心」による「必然」しかないだろう。

 私も、そんな「人の心」による「必然」を、今は信じてる。

 

 

 

 to : Review 2000

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME