「グリーンマイル」

  The Green Mile

 (2000/04/03)


 平凡な自分と回りの人々の人生こそ、深い驚きと悲しみに溢れてる。よくありがちな「事実は小説よりも奇なり」というフレーズみたいなことではなしに、今の私にはこれがナマナマしい実感として感じとれるんですよ。

 特にここんとこ、ホントにいろいろあってね。ディスプレイを見つめながら、文字どおり一晩のうちに泣いたり笑ったりの晩も経験したっけ。あれは不思議な一夜だった。昨年一昨年のどろ〜っとフテくされていたような日常が、ここへきて全く違う顔を見せ始めたんですよね。

 スティーブン・キングのベストセラー小説の映画化「グリーンマイル」を見たのは、実はもうだいぶ前のことになるけど、今回感想文を書こうと思い出してみた時フトそんなことを考え込んでしまった。

 

死と隣り合わせの不思議な職場で

 お話は老人ホームのおじいさんが、こっそり外出を重ねる話から始まる。ある日、テレビでフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースの黄金コンビの傑作ミュージカル「トップ・ハット」を見ていたじいさまは、感極まっておいおい泣き出した。なぜ?

 そのうちホームで親しくなったばあさまに打ち明け話を始めるわけだが、ありゃ〜何だか「プライベート・ライアン」か「タイタニック」みたいだな(笑)。

 事は60年以上前にさかのぼる。当時、刑務所の死刑囚の監視に当たっていたのが、看守長のトム・ハンクス。先程打ち明け話を始めたじいさんの若かりし頃の姿である。

 このハンクス、副看守長のデビッド・モース、同僚のジェフリー・デマー、バリー・ペッパーなどと結構楽しくやってるが、死刑囚の収容棟での看守の仕事は、刑務所の他の看守たちとはチト違う。死刑執行への立会いが日常のこととして存在する、死と隣り合せの仕事なのだ。

 だから彼らは、少しでも殺伐とした日常をうるおいのあるものにしようとしてか、死を待つ死刑囚たちにもできる限り紳士的に接する。囚人と看守がまるで同僚のように気安く語り合う職場だ。死刑囚を牢屋から処刑場に連れ出すときに歩くのが、ここの収容棟の緑色の床の廊下。これをグリーンマイルと呼ぶことから、本作品のタイトルはとられているわけ。

 そんな気のいい仲間が働くこの職場で、ハンクス看守長の目下の悩みというと、知事の親戚のコネを活用してこの職場に潜り込んだゲス男ダグ・ハッチソン。この卑劣で残虐な男の設定があまりに単純に悪い人間役となっているので「グリーンマイル」はリアルじゃないしつまらないってどこかで書いてた奴いたけど、こういう奴ばかり俺はたくさん見てきたよ。こういう奴は実際にいるし、ウンザリするほどたくさんいて、しかものさばってて滅びない。こいつの設定がリアリティないなんて言う奴は、何にもわかってない甘ちゃんのおめでた野郎か、自分がこのハッチソンみたいな奴かどっちかだとここで断言しておく。そう、おまえのことだよ。

 もう一つの悩みというのが尿道炎。ハンクスは小便するたび死ぬ思いのアブラ汗。医者に行けばいいのに行かない。第一ホントに尿道炎なのか。どう見たって性病だよな(笑)。当然、嫁さんボニー・ハントへの夜のお勤めも滞りがち。そりゃあ機嫌悪くなりますよ女は。結婚はしたことなくても、そこんとこはわかります(涙)。できないって浮気でもしてんじゃないの? 不潔! …ったって、できりゃとっくにやってる。男はスイッチ入れるみたいにできる訳じゃねえんだよ(笑)。

 そんなハンクスの職場に今度やってきた新入りは、双子の女の子を暴行殺害したとの触れ込みの大男マイケル・クラーク・ダンカン。それでなくても体がでかくて威圧的な凶悪犯の登場に一同は色めきたつ。しかし、驚いたことにこの大男、暗がりを怖がるほど気の小さい男なのだ。こんな男に人が殺せるのか?

 

何を思ったか股間に手が伸びる

 そんな死刑囚舎房にまたまた新入りがやってくる。これまた凶悪犯のサム・ロックウェルだ。こちらは大男のダンカンと違って、凶悪犯の名に恥じない(?)本物のワル。来て早速大立ち回りを演じるが、このときハンクスのナニもしたたか痛めつけられる。それでなくても痛んでるナニなのに、そんな衝撃与えたひにゃあ…。みんながいるうちは堪えもしたが、いなくなってからは誰にはばかることもない。

 い、い、痛えぇぇぇぇぇぇぇぇ〜…。

 も、も、も、もうダメだあぁぁぁぁぁぁ〜っ。

 あのねぇ、女性のみなさんは男のアレをえらくぞんざいに扱いなさるが、あれは実にデリケートにできてるもんなんだよ。だから、ちょっとでも乱暴にされると…もう! 死ぬほどの痛み。ウソじゃないぜ。試しに今夜でもダンナか彼のナニを黙ってギュッと力いっぱい握りつぶしてみなよ。たぶん翌朝には別れ話が進行してるはずだ(笑)。

 あそこ押さえてうずくまってしまうハンクス。すると、あの大男ダンカンが、こともあろうにこんな時、ちょっと来てくれなんて言い出す。勘弁してくれよ、動けねえんだよ俺は。それでも何とかダンカンのとこまで這うように行くと、鉄格子の向こうからダンカンのでかい手が、いつもとうって変わって力強くむんずとハンクスをつかむじゃないか。ヤバイ!

 しかも今度はダンカン、何を思ったかハンクスの股間に手を伸ばす。あっ、そこはっ。そこだけはっ!

 ムギュッ!

 やめてやめてやめてっ! やめてぇぇぇっ。う〜ん。もっとぉぉぉぉ…(笑)。

 あたりが、ゴオォォォォォッ、ピカピカッ、ブワ〜ッ(何だかわからないね、これじゃ)。

 ピカピカと轟音が終わると、いきなりダンカンがでかい口を開ける。するとそこからブヨみたいな虫の大群がブゥゥゥゥゥ〜ン。ホント、夕方の多摩川の土手か何か散歩してると出くわす、ぐるんぐるん固まって飛んでいるようなブヨの大群が、雲霞のごとく飛び出してっては消えていく。なんじゃこりゃ?

 ハンクスはっていうと、目と口を半開きにしてボ〜ッとしちゃってる。俗に言うアヘ顔。気持ちよさそ〜。おいおい、こりゃあパンツの中でイっちゃったかな(笑)?

 さてハンクスいきなりご帰宅すると、夕飯の支度してる嫁さんを台所で後ろから…あれぇやめてそんなこと。かまうもんか。いやだったらおまえさん、まだ外明るいじゃないの。いいだろおまえ、俺たちゃ夫婦なんだ。でも夕飯の支度が。そんなこと後ですりゃあいいんだよ。でもぉ。いいだろ。だめぇ。今したいんだよ。いやん。いいって言えよ。ううん、知らないっもう。おらおら、口じゃあそんなこと言ってもこいつは正直だぜ。いやん、あなたったら意地悪ぅ。…以下省略。何だか書いてると妙に興奮してくるね(笑)。

 このご飯の支度してる嫁さんを後ろから…ってシチュエーションは、男なら誰でも一度は思い浮かべるパターンかもしれません(笑)。しかし、アメリカの国民的映画スター、トム・ハンクスまでもこうきちゃうとは…これはもはや男のグローバル・スタンダードと言えるんじゃないでしょうか(笑)? この、エプロン姿ってのがいいんですよ。男はやっぱりあれにもドラマを求めますから。聞くところによれば、最近イメクラでも女子アナ・ブームに応えて、アナウンサー・プレイなるメニューができたそうだね。何でもそこではお客は女の子に読んでもらいたいニュース原稿を自分で書いてくるそうな。う〜ん、マニアック(笑)!

 ちょっと脱線しすぎた。さて、ウッフンの一夜が過ぎてハンクス家ではどうなったかというと…実はまだ奮戦中なんだよね(笑)。一体何発やってるんだ、こいつら。おいおい、これは私の脱線じゃないよ。ホントの映画がそうなってる。

 尿道炎が治っただけでなく、なぜか勢いあまってナニもビンビン。嫁さんも大喜びってんだから、家内安全わが家平和。いや〜、今の時代だったら男たちはみな競ってダンカンの除名嘆願に乗り出すね。かく言う私もその一人。だって最近ホントに元気ないんだもの。女をクドこうにもつい弱気になって…(涙)。

 このままこっちの話でトコトン押していきたいとこだけど、そろそろ「グリーンマイル」の話にしないと、女性のみなさんが収まりつかんでしょうなぁ(笑)。

 

ハリウッド娯楽大作の悪しき慣例を逃れて 

 自分の寿命が縮むかもしれないとわかっていても、バイアグラに手を出す男たち。そんなくらいだから、下半身に受けた恩恵は他のことより鮮烈に感じるわな。男ってその点非常にわかりやすいんだよ。ハンクスも他のことならどうだったか知らないが、ことアソコのことだけに、ダンカンに厚い信頼と恩義を感じるわけ。何とかしてやりてえ〜。

 そこへダンカンの奇蹟を確信させる出来事が、もう一つ起きた。死刑囚仲間のマイケル・ジェターが飼い慣らした利口なネズミのミスター・ジングルズを、例の憎まれっ子のハッチソンが踏み殺したのだが、何とダンカンがこれを蘇らせた! これを見たハンクス、いよいよ決心が固まった。

 こいつは間違いなく本物だ。

 ハンクスには胸に秘めた計画があった。昔から親しくしている刑務所長ジェームズ・クロムウェルの嫁さんパトリシア・クラークソンが脳腫瘍で余命いくばくもないという。そこで、うまいことやってダンカンを所外に連れ出し、例によって治してもらったらどうだ。無茶な計画だが、看守連中は一致団結。イヤな野郎のハッチソンを閉じ込め、ダンカンを夜の闇に乗じて連れ出す。このちょっとした冒険シーンは何ともワクワクして美しい

 すったもんだがありながら、何とか刑務所長の嫁さんを治したダンカン。いつものピカピカ、ブォ〜ッが終わった後、口から出てくるはずのブヨの大群が出てこない。あれっ?飲んじゃったの?

 この後、ダンカンがただの純真ないい人ってわけじゃなくて、なかなかやってくれるじゃないのと思わせる一幕を見せるくだりもあり、娯楽映画としてのカタルシスも十分楽しめる作品。「ショーシャンクの空に」でキング作品の泣かせどころを会得したのか、フランク・ダラボン監督まったく危なげない演出ぶりである。

 考えてみればスティーブン・キングのベストセラー小説の映画化で、大スターのトム・ハンクス主演作とくれば、完全にハリウッドの娯楽大作化するのは必至。そのせいか目につくのは、ハリー・ディーン・スタントンやゲイリー・シニーズまでが脇でゴロゴロ出てくるような、ちょっとやりすぎみたいに隅々まで勢を尽くしたキャスティング。それに、長大な原作を切るに切れなかったように、さまざまなエピソードがごていねいに語られたあげくの上映時間3時間余。このように、この作品が娯楽大作の悪しき慣例に染まってダメになりそうな要素は多々あったはず。しかしながら、こうした贅肉は少々目につくものの、「グリーンマイル」はハリウッド大作にしては珍しく、つくり手のある種の誠実さを感じさせる仕上がりを見せる。

 そんなお話も終盤いよいよ核心に触れてくる。看守たちはみなダンカンの無実を信じて疑わなくなるのだが、現行の法律では死刑の判決を受けた以上、彼を処刑しないわけにいかない。

 なかなかいい映画だとわかってはいても、大作ならではの小回りのきかなさがチト気になって完全に映画に入れ込めなかった私。しかし、さすがにダンカン処刑にまつわるくだりになってからは、こんな私もかなりグッと来はじめた。

 鉄格子の中に入ってシミジミ語るハンクスとダンカン。ここでダンカンの、死ぬ前に一度でいいからまだ見たことのない「映画」というものを見てみたい…と言う願いを聞いて、刑務所内の一室で彼のために特別な上映会を催す。このくだりは、映画ファンならたまらなくなる趣向だね。これが冒頭のアステア&ロジャースにつながってくるわけ。映画ファンが映画を見るときに抱く「至福の思い」と、この映画で「まるで天国にいるよう〜」とアステアが歌う歌の意味が、見事に結び付いてこれは忘れ難い名シーンだ。

 しかし、私にはそこに行き着く前のダンカンの一言こそが胸を打った。ハンクスがダンカンの望みを尋ねたとき、もうすべて終わりにしたいと答えた後のその言葉。

 「人々が傷つけあうのに疲れた。この苦しみに満ちた世の中に生きているのが耐え難いんです」(こんなような意味だったと思うんだけど…。)

 そうか、あんたもそう思ってるんだな。…この世は哀しみ色に染まっている、と。

 

哀しみ色の国の住人たちと生きる

 それは去年、つい何の気なしに「母の眠り」の映画感想文をこのサイトでアップした頃から始まったのだろうか。自分ではそんな立ち入ったプライベートなことを打ち明ける気などなかったのだけれど、父の入院そして手術と急展開する中で、ちょっとした感情のはけ口として真情を吐露してしまった。すると、それまで当たりさわりのないコメントしか書き込まれていなかったうちのゲストブックが、様相を一変させていったのだ。

 そこに書き込まれた多くの方々の励ましの言葉もうれしかったが、それより何より目を見張ったのが、そんなみなさんの体験談の数々。実は親を介護している、昨年肉親を亡くした、身内が大病している…サイトや掲示板では決して見せていなかったそれらお馴染みの方々の、冗談や映画の話の陰に隠されていたエピソードの数々に、うちひしがれているのは自分だけではないのだと、いささか陳腐な表現ながら私はかなり救われた。この時のみなさまの温かい心づかいには、本当に心から感謝しています。

 それと前後して、ある人の知られざる真実を初めて知り、驚きながらも親しみを覚えていった私。このあたりから、私には自分の周辺が以前と違って見え始めてきたのだった。

 旅先で、酒を飲んだ席で、そしてもちろんネットの中で…あの人が、この人が、私に見せるもう一つの顔。それは、平凡な人生なんてないと改めて私に思わせるにあまりある、驚きと苦悩に満ちたものばかりだった。何でこんな優しい人が、こんな仕打ちを受けて傷つかねばならないのだろう。何でこんな美しい人が、こんな孤独に耐えねばならないのだろう。何でこんな愉快で楽しい人が、こんな苦痛に人知れず涙を流さねばならないのだろう。何で、なぜ…。不覚にも40にもなっていながら、私には世の中のことが何にもわかってはいなかった。

 今の私の目には、この世はそんな人々の涙にくすんだ哀しみ色に絶えず染まっているかのように見える。飛行機の窓から見た下界の街も、ジャズが流れる夜も更けたバーの片隅も、喧騒に包まれた居酒屋の一角も、新幹線の窓の外を走り去っていく景色も、そしてコンピュータ・ディスプレイの向こう側に広がるどこまでも掴みどころのない世界も、すべて深く沈んだ哀しみ色に。

 ふと気づいてみると、私もそんな哀しみ色の国の住人となっていたのだった。静かな悲しみと激しい葛藤と、そしてささやかな喜びが毎日を彩る国の住人に。

 そんな人々の深い吐息を包み隠しながら、世の中はそれでも動いている。それでいいのだ。それが生きているということなのだから。そんな哀しみ色がいつの間にか私の目にも見えるようになったとき、実は私の中でも何かが変わっていったのだろう。

 私はそのことを決して悲観的に考えたりはしない。毎日にそれこそ一喜一憂。事態がすごく好転したかと思いきや、またすぐ失望がやってくるような日々だけど。そんな苦しみを共有することで、何か痛みがやわらぐこともあるだろうし、また新たに見えてくることもきっとあるだろうと私は信じている。

 なぜなら私たちはみな、グリーンマイルの上をゆっくりと歩きながら審判の日を待っている、同じ死刑囚舎房の仲間どおしなのだから。

 

 

 

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