「遠い空の向こうに」

  October Sky

 (2000/03/13)


2000年3月、東京

 人間は誰でも自分のそれまで生きてきた人生を切り替える時期が、そして同時にこれまでの人生を振り返る時期が、何度かあるはずだろうね。今の私がちょうどそんな時期かもしれない。仕事でのここ数年の迷走に自分なりの終止符を打ち、何とか再出発を…と新たな職場に移るのを目前にしているのが今の私。そしてたまたま昨日は、私がネットの世界で他の映画ファンと関わりを持ち始めた頃からの、いちばん古い知人(と言ってもたかだか数ヶ月というところなのだが)と会っていた。もうすぐ私のサイトも1周年。まぁそれで、いろいろ話をしながら相談をしたような訳だった。

 特に仕事のことはねぇ…正直言って40歳となるとなかなか新たな展開って考えにくい(実際は30代半ばから、すでに難しいと考えるべきだろうね)。しかも、昨今のこの不景気では思うに任せないのが現状だ。そんな私は、ライターとしての私を育ててくれた職場を5年前に飛び出して以来、いろいろ価値ある経験はしてきたものの、辛酸をなめ続けてきたと言うのが正直なところだろうね。つい先頃までいた職場は生活のため一時的に入ったつもりだったのに、それがさまざまな事情で2年近くも在籍するはめになった。ヘタをすればこのままずっとこの状態が続くのでは…と内心焦りを感じながら、どうにでもなれと自暴自棄になってもいた。

 しかしライターは元々好きで選んだ仕事。だから、不完全燃焼の気持ちを発散したくて、つい手を伸ばしたのがインターネットの世界だった。ネットとかメールととかウェブとか…ハッキリ言って興味もないし、好きでもなかった。ほんのちょっとだけ…でもどうせ書くのなら大好きだった映画のことを…。それがここまで深入りする結果になろうとは…。ネットに参入して1年を経過しようという現在、自分が少しづつ構築してきたサイトそのものも確かにかなりのボリュームになってきてはいたが、何よりそこで出会って関わってしまった人々の数に驚きを感ぜずにはいられない。それは喜びでもあるが、同時にとまどいでもある。自分がいつの間にこんな遠くまで来てしまったのか…もう帰り道はないのか、と途方にくれるような光景でもある。

 だがこんな中で、これは自分にとって決定的な人だと実感せざるを得ない人たちに出会ったのも事実。そして、そんな人との出会いが、また改めて人生を再構築しようと私に決心させるきっかけとなった。

 そうするとどうだ。不思議なことに、私にまた新たな門戸を開けてくれる人も現れた。そう! 数々の偶然は私の人生を確実に変えつつあるのだ。そういった訳で、もうすぐ私は新しい仕事の場に行くことになるわけだが、やはり人間はフテくされず、何かの希望を胸に持ち続けるべきなんだろうね。

 そんな小難しい理屈は一言も言わずとも、同じ事を考えて突っ走った奴らがかつて米国の片田舎にもいた。「遠い空の向こうに」は、見れば思わず自分の人生を振り返らずにいられなくなる、そんな愛すべき小品だ。

 

1957年10月、米国ウエスト・ヴァージニア州コールウッド

 炭坑の町コールウッドは、ご想像のごとくショボい町。町は炭坑の典型的企業城下町だが、この手の町が早晩立ち行かなくなっていくことは、2000年に生きる私たちならみんな常識的に知っている。そして、その兆候は、すでにこの町にひたひたと迫っているのだった。

 この町の高校生ホーマー(ジェイク・ギレンホール)はこれといった取り柄もないパッとしない少年。兄貴はフットボールで奨学金もらうこの家のヒーローだが、ホーマーには何にもない。親父(クリス・クーパー)は炭坑で責任者やってるし、このままだと俺も炭坑で働くのかなぁ…。やだな。

 そんな彼に転機が訪れたのが、ソ連が人類初の人工衛星スプートニクを打ち上げたとき。町中みんなで夜空を滑るように飛んでいくスプートニクを見た彼が興奮する場面は、思わず見ているこちらまで感銘を受ける名シーンだ。

 翌日から彼の中で何かが変わっていった。古くからのダチ連れて、早速ロケットづくり。ところが庭先でやらかした実験は、家の柵ブチ壊してオフクロ(ナタリー・キャナディ)に怒られただけでみじめに終わる。これじゃあいかんとホーマーがとった次の一手は、有能な人材の大胆な起用。尻込みする仲間を説き伏せ…というよりほんとんど独断で、学校でも煙たがられてる理系オタクのメガネ少年(クリス・オーウェン)に話しかけて仲間に引き入れる。あのねぇ…これができないから日本の組織や企業ってダメなんだよ。リストラするより先にこういうことちゃんとやったらどうなんだ。リストラするなら、まず何も見通し立たなかったバカ経営者からだ。重大事件のさなかに内輪で麻雀やってるバカ警察幹部からだ。税金無駄使いしたあげく何も成果を挙げられないようなバカ総理大臣からだろ。

 おっとアブねえ。危うく新聞の社説みたいになるとこだった。ともかく上記の場面では、普段から誰にも相手にされてなかったので、いきなり話しかけられ自分のほうがとまどうメガネ少年のリアクションが秀逸。名場面が続くが映画もまだまだ続く。

 さらにホーマーをバックアップしてくれる人も。物理のライリー先生(ローラ・ダーン)だ! ライリー先生は全米科学コンテストで優勝すれば奨学金が出ると言って、ホーマーを励ましてくれた。奨学金が出れば、兄貴ばかり褒める親父も自分を見直してくれるかもしれない。そして、このちっぽけな町から出られるかもしれない。

 しかし満を持して行った第2回実験では、ロケットが炭坑を直撃。親父はカンカンに怒って、炭坑の敷地内での実験を固く禁じた。万事休すか?

 しかし、懲りないんだよねぇこのホーマーって奴は。根性なさそうに見えて頑張るんですよ。ちょっと仲間同士のいさかいもあるんだけど、この町出ていきたいって気持ちにみんな違いはない。

 それからいろんな人々の協力得ながら実験を繰り返して行くんですが、失敗につぐ失敗。よく奴ら懲りずに頑張ったなって感心しますよね。それに、ケガ人よく出なかったなということ。こりゃハッキリ言ってツキ以外の何者でもないよな。

 そんな彼らのことを、地元の人々はいつしか「ロケット・ボーイズ」と呼ぶのだった。

 

1974年1月、東京

 私は未熟児で生まれたせいか、幼少の頃は病弱で運動もロクに出来ない子供だった。そんなせいか子供の頃から本を読むようになり、同時にマンガを読むようになって、自由に絵を描くのが好きになっていた。だが、親に絵の教室に通わせてもらうと、それはそれで楽しかったが自分のやりたいことはこんなものじゃないとフザケてばかり。もちろんヘタながらマンガも描いたけど、これも本当にやりたいことに思えなかった。学芸会だ文化祭だとなると必ず芝居をやろうと盛り上がるが、これも面白いけど違うと内心思った。友達がギター片手に寒いラブソングつくる年齢になると、柄にもなく詩なんか書かされたけどこれも違う。素人小説書いても何かもどかしかった。もっと何か…俺のやりたいのは、そんなこと全部同時にできて、ブワ〜ッと盛り上がるようなことなんだよ!

 小学校6年生のときビートルズが好きになって、映画館での3本立てビートルズ大会に出かけたとき…な〜んとなく心の中で何かが動き出したんだよな。あのカッコイイ「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」に。気づいたら親の8ミリ・カメラ持ち出していた。でも一体自分が何をやりたいのかは、まだ自分でもわかっちゃいなかった。

 中学2年の冬、モノクロ・フィルムのサイレント映画を、友だち集めて撮り始めたのが1974年1月のこと。でも、どだい無理なんだよな、いきなりサイレント映画なんて。それでなくても難しいんだから。それに本当のところ、みんなは友だちと一緒に騒げればよかった。すぐに撮影なんか飽きてしまったんだ。つくりたかったのは、私ただ一人だけ。結局撮影は終わったんだか途中なんだかわかんないままストップ。フィルムは編集されないまま放置されてしまった。

 それ以後そのフィルムのことは、私すら忘れていた。

 

再び、米国ウエスト・ヴァージニア州コールウッド

 炭坑の町は揺れていた。ご多分に漏れずリストラ、労働争議…。ホーマーの親父も頭を抱えることが多くなった。クラ〜い雰囲気。

 そんな時でもロケット上げることしか頭にないロケット・ボーイズ(笑)。失敗に失敗を重ねたあげく、今度こそはと胸に期した打ち上げ当日、ホーマーの兄貴が面白がってみんなに触れ回ったおかげで町中の人間が集まってきてしまう。ビビりまくるホーマー。見ると学校のマドンナ、ホーマーにとってあこがれの高嶺の花も来ているではないか。だいじょぶかよぉ〜。そんなホーマーは、もうちょっと地味だけどそれなりにかわいい女の子が、ケナゲに彼のことを見守っていたのを気づいてはいない。イカンなぁ。

 でもこの実験は大成功を収める。そして、彼らは地元新聞にも取り上げられ、一躍町のヒーローに。あこがれのマドンナの見る目も違うぜ。下半身のロケットもムックリ(笑)。

 しかし好事魔多し。近くで起きた山火事がロケットのせいだとされて、ロケット・ボーイズは逮捕される。親父のお目玉でロケットどころじゃなくなるが、今度は親父の目玉そのものが落盤事故で危なくなる。大怪我した親父の代わりに誰が家計を支える?

 夢破れたホーマーは、あんなに嫌っていた炭坑奥深く、一人の炭坑府として潜っていく道を選んだ。

 

1976年4月〜11月、東京

 私もいつしか高校2年生。そんなある日、クラス変えで同じクラスになった男が初めてわが家に遊びにきた。しかしお互い出会ったばかりだから、すぐに話題がなくなって手持ちぶさたになった。その時、魔が差したとでも言うべきか、例のフィルムを上映して見せたんだが、何でそんなことしたのか今でも当時の自分の心境はわからない。案の定、反応は冷ややか。

 しかし驚いたことにこの男、翌朝学校で何を血迷ったのか「俺たちも映画つくろうぜ」と言い始めたのだった。

 我々がチマチマ進めていた映画の計画がクラスに知れ渡ると、文化祭の出し物を8ミリ映画にしようなんてとんでもないことになり、僕らは後に退けなくなってしまった。しかも、クラス全員参加なんてありがたくもない条件つけられてしまったので、クラスの鼻つまみで乱暴者の男まで押しつけられることになった。アタマが痛い。案の定、撮影は難航に次ぐ難航。実はカメラのこともろくすっぽ知らずに撮影を進めていたのだが、今更そんなこと誰にも言えるか。無茶に無茶を重ねて撮影は終了した。

 しかし今度はサウンドトラックのつくり方を誰も知らなかった。1976年当時、一般には同時録音8ミリカメラはいまだ普及していなかったのだ。今みたいにビデオカメラが簡単に手に入る時代の人には、想像もできない時代の話だろう。徹夜徹夜で何とかナレーションと音楽の入ったテープを別々につくり、これを上映中にフィルムを見ながら再生してごまかすという苦肉の策。

 そんな綱渡りで文化祭をようやく終えたかと思った最終日、例の鼻つまみ者が何でキレたか大暴れ。いやはや、俺は疲れたよ。

 そんなてんやわんやも済んだある日、中野の名画座で「アメリカン・グラフィティ」見ようとして、同時上映のフランソワ・トリュフォー監督「アメリカの夜」を見た話は、前にどこかでしたよね。映画製作中のいろいろなエピソードを、トリュフォー自身が劇中の映画監督に扮して描いていく物語は、8ミリとはいえついこの前まで映画製作を行っていた自分には、まるでその場に居合わせたような実感があった。

 私が映画を見て泣いた…というのは、たぶんこの時が最初ではないか。そして、実はこのとき以来、自分のこととして実感できない映画には、全く面白みを感じ得ないのが正直なところなのである。

 

三たび、米国ウエスト・ヴァージニア州コールウッド

 炭坑で働くうち、理想も夢も失っていくホーマー。ゴキゲンなのは親父だけ(笑)。ところがそんなある日、ホーマーは恩人のライリー先生が実は不治の病と闘っていると知るのだ。それなのに、あんなに安易に夢を捨てたこの俺…。

 その日から、ホーマーはまた夢を追い始める。自らに着せられた汚名をそそぎ、さらに高い目標に向かっていく…。

 全く良くできたお話だよね。あ〜あ、とっても面白かった。まぁ現実こうなりゃいいけどさ。世の中がんばったって、思ったようにはいかねえからな。努力が報われりゃ警察いらねえって。なに? 新潟県警なら、こっちがいらねえよ(笑)。

 えっ? 何だって、これ実話なの? ホーマーってNASAに入っちゃったの?

 そう…これは夢じゃないんです。

 

2000年3月、東京

 あの後、何本もつまらない8ミリ映画を撮って、何かを追い求めた私たち。

 今、私は映画を仕事とせず、ライター稼業で食ってはいる。そう、その意味では夢は消えてしまったのかも知れない。

 でも、不向きな営業マンとして日常に埋没しそうだったとき、ライターとしてやり直す道を指し示してくれたのは、映画を信じたあの気持ちだった。

 ライターになってからの何度もの挫折や、フテくされた日々を立て直してくれたのも、映画の持つ輝きだった。

 そして、今こうしてネットの片隅でサイトを運営し、今後の私の人生を左右するかもしれない出会いをもたらしてくれたのも映画が生んだ縁だった。

 私が映画をつくる日々はもう終わった。でも、夢はきっとまだまだ続く。

 私が映画の美しいマジックを信じている限り。

 

 

 こんなこと書いて、俺あした死んじゃうんじゃないかね(笑)?

 

  

 

 

 

 

 to : Review 2000

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME