「スリーピー・ホロウ」

  Sleepy Hollow

 (2000/03/06)


ちょっとムケたかティム・バートン

 ティム・バートンってとっても不思議な映画作家だよね。正直言っていちばん好きってわけではないのに、妙に心に残ってしまう。「バットマン」だって「バットマン・リターンズ」なんか悪役が悲しくってよかったな。「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」なんて柄にもなくハッピーなことやろうと一生懸命なのに空回りな骸骨くんに泣かされた。なぜだろう? ハッキリ言って浮いてる主人公、決して世界のメインストリームではない主人公が、それにも関わらず孤軍奮闘って姿が、どことなく自分と似ているからじゃないか? ハッキリ言ってみんなの人気者でカッコよくって頭もいいなんてやつがティム・バートン作品を好きって言ったらイヤミだもんね。そんなことありっこない。「若大将」やってたころの加山雄三が、ティム・バートン作品に出るわけないでしょ(笑)。

 しかも、奮闘するんだけど主人公たちは敗れ去る。一種のおとぎ話なのに、この残酷さ。これも、彼のファンとしたら、現実に何度も煮え湯を飲まされてきた自分の姿を知っているから共感するのかもしれない。安っぽく主人公に勝利されたら、それこそシラケちゃうもんな。

 そんな彼が一皮も二皮もむけた…と思わされたのが「エド・ウッド」。この映画での主人公エドはけったいな男ながら決してくじけない、映画を愛する心なら誰にも負けない愛すべき男。だが、その作品の出来たるやハッキリ言ってクズそのものなのは、画面を見ればよくわかる。だいいちこいつちょっとヘンだよな。

 だけど、かつて黒澤明が自殺未遂した直後に市川崑が証言したように、「撮影現場での監督なんて狂ってないやつはいない」というのが本当だろう。私自身素人映画をつくった経験あるけど、やっぱり狂ってましたよ現場では。普段の押し出しの弱さが、こと映画の撮影となるとガラッと豹変。自分も驚いてたけど周囲の人間もビビってたな。

 しかも終盤にとんでもない有名な人物も登場してエドの夢は最高潮に盛り上がる。愛する彼女とオープンカーで去っていく夢いっぱいのエンディングは、実際のエドが晩年にいかに悲惨だったか知っているだけに、映画ファンの胸にも鮮烈に焼き付く。悲惨な現実を知っているのに、いや、知っているからこそのハッピー・エンディング。それは、ティム・バートン映画の新たな旅立ちの一ページだったような気がするんだな。

 その後に来た「マーズ・アタック!」は悪ふざけも度を超したというたぐいの作品で、私もこの手の作品嫌いじゃないが、それでもちょっとどうかと思わされる出来映え。でも考えてみると、あれは独身者が結婚前夜に年貢の納め時とばかり悪ふざけの仕納めをするバチェラー・パーティーみたいなもんだったんじゃないかな。

 今回、この堂々たるゴシック・ホラーの「スリーピー・ホロウ」を見てから、ますますそう思った。

 

クリストファー・リーを見逃した!

 冒頭、早速お話の本題に入っていくからうれしくなる。首なし騎士が出てきてまず最初の犠牲者登場。これが何とマーティン・ランドー。やっぱり「エド・ウッド」でオスカーもらったから、ティム・バートンのこと恩人だと思ってるんだねぇ。すっごく張り切ってのゲスト出演がうれしい。

 で、何だかオタクな当時なりのハイテク機器で科学捜査やろうとしてる若い捜査官がジョニー・デップ。彼も何となく浮いてて、一生懸命なんだけど空回り。いかにもティム・バートン世界の人間なんだよね。彼がナマイキばっかりヌカしているもんだから、そんなに科学捜査やりたきゃ、この難事件を解決しに行け!…とドヤしつけられて、最近首切り殺人が多発するオランダ移民の陰気くさい村、スリーピー・ホロウに行くことになるのが発端。それにしても、ここでデップをドヤすニューヨーク市長があのクリストファー・リーだったとは。私は、もっと話が本題に移ってからリーが登場するものとばかり思っていたので、まったく気づかなかった(涙)。まさに不覚。でも、勘のいい方ならもうお気づきだろう。そう! 今度のバートンの狙いは英国ハマー・フイルムが大量生産した、クリストファー・リー主演のドラキュラ映画を初めとする、あのギラギラした怪奇映画の世界の再現。カラーの色調もドス黒いと表現するべきか、とにかくコントラストのキツい独特な色調だ。

 さて、だいたいこうして主人公が薄気味悪い村に入っていくと、そこの住人が何となく奇妙で、主人公を取り巻いては不自然に親切にしたり逆に妙によそよそしくするのは、こうした怪奇映画の定石。でも、何となくこれって初めて映画ファンの掲示板にカキコしようと入って行ったときにも似ているね。排他的でクラ〜い感じ。やだな、ネット上の映画ファンって。俺はハッキリ言って嫌いだぜ(笑)。

 そこでは大地主やら牧師やら判事やらといった村の有力者たちがデップを待っていた。村長に始まってすでに何人も首なし騎士に首をチョン切られて殺されているというお話。首なし騎士なんて亡霊話にはついていけないと、いつもの科学捜査の自慢話をまくし立てるデップだが、見てる我々にもかなり頼りなさそうに見えるとこがミソ。「エド・ウッド」だってもっと堂々としてたぜ。

 そのうち新たな犠牲者が出て、その犠牲者の息子だった少年が親の敵を討ちたいとデップの助手となる。そんなデップの唯一の心の支えは、大地主の娘クリスティーナ・リッチ。ひと目みて惹かれた彼女だが、“愛しても愛しても、あぁ人の妻”…ならぬフィアンセ持ち。でも…ややっ? あの娘、俺に気があるみたいだぞ?

 今回クリスティーナ・リッチは、「バッファロー'66」に代表される最近のグロ路線を方向転換して、ぐっとかわいく迫ります。そうだよ、本来この人かわいかったんだよね。でも、胸の充実ぶりなどに最近のムチムチ・ボディもチラつかせているから、デップもたまりましぇん。

 

恋の魔法の真実って知ってる?

 そんなこんなしているうち、判事がデップに何か言いたそう。それを聞き出そうとしているうちに、何と問題の首なし騎士本人が現れるではないか! ビビるデップを後目に判事だけ殺して去っていった首なし騎士。卒倒したデップは必ずや小便をチビったに違いありません。あっちもブリッと出たかな?

 何だかうなされているうち、デップはご幼少の頃のことを思い出します。ヘンテコなぐりんぐりんマークを書いてたお母さん。誰も見てないところで空に浮いていたお母さん…この母のイメージは何回も繰り返し登場し、デップを苦しめます。早い話が母は魔女であることを知られて、牧師である父親に殺されるという決定的トラウマ。だから、デップは科学と合理主義の世界に閉じこもろうとしたんだな。ペンギンマンのように、キャットウーマンのように、トラウマに苦しめられるデップ。ますますティム・バートン的な人物路線をひた走り。お母さん役がバートンの女、リサ・マリーってとこが、また“いかにも”なのだ。

 しかも、デップの心をとらえたクリスティーナ・リッチ。何と彼女もぐりんぐりんマークを書いているところを目ざとく見つけたデップ。リッチが母親と同じ魔女だと気づいて、トラウマうずきながらもますます惹かれていくのがミソですな。

 今度のぶっ倒れ失禁騒ぎですっかり株下げて、ボンクラ呼ばわりされ始めたデップ。でも、何とか克服してベッドから起き、首なし騎士の亡骸が埋まっている場所を探し出すため森に乗り込む。しかし相手は亡霊。いったいどうやって事件を解決するつもりなんだろうね。そんな道中の途中で何とクリスティーナ・リッチが登場。これで単純にも百人力の気分になったデップは、ついに騎士が埋まっている「死人の木」という不気味な巨木を発見する。

 ところがまたもや村には首なし騎士が出てきて、一家皆殺し。ついでに立ち向かったリッチの婚約者も殺された。横でデップがまた気絶。おいおい。…しかしこの婚約者、ホントに殺されるためだけに出てきたみたいでお気の毒。

 またまた熱出したデップ。看病に訪れたリッチに、すかさず「魔女に恋の魔法をかけられた」と口説くとは、にくいじゃないですか。まったくのヤボてんと思ってたのに。でも気持ちはわかる。俺も会ったことがあるからな、恋の魔法をかける魔女に。

 ここからは横溝正史の金田一シリーズみたいな展開になって、ストーリー説明するのも面倒くさいからやめとくね。このサイトの更新間に合わないんだよ、早く書かないと。

 で、何とリッチの父親の大地主が事件の容疑者として浮かび上がってくる。そして教会での大立ち回り。ところがその大地主も殺されて、クリスティーナ・リッチがすべてを仕組んだと悟るデップ。つらいねぇ。これで、もう俺はここにいられなくなった…と傷心で村を去ろうとするデップ。女を愛したときほど男って無防備になるから、それが裏切られたと思ったらツラくていられない。あ〜トラウマ、トラウマ。女は信じられない。男と女は幸せになんかなれっこない〜。…何もかも投げだしたくなる気持ちは私もわかるよ。お互い何となく浮いてて、一生懸命やってるのに空回りって同士だからね。でもデップよ、それでいいのか。おまえの明日はどっちだ(笑)?

 でもここからが「エド・ウッド」以来、一皮もふた皮もむけて(やっぱ、ムケなきゃぁ!)グッと大人になったバートンだ。こんなイジケた終わり方はしないぜ。デップは男になって立ち上がるのだ。

 いいじゃないか、魔女だって何だって。信じよう、恋の魔法の真実を。

 

 

 

 

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