「ジャンヌ・ダルク」

  Joan of Arc (The Messenger : the Story of Joan of Arc)

 (2000/01/24)


ミラのビッチ女にベッソンも骨抜き

 あのリュック・ベッソンがまたまたすごい大金かけて「ジャンヌ・ダルク」をつくると聞いて、ヤバいと感じたのは私だけじゃなかったはず。ロクなもんじゃないんじゃないの?

 だって、彼の前作「フィフス・エレメント」の内容のあまりに単純でガキっぽいのにガックリきてたからねぇ。次はあんまり期待できないし、よっぽどのものでなけりゃ挽回できねぇぞと思った。

 だけど元々は私、リュック・ベッソンのこと、かなり高く買ってたんだよね。最初に見た「サブウェイ」の時から。次の「グレート・ブルー」で、完璧にしびれた。私は初公開時、これを新宿歌舞伎町でも1〜2を争う大きな映画館、新宿プラザで見た。確か2週目の最終回、仕事帰りに駆けつけて見に行ったのだった。

 ところが客がいない! 劇場のキャパが1000以上のところに、お客は私を含めてどう多く見積もっても10名未満。がら〜ん。

 ところが、これがよかったんだよ。大劇場で70ミリ上映。ドルビー・ステレオの立体音響で、大画面が海の青でいっぱいになる。ホントに潜ってる感じ。まるで「2001年宇宙の旅」のような映像体験。人がいないから、なおさらそれは深海を思わせた。俺は今、ものすごい傑作を目撃している!

 ところが、というかやっぱりと言うべきか、「グレート・ブルー」は記録的不入りで2週間で打ち切りとなった。これで終われば単なるカルト・ムービーで話は終わりになるところだったのだが。

 やはり、これを見ていた広告代理店野郎がいたんだね。どっかのタイヤ・メーカーか何かのテレビCMに、この映画そっくりのパロディをやらかした。でも、誰も知らない映画のパロディって何の意味があるんだよ。独りよがりに「自分はいいセンスしている」と言いたいんだろ。チンケな広告屋め!

 さらに、フランス本国での伝説的な大ヒットぶりが、後になってひたひたと押し寄せてきた。時はまさにミニシアター・ブームまっただ中、伝説のフランス映画「グラン・ブルー」として、よりフレンチーな「おフランス名前」で帰ってきた。そりゃよかったね。

 確かに完全版とやらで長くなって、ロザンナ・アークェット(実は私と同い歳。好きでした)のヌードとかいっぱい出てくるのはうれしいだろうけどさ、だから何なんだよ?

 あのね、確かに私は昔の映画評論家なんかが、今はフィルムもなくなって誰も見れない過去の名作なんかをホメちぎってるのを読むと、そんなに見たこと自慢したいのかいオジイサン?と思わず言いたくもなったクチ。だけど、申し訳ないけど、この作品に関してだけは譲れない一線が確かにあるの。この作品の日本公開題名はあくまで「グレート・ブルー」といって、実際にフランスでどんな題名かどうかなんてどうでもいいんだよ。長くなくても結構。あくまで20世紀フォックス配給で70ミリ・立体音響で公開されたものでないと、これはちゃんと語れないと思うよ。シケたミニシアターやビデオでは、残念ながらこの興奮は味わえない。広告屋サン、おあいにくだったな。おまえらのデート・アイテムに成り下がるような映画じゃねえんだよ、これは!

 ただ、ベッソンっていつの間にか気持ち悪いほどスター監督になった。でも、そうすると、それほどのもんかね…という気になった。映画はどれも好きだし、いいセンはいってるものの、みんながみんな喝采を送るような監督だろうかというと「?」。でも、「ニキータ」は当たった。これで道が開けた。一気にインターナショナルな存在になった。「レオン」が決定打だった。ジャン・レノまでハリウッド・スターになっちゃったもんな。

 そして、ホントにアメリカ映画の監督みたいになっちゃったのが、「フィフス・エレメント」だった。

 ベッソンって確かに従来のフランス映画にない映像のダイナミズムとスペクタクル、そして明快さを売りにどんどんでかくなった監督だ。そこが好きだったんだけど、初期のうちはフランス映画なりの湿り気というか、暗さみたいなものもどこか引きずっていたのだ。それが、まるっきりなくなっちゃうとねぇ、アメリカ映画の監督がつくればいいじゃんってことになる。

 それに、何だか「レオン」以降はふんぞり返った発言がやたら多くなった。だからって訳でもないけど、「ニキータ」は自分の女を主演に撮ったけど、完成した後、すぐに逃げられている。

 ノーテンキな「フィフス・エレメント」完成披露のカンヌで、ベッソンは主演女優のミラ・ジョヴォビッチとやたらベタベタした写真撮られてる。やな予感。ミラはミラで、まるでハダカ同然のドレス着てコビ売りまくり。考えてみれば、こいつ元々モデルで、映画出たときもハダカが売り物だったもんなぁ。

 それからほどなくベッソンがミラと結婚。その上、ミラ主演でご存じもの「ジャンヌ・ダルク」を大金かき集めて撮ると聞いたから、やめたほうがいいんじゃないかと思ったんだよね。だって、どう考えても、ミラが自分のキャリア・アップを図ってベッソンをタラし込んだのは明らかじゃないの。わかってないのベッソンだけ。バカだねぇ。

 案の定、昨年秋の東京国際映画祭での「ジャンヌ・ダルク」プレミアでは、ベッソンの隣にミラはいなかった。主演女優にして監督夫人が不在? 残念ながらこの時はすでに監督夫人ではなかった。映画できちゃったもん、もうベッソンに一回だってやらせる必要もない。でも、相変わらずベッソンは発言が偉そうだから、余計バカさが身にしみる。トホホホ。世界中がおまえをバカだと思ってるぞ。思ってないのはおまえ自身だけ。でも、俺も男だ。おまえの気持ちはわかる。いくら偉そうに発言してても、捨てられ男の哀れさがにじむ。初めて奴の暴言を許す気になったぜ。

 おまけにミラのビッチ女がその後来日してホザくことには、自分の写真をベッソンと一緒に見ていて一枚の写真を指さし、「まさにこれがジャンヌよ」と言ったから映画の製作が決まっただとぉ? このバカ女、黙って言わせておけばいい気になりやがって。ベッソン、おまえ、この女にこんなこと言わせてていいのか?

 表向きソニー=コロンビア・ピクチャーズのアメリカ映画、その製作母体はベッソンと古いつき合いのフランスの老舗映画会社ゴーモンという体制で、ヨーロッパ贔屓のジョン・マルコビッチ、フェイ・ダナウェイというアメリカのスターはまだしも、何とハリウッドの大スターであるダスティン・ホフマンまで担ぎ出した超大作。それが今まで現代劇のアクションやSFアクションを撮ってきたベッソン初の歴史劇であること、日本の「伊豆の踊り子」みたいに向こうの定番ストーリーであること、主役が色に目がくらんで起用したミラであること…などなど、ジェームズ・キャメロンの「タイタニック」の前評判といい勝負なくらいにヤバいムードが濃厚。「タイタニック」は、それがすべて吉と出たが、果たして「ジャンヌ」はどうか?

 でも、しょせんミラだもんなぁ…。

 

定番中の定番の題材「ジャンヌ・ダルク」

 ジャンヌと言えば何度も何度も映画化されてる定番。おそらく、そのつど新解釈って触れ込みなんだろうけどな。最近じゃジャック・リヴェットがサンドリーヌ・ポネール主演で「ジャンヌ」二部作を製作したばかりだから、何もまたすぐにつくることはないと思うんだがね。日本だって、あんなに何かっていうとつくってた「伊豆の踊り子」、山口百恵以降は映画にしてないんだぜ。えっ? 桜樹ルイのアダルト・ビデオ「新説・伊豆の踊り子」がある? う〜ん、確かに新解釈ではあるがなぁ…。ところで、これのウラ流出ものって誰か貸してくれない(笑)?

 そのジャック・リヴェット版では、現代的リアリズムで「ジャンヌ」を描くというのが主旨だったみたいだから、とにかくラストの火あぶりも熱そう。ヒロミ・ゴーのアチチどころじゃないぜ。そう言えば、昨年大晦日の「紅白歌合戦」じゃ、このヒロミ・ゴーの出演したときが、番組瞬間最大視聴率を記録したんだってね。さすがゴー! メンコの数が違うぜ。

 でも、リヴェットの悪いくせで、登場人物の心理はあいまいでよくわからない。だから、肝心のジャンヌがどうしてこんな大それたことをやったのかは、ボワ〜ッとした謎のまま。ハッキリ言ってジャンヌを単なる聖女や偉人扱いするんじゃ、何も新たにニュー・バージョンつくる意味なんてない。でも、人間は複雑でわからない〜なんて放り出されたんじゃ、これまた死んだジャンヌも浮かばれまい。そこんとこ、ズバーッと我々にもわかりやすく描いてくれないかな。

 実は今回のリュック・ベッソン版では、かなり明快でわかりやすいヒントを与えてくれてる。

 少女時代からやたら信心深い女の子だったジャンヌ、朝から何度も協会に懺悔に来て、神父さんをうんざりさせるほどの「教会おたく」。彼女に言わせれば、神様が声をかけてくださるとのことだが、まだこっちにはそれがホントかどうかわからない。ただ、本人はそう思ってるみたいだ。

 ところがある日、ジャンヌの住む村がイギリス軍に攻め込まれ、家には火をつけられるわ人は殺されるわ。あげくの果てにジャンヌの目の前で、愛する姉が犯され殺される。これが完全にトラウマになってしまうんだわな。

 かくして、「教会おたく」とイギリス軍憎しのトラウマが、彼女の人格を形成することになる。

 そして運良くか悪くか、当時のフランスには妙な言い伝えが絶妙のタイミングで広がっていた。ロレーヌの乙女がフランスを救う…って、ノストラダムスみたいな怪しい予言。そこに、絶妙のツボのはまり方でジャンヌが現れてしまうんですな。

 当時のフランスはイギリスにいいようにいたぶられている最中。そこで王太子シャルル(ジョン・マルコビッチ)に王位継承させて、一気にフランスを盛り立てようという気運があり、そこにジャンヌがやってくるわけ。最初はそんな海のものとも山のものともわからない田舎娘の言うこと聞いても意味ないと、シャルルの周囲の人間は懐疑的だったが、何よりシャルル本人もそうだが、彼の義母にあたるヨランド(フェイ・ダナウェイ)がこの話に乗った。

 そんなジャンヌとシャルルの初対面のエピソードはなかなか興味深い描かれ方をしているが、中でもジャンヌ。実はこのシーンからが問題のミラ・ジョヴォビッチの出演場面となるのだ。

 ミラのジャンヌは、シャルルを認めるとむしゃぶりつかんばかりの勢いでにじり寄る。一対一で面談を…と迫り、彼女の素性を怪しむ周囲の人間を閉め出して、二人で部屋に籠もる。何だか外から見てると、部屋の中で一本ヌイてる感じ(笑)。アブない性的ヒステリームードがムンムンのジャンヌなのである。元々ミラ・ジョヴォビッチって、そっちの雰囲気濃厚の人だもんね。スパイク・リーの「ラスト・ゲーム」で、何とあの品行方正なデンゼル・ワシントンを一本ヌイてやってる実績あり。でも、マジメな奴ほどあっちはネチっこいって言いますからね。男どおしの勘から言って、デンゼルは“好き”なほうだと思います(笑)。

 というわけで、いよいよジャンヌが戦場にやってくる! 決戦は金曜日(笑)!

 ところが、前線じゃ強力な援軍と物資がやってくると思ってたのに、実戦ド素人のジャンヌなんか来るから腐ること腐ること。ジャンヌはジャンヌで、みんなバカにして言うこと聞かないとわめく叫ぶ。一応、作戦会議にまぜてやれば、ジャンヌときたら真っ正面からドンと攻めようなんて調子のいいことばかり言ってる。おまえ、それができりゃあ苦労ねえんだよと文句言えば、神様がそう言ってるのにぃぃぃと泣きわめく。何だか卓球の愛ちゃんと試合してるみたいで、すごーくヤな感じ。

 翌朝、こりゃつき合ってられないとばかり、男たちはグースカ寝てるジャンヌを置いて攻撃に出かける。ところが、それがまた散々な結果になりそうなんだよね。そこでジャンヌはふと起きる。大変だ行かなきゃ、私が行かなきゃ戦は負ける。見ると、もう味方勢の連中は足を引きずりながら退却しかかっている。ジャンヌは馬に乗って飛び出して、彼らにでかい声で呼びかけた。

 「8時だヨ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」

 味方勢は「奇跡の人」ジャンヌを見つけて、ぐっと盛り上がる。「全員集合〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」

 これで、みんな一気に攻撃に転じた。おそるべしドリフ、おそるべし長介効果。ハァ〜〜〜〜〜〜〜、ジャンヌ見〜た〜さ〜ぁにっ。

 怖いのは、ド素人の無茶苦茶攻撃なのに、妙に勢いがいいから何とかなってきちゃうこと。昔、カラオケですっごい大人しい女の子が、回りの男どもから歌え歌えと責められて、追いつめられた表情でピンク・レディー・メドレー歌い出したときを思い出した。イヤだったのに無理矢理歌わされて、もう完全に壊れちゃった彼女。白目ムキ出し、足はモハメッド・アリみたいにせわしなくピョンピョン跳ねまくり。ヤバいと思ったときはもう遅かった。壊れた彼女を誰も止められない。

 戦い方なんか知らないから、ただ大声でわめきながら無茶苦茶に剣振り回すのみ。周囲の人間は伝説のジャンヌに何かあってはいけないと必死にバックアップ。それで何とかもっているのに、馬上で完全にヒューズ飛んじゃってるジャンヌにはわかりゃしない。これである程度のとこまではいけるから、火事場の馬鹿力もバカにはできないね。もっとも、イギリス軍の放った矢が彼女を捉えた瞬間、みんなシュ〜ンとなっちゃうんだけど。

 それでも翌朝はキッチリ起きて、疲れ切ってる兵のことなどお構いなしに、さぁ〜バリバリやるぞぉ〜みたいに怪気炎。笑ってバカにしてるイギリス軍に、ジャンヌそれでなくてもキレてるのに、マジで神経ブチ切れた。

 「とつげぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜き!」

 もう目はグルングルン。声は裏返っちゃってる。今にもアブク吹きそう。完全にイッちゃってる感じ。リュック・ベッソンのジャンヌ像は終始一貫して、イッちゃってるアブない女として描いている。そして、戦場ではたまたま幸運にもうまくいっただけと。これは確かに画期的なことかもね。

 砦は陥落。みんな勝ち誇って大喜び。ところが、あちこちに死人がゴロゴロしてるのを見たらジャンヌ急にビビッて、どうしてこんなひどいことを…なんて泣きを入れる。私はこんなつもりじゃなかった…。これには周囲の連中もシラジラとせざるを得ない。おまえ、それはないんでないかい。何だか女と一夜を共にした翌朝、あれはお酒が悪かったとか、ホントの私じゃなかったとか、ホントはアンタなんか好きじゃなかったとか言われるときに似ている(経験あり)。ミラ、おまえはやっぱりイヤミな女だぜ。

 それでもシャルルの戴冠式の晴れがましい席では、得意満面の笑み。してやったりのジャンヌでありました。

 

真に火あぶりに値することとは?

 ところがその後のジャンヌはというと、やることなす事すべて裏目裏目に出る。シャルルも状況変わって、戦いによる状況打開より外交で解決させたい意向に傾いてきたから、ジャンヌが邪魔になってきた。みんなで寄ってたかってジャンヌを裏切る結果になっちゃったわけだけど、正直言ってジャンヌもイケイケで調子に乗りすぎた。一度戦って味しめちゃったわけ。おらおら、最初はあんなにイヤとかヤメテとか言ってたくせによー。やっぱ、おまえも好きなんじゃねえか。ケッ。

 結果的にイギリス軍の手中に落ちて、ブタ箱にぶち込まれ、おざなりな宗教裁判を受けるハメになる。ここから先は、「ジャンヌ・ダルク」トホホ篇。しかしこのトホホ篇こそが、本作品の神髄だ。

 牢屋に閉じこめられた落ち目のジャンヌの前に、奇妙な黒頭巾の男が現れる。今回のキャスティングの目玉、ダスティン・ホフマンの登場である。これが「薔薇の名前」のショーン・コネリーみたいな出で立ちで、ジャンヌの回りをうろつきながらブツブツつぶやきはじめる。ホントに神の声が聞こえたのか? ホントに奇跡は起きたのか? 何かの間違えじゃないのか? 声は自分でしゃべってたんじゃないのか?

 ホフマンはジャンヌの内なる良心との触れ込みで、ジャンヌの目にしか見えない実体のない存在であることが映画の中でもくどいほど描かれている。しかし、そんな奇妙な存在なのに、言ってることはかなり理詰めなのが笑える。ジャンヌが神の啓示を受けて野原にぶっ倒れて、目が覚めてみると近くに剣が置いてあった…という「奇跡」に対しても、通りがかった奴が落としていっただけかもしれないとか、誰かが捨てていったとか、再現フィルムよろしくそのつどジャンヌと我々に見せて、「奇跡じゃなかったんじゃないの?」と迫る。このへんの妙に現代的なところがおかしい。そしてホフマンが最終的にジャンヌに迫るのは、神の名の下に人を殺してもよかったのか、そしてしまいには殺しそのものに楽しみを感じてたんじゃないのか…という、実はジャンヌに関することで誰も触れたがらなかった点だ。なるほど、今回のジャンヌはいつ地下鉄にサリンまいてもおかしくなさそうだったもんな。

 一方、教会が神の名の下に行うジャンヌの宗教裁判の愚劣さもじっくり描かれる。この二つの要素によって、この世に「聖戦」なんてものはない(どっかの国の戦争の時も、神様が風を吹かせたとか言ってたっけ)ということが暴かれる。教会側の愚劣さが描かれるのはいつものことだが、それをジャンヌにまで広げたのは、おそらく初めてじゃないのか? 「エンド・オブ・デイズ」でもいみじくもガブリエル・バーンの悪魔が言ってたように、一体神様が何をしてくれたっていうんだ。そう、歴史上、神の名の下に殺された人間は一体何人いるのかってことだよな。これは、世界中いたるところで民族紛争が起こり、宗教がそのネタとして使われる現代だからこそ…のテーマだと思う。これ見せただけでも、今回のジャンヌ・ダルクの映画化は意味がある。ベッソンもお手柄ではないかな。ベッソンのある意味での単純さ、単細胞さが、今回の映画のジャンヌのキャラクターやその奇跡に関わる解釈を描く上で、また作品のテーマを語る上での明快さにつながったみたいだ。何が幸いするかわかんないねぇ。

 最期の火あぶりの刑は熱そう。それもジャック・リヴェットの「ジャンヌ」よりさらにパワーアップして熱い。だって、ジャンヌ燃えちゃってるんだぜ。まぁ、でも上記のテーマをさらに打ち出すためにも、ここは熱さを増しておかなければね。何百年も経ってから名誉回復されて「聖人」扱いされたって、一体何の意味があるんだよ。熱さが減るもんじゃなし。世界中の教会関係者が責任感じて火をかぶるって言うなら話はわかるけど、そんなこと言う骨のある奴(笑)もいないしな。

 でも、ジャンヌ本人にはこれは贖罪として意味があったんじゃないか。神の名を借りて人を殺しまくった罪、その一点において自分は有罪であるとジャンヌは考えたに違いないというのが、たぶん今回の解釈ってことなんじゃないかな。

 ならば今、ジャンヌと同じように責任感じて自らを断罪しなければならない人間が、地球上に何人いるんだろう? どっかの国で民族浄化した奴、どっかの国を侵略した奴、どっかの国を恐怖政治で支配した奴、どっかの国を空爆した奴…火あぶりに値する奴らはゴマンといる。今そのことこそを、我々は厳しく見つめなくてはいけないんじゃないのか?

 エンディング・クレジットに流れる、「心の中の声が呼んでいる〜」なんて八代亜紀が歌ったほうがピンとくるような演歌ふうテーマソングには思わず脱力だけど(それにしても、「海の上のピアニスト」にしてもそうだけど、物語を全部説明しちゃうようなトホホな歌詞のテーマソングをラストに流すのが今はやってるのかね?)、言いたいことは直球ストレートで伝わってきたよ。ベッソン色ボケじゃなかったんだな。

 テレビでは、オウムが教団の名称を変更すると伝えていた…。

 

 

 

 

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