「ポーラX」

  Pola X

 (2000/01/17)


ポツーンと置いてけぼり

 何だか化粧品屋の新製品みたいなタイトルだよな。ポーラ・レディがお届けします(笑)。で、これがフランス映画界の鬼っ子レオス・カラックスの、ホントーに久々の新作ともなれば、また感慨もわく。

 カラックス、天才児とか言われながら「ボーイ・ミーツ・ガール」あたりから快進撃。でも、私は何となくこいつの映画、頭でっかちで好きじゃなかったんだな、新しさは認めてたけど。で、前作「ポンヌフの恋人」でようやく好きになれた。でも、この映画つくるのに金使いすぎてヒドい目に遭ったみたい。そして、8年…。

 昨年の夏ぐらいからかな? 渋谷の映画館でかかりだしたこの映画の予告編は、「特報!」と華々しく銘打たれている割には、なにがなんだか訳わかんないものだった。主要登場人物の顔がほんの1秒ぐらいパッパカ出ては消える。中に、カトリーヌ・ドヌーブが湯ざめしそうな風呂に入ってるショットもあったり。夜道を走るバイク、空爆のニュースフィルム、お墓がドカーン! 思わず「太陽にほえろ!」ジーパン刑事の最期の台詞が口をつく。

 なんじゃ、こりゃ〜っ!

 気むずかし屋のカラックスの悪い癖がまた出たな。先に見た知人が「はっきりいって ポツーンと置いてけぼりにされちゃった感じ」と伝えてきたので、ますますその観は強くなった。ポツーンと置いてけぼりにされちゃった感じ…そう、先にそれを聞いていてよかった。

 「ポーラX」は、見る人を平気でポツーンと置いてけぼりにしちゃう映画なのです。

 

自信満々の人生の空虚さに気づいたとき

 でっかいお屋敷で優雅に暮らすお坊ちゃま、演ずるはジェラール・ドパルデューの息子ギヨーム。はは〜ん、七光り役者ね。ところが、このキャスティングからしてカラックスの作戦なんだな。彼は覆面作家としても大成功。今日も今日とてパソコンで、言葉遊びみたいに小説書いてる。お母様はこれまたジェッキー・チェンの映画どころじゃない、まさに文字通り「ゴージャス」なカトリーヌ・ドヌーブだ。今は亡きギヨームの親父さんは元・外交官でかなり偉かったらしい。婚約者もいいとこのお嬢様で、もちろん今朝も一発キメました…なーんてはしたない。こういう人たちはセックスもお上品ざますのよ。ギヨーム坊っちゃまとフィアンセとギヨームの従兄弟の3人は、その昔ただならぬ関係だったようだが、今はいい友達。このへんのクールさが、おフランスの余裕なんざますね。ミーも入れてほしいざんす。シェ〜ッ。

 でも、お坊ちゃまは最近夢の中に奇妙な女が出てきて、それが気になってたまらない。満ち足りて言うことなし。やることなす事うまくいく、自信満々(「やる気まんまん」は日刊ゲンダイ連載のエロマンガです)の人生で唯一の陰り。

 そのギヨーム坊っちゃまの周囲に、あるホームレスの女がウロチョロしだす。するとバイクがひっくり返って怪我したり、何だか散々、イヤな予感。で、ある日真っ正面から会ってしまうんですね、彼女と。「アダムス・ファミリー」のクリスティーナ・リッチがそのまま大きくなったみたいな、幸薄で陰気くさそうな彼女カテリーナ・ゴルベワこそ、夢に出てきた女。そして、彼女はたどたどしいフランス語で語り出すのだ。私はあなたの姉だと…。

 今でこそ東ヨーロッパからの難民として汚らしい出で立ちこそしているが、彼女こそ外交官だったギヨームの父が、東欧赴任中につくった不倫の子。一旦は引き取られてここフランスに来たものの、ちょうどギヨームが生まれたこともあってドヌーブにイビリ出された。その後、東欧に舞い戻って平和に暮らしてたのだが、やがて戦乱ですべてを失い、またフランスへ…。

 これを知ったギヨームくんの心中たるや…「あの娘と自転車に乗って」の主人公ベシュケンピールくんが、自分がもらいっ子だと知ったときみたいな大荒れ。屋敷の開かずの間みたいな場所をこじ開けてみれば、そこには姉が暮らしていたらしき部屋が。もうドヌーブ母ちゃんなんて信じられない! 俺は出てくぞ! なーに、また新しい小説出せばきっと売れるって。

 タンカを切って家を飛び出し、婚約者も捨てて、ホームレスの姉とその連れの母子を連れてパリへ。ところがタクシーの中で彼女たちのことをなじられ、カッと来たギヨームは運チャンと小競り合い。駆けつけたポリが彼女たちを乱暴に扱うのでまた怒ったギヨーム、今度はお巡りにボコボコにされる。こいつらたぶん神奈川県警から派遣されてたんでしょう。事件は現場じゃなくて、ケーサツで起こってるんだ!

 ギヨーム好みの高級ホテルも、いかにも難民風体の一行を拒否。やっとこ辿り着いたのが場末の汚いホテル。自信満々の自分の人生がおかしくなり始めたとまだ気づいてないギヨームくんでしたが、事はまだ序の口。連れの女の子が喜ぶようにと動物園に連れていき、「人間は臭い」なんてフランス語を教えて気を利かせたつもりが、変なことば憶えた女の子が「おまえは臭い」と周りに連発したあげく、怒ったフランス男に殴り殺される。これで場末のホテルすらいられなくなって、前衛音楽やりながらゲリラ訓練みたいなこともやってる得体の知れない連中の巣窟に身を寄せる。そして、そこで姉と弟は、決定的に一線を超えてしまうんですね。

 ギヨームの作家としての売り出しに一役買った出版社の偉いオバサンも、ギヨームの変わり様を心配してた。今までの自分の人生はニセモノだったとか、もっと意味のある真実の作品を書きたいとか、熱に浮かされているように言うギヨームに、オバサンはたしなめるように、読者は未熟な彼を望んでいるのだと言う。それでもシリアスで意味のある作品しか書きたくないと言い張るギヨームにオバサンいわく、「世を罰しようとする者は、世の報いを受けるのよ」。う〜ん、これは深いです。

 ある日、自分の住むゴキゲンな世界が、偽りの空っぽな世界と知ったらどうだろう? そして、より自分に誠実に、真実を求めようとすれば…その道のりはなかなか厳しいよ。周囲の反発は君の予想以上だ。だって、彼らはその世界で十分過ぎるほど恩恵を受けているから、君のせいでそれを壊されたくない。しかも、そうやって君が近づいていこうとする真実すら、君を冷たく拒絶しようとするかもしれない。「所詮、おまえは何もわかっていないのだ」と。

 

逃れられない選択

 私にとっては、5年前の出来事がそれに当たる。会社勤めのコピーライターとしての仕事は順調。生まれて初めて自信満々に過ごした人生唯一の時期だったかもしれない。同年代の友人たちに会うと彼らもそれなりの地位にいて、それぞれ仕事も順調。お互い最初に知り合った頃がウソのように自信に満ちていた。会えばお互いの仕事の話をして、「違った分野の奴どおしで話すのも刺激になる」などと言ったりして、すっかり「デキる男」たちの世界。

 職場の中でも私が一番仕事をこなしていたし、内容もバラエティに富んでいた。もちろん売上はトップ。自慢じゃないかって? いや、ここで言っているのは事実だ。でも、当時の私は、明らかにこれを鼻高々に自慢していた。そんな私が、さらに自信を深めるに至った理由がもう一つある。後輩を育てることになったのだ。

 その後輩とは20代前半の女の子。ライター志望でこのセクションに入ったが、正直言ってライターにはとうてい向かないような女の子だった。しかし、他の連中がさんざ無能扱いしているのを見かねて、私がある一連の仕事で彼女を起用することになったのだ。私には自信があった。他の愚劣な先輩たち・上司たちは、所詮自分が偉いと言いたいだけの、それこそ私から言わせれば真に「無能」の輩。そんな奴らに後進の人材を育てられる訳がない。俺ならば…と、その時、本気で思っていた。思えば、ずいぶん傲慢な人間に成り下がっていたもんだ。

 しかし、これが大変だった。ほとんど個人家庭教師状態。手取り足取りしないと何もできない。さすがの私も頭を抱えたが、1年もやっているうちにさすがの彼女もコツを憶えてきた。みんな根気強く教えた私をホメてくれた。やはり、俺はし損じなかった。仕事はさらに続き、私はさらに自信に満ちてふるまった。…そんなとき、私はふと気づいてしまったのだ。彼女に自分の意志で決定させたくない、自分の家来にしたいと思っている自分に。

 これが色恋沙汰やセクハラでそう思っているなら、こんな言い方は適切ではないが、まだ自分としてはタチはよかった。そうではないのだ。明らかに目下のコントロールできる人間、自分の勢力下の人間として抑えつけようと考えていたのだった。みんながバカにして見捨てた彼女を、根気よくバックアップした「いい先輩」の私…しかし実際は、生まれて初めて手に入れた権力を最大限に行使して、他人を支配しようとしている自分がいたのだ。吐き気がしそうだった。何たる偽善者! しかし、なぜこの俺が? そう思ったとき、そんな自分の自我を育んだ会社でのポジション、自分の今やっている仕事そのものに疑問が沸き上がった。外の気の置けない仲間と思っていた友人たちとの会話も、うつろに響き始めた。お互いの仕事の話をして評価しあっていると見えて、実はお互い相手の話なんか聞いてない。みんな我先にと自分の自慢話をしているだけなのだ。まるで互いのメンコの数を見せびらかすように。何が「デキる男」たちの世界だ! 気づかないのか? 俺たちは、自分が若い頃さんざバカにして、ああはなりたくないと言っていた、セコい仕事の自慢話をひけらかすバカな上司たちと同じ人種に成り下がってしまったんだぞ。しかし、私がそんなことを呟くようになったとたん、友人と思っていた人間たちは私を過激派か宇宙人でも見るかのように扱い始めた。そして最期には決まったように、「大人」が子供に接するように、バカみたいに簡単な言葉で私をたしなめるようになった。私は仲間内での格好の良いポジションを、アッという間に失った。

 1995年の誕生日、私は会社を辞めた。とてもいられなかった。自分が恥ずかしかったから。

 しかし、それから5年の歳月が経ち、ある時は狭く暗い部屋の中で報われぬ不毛な仕事に明け暮れ、またある時は中国の見知らぬ海岸で絶対絶命のピンチをかいくぐってもきた。とても順調だとは言えなかった5年間。今でこそなんとか安定した暮らしを保ってきたものの、心の傷は決して私の胸から消えることはないだろう。そしてあの自信満々の日々も、とても戻ってくるとは思えない。

 間違った選択だったのか? 俺が誤っていたのか? …わかるものか。

 でもあの選択以外、俺に選べる道はなかったのだ。

 

 映画はギヨームの姉貴との出会い前と後とに、クッキリ色分けされる。前はお坊ちゃんのヌックヌクの世界。35ミリのリッチなカラー映像。ゴージャスなカトリーヌ・ドヌーブが象徴する豪華絢爛なる世界だ。ちなみに、ドヌーブのお風呂シーンは必見。巨乳なのだ。お湯に二つのふんわりしたでかいオッパイがプカプカ浮いてる。あれには驚いたね。みなさんに聞きたいけど、オッパイってあんなに気持ちよさそうにプカプカ浮かぶものなの? 教えてくださる方、ぜひ私までご連絡ください。そして後半の16ミリの荒い粒子で描いた貧寒とした映像。ほんと手が霜焼けになりそう。ギヨームもヒゲぼうぼうになって、びっこ引いて、ドヌーブ母ちゃんくたばって、自信の新作小説はクズ扱いされる。もうドツボ。

 それにしても、例えば前作「ポンヌフの恋人」でもホームレスに堕ちる主人公を描いていたカラックスだけど、今回の堕ちっぷりはハンパじゃないね。「ポンヌフ」がいかに甘っちょろいかわかる。ひょっとしたら、軽い気持ちでホームレスの映画つくろうとしたのに、巨額の金使ったあげく映画会社つぶした「ポンヌフ」での経験が、彼のトラウマになったのだろうか。その後のカラックスときたら、女にはハリウッドに逃げられるわ(ジュリエット・ビノシュは「イングリッシュ・ペイシェント」でオスカー受賞して、彼よりずっと国際派になってしまった)、新作は手に着かないわ…でここまで来た。

 ポツ〜ンと置いてかれる気になるのもわかる。実はこれつくったカラックスだって、そうだったに決まってる。俺だってそうだ。

 自分しかわからない実感の前で、人間はみな一人ぼっちなのだから。

 

 

 

 

 to : Review 2000

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME