「ゴースト・ドッグ」

  Ghost Dog - the Way of the Samurai

 (2000/01/17)


筋通ってないこと多すぎやしない?

 先日、久米宏が長い「休養」を終えて、現場に復帰したばかりの「ニュース・ステーション」を、初めて見たんだよね。何だかヒゲ生やして精彩がないとか、視聴率が急落とか、ロクでもない話ばっか。で、見てみると、ホントにクラ〜くて元気ない番組になっちゃってる。元々、久米ってあんまり好きじゃなかったんだけど、それでも前は嫌いな奴まで巻き込んでいくパワーがあったのに、今回は何だか知らない奴のお通夜に出席したみたい。何でこんなことになっちゃったのかと考えてみると、確かにリニューアルが失敗だったってこともあるけど、久米そのものに問題があるような気がするねぇ。だって、あいつあれだけタンカを切って辞めてったんでしょ? それをおめおめ今頃になって戻ってこられたって、本人はもうやる気なしと明らかになったものを、他人が見て面白いわけある? ないない。ホント、どのツラ下げて戻って来れた…だよね。この平気で戻って来れちゃう神経が、理解できないんだよな。筋が通ってない。

 当然こういうこと言ったりやったりしたら恥ずかしいってことが、いまや何でもありになってる。筋を通すってことがない。分をわきまえるってことがない。そのくせ旗を上げるだの何だのって、どうでもいいことだけ法制化するなんて、俺に言わせりゃ本末転倒なんだよ。

 まぁ話はヤケに大げさになってきちゃったけど、ひょっとすると俺が今ここで言ってること自体、恥ずかしいことかもしれない。偉そうなことを人の前で言う資格が自分自身にあると思ってること自体が…。今度のウチのサイトの特集すごいでしょ? これだけのことやれるのウチだけでしょ? 偉いでしょ?…そんなことを平気で言ってる自分のいやらしさ、卑しさ、恥ずかしさ。果たして、自分もそうした面がないと言えるのか?

 ディグニティ(品格)、リスペクト(敬意)…今では「死語」となりつつあるこうした概念は、かつて人を人たらしめていた重要な要素だったはず。ホントは今でも変わらないんだけどね。

 「ゴースト・ドッグ」は、今では当の日本でも失われちゃった「武士道」に心酔する、あるニューヨークの殺し屋の物語なのです。

 

「葉隠」NYヒップホップ・バージョン

 この映画のストーリーは、もうみんなよく知ってるんじゃない? ニューヨークの下町、ビルの屋上に居を構え、ハトといしょに暮らしている男ゴースト・ドッグが主人公。職業は殺し屋、音楽の趣味はヒップホップ、そしていつも肌身離さず持っている愛読書は、なんと「葉隠」! 「武士道とは、死ぬことと見つけたり」…てな文章で始まる日本の武士の心得を説いた本だ。

 ゴースト・ドッグの生活の規範は、実はこの本の精神を基にしたもの。以後、映画はゴースト・ドッグの行動を追いながら、ところどころこの「葉隠」の一節を紹介。その文章とゴースト・ドッグの行動の見事な一致が、いかにゴースト・ドッグが武士道に忠実に生きているかを端的に表現している。結果的にこの「葉隠」が「ゴースト・ドッグ」という映画の彩りになっているのではなく、むしろ逆。「葉隠」の現代アメリカにおける映画化作品がこの「ゴースト・ドッグ」ということがわかってくるのがミソ。とんでもないこと考えるよね、アメリカ人って。フォレスト・ウィテカー扮するゴースト・ドッグはいつも黒いパーカを着ているんだけど、その背には着物みたいに家紋が入ってるんだぜ。ゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン(なぜか鐘の音)。

 このゴースト・ドッグが、昔から恩義のある老ヤクザから殺しを請け負い、それを見事に遂行するところからお話は始まる。ボスが溺愛する愛娘と身内のギャングがデキちゃったので、そいつを殺すってだけのお話だったんだが、殺しの現場に手違いでボスの娘が居合わせてしまったがために、なぜか身内を殺ったゴースト・ドッグを消さねばならないことになるってな何とも不条理なお話。ちゃんとわかる人いたら教えて。俺はよく意味がわかんなかった。

 かくしてキチンとやるべきことをやったにも関わらず、命を狙われることになったゴースト・ドッグは、反撃に転じる…というお話。かかる火の粉は払わにゃならぬ。その途中に何度も挿入される「葉隠」からの抜粋。ゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン。

 

武士道とは生きることとみつけたり

 実はこの私もガキの頃、イキがってこの本読んでみようとした記憶がある。ロクに意味わかんなかったけどね。でも、最初の「武士道とは…」って一文は確かに衝撃的だけど、実はその内容と言えば、「雨の日はどうせ濡れるんだから、最初から濡れると思えば苦にならない」とか、「時代を変えようと思うな、その時代を生きろ」とか、しごく真っ当、当たり前なことしか書いてない。昔、ドリフの「全員集合」のエンディングで、「いい湯だな」の歌に乗って加藤茶が「お風呂入ったか〜」とか「宿題やったか〜」とか合いの手入れてるのに似てる。ババンババンバンバン、この世は夢とも思うべし…。

 このゴースト・ドッグをめぐる人間模様には、2つの心温まる挿話もあって、一つはハイチ移民でフランス語しかしゃべれないアイスクリーム屋との友情。このお互い言葉がてん通じないのに分かり合える2人のやりとりはなかなか傑作だけど、これぞ日本流に言えば「以心伝心」と見つけたり。

 もう一つは本好きの女の子との出会い。ここではフォレスト・ウィテカーの元々人なつっこい顔がモノを言う。でも、こんな女の子に「羅生門」とか「葉隠」読ませてどうするんだろうね?

 そして、ギャングの連中が揃いもそろって何だかショボいんですよ。これが笑える。だから、観客が完全に嫌っちゃう人物なんて、ここには出てこないんだね。これも面白い。

 ジム・ジャームッシュは、昔からちょっとフツーとはズレた視点で見た映画をつくり続けてきた人だけど、正直言って近年、鮮度が落ちてマンネリって感じが私はしてたんですよね。世評の高い「デッドマン」も私はあまり面白いと思わなかった。でも、この作品は面白い。ひょっとしたらジャームッシュの作品中、いちばん好きになるかも。

 でも、ヒップホップとニューヨークのギャング抗争を背景に、「葉隠」の完全映画化をねらうって発想が凄いね。いくら「葉隠」に書かれた武士道の基本が人の道に通じると言ったって、現代のそれも先進国の社会では、さすがにそぐわぬものってあるんじゃないかと思ったけれど、例えば「主君に仕える」って今時あんまりな概念も、ここでは恩義のある人には尽くせ…という、非常にわかりやすく納得のいく解釈で描かれているので無理がない。だから、むしろ日本の精神みたいのとマジメに取り組んで、それを説明しようと試みた西欧の過去の映画(例えば「ザ・ヤクザ」とか)のような恥ずかしさがない。あの寺内タケシがエレキで津軽じょんがら演奏するみたいな、「音楽は世界の言葉〜」なんて言っちゃって、確かにうまいんだけどちょっと寒い…みたいな感じがないんだよ。と言うのも、作り手にまるっきり気をてらった、思いつきだけでゴキゲンになったところがないからじゃないかな。だから、地に足の着いた現代「武士道」論映画になった。じゃあ、武士道とは死ぬこととと見つけたりという、あまりに有名なあの冒頭の文章は?

 失うものなんかないって気でやれよ…ってことじゃないか?

 少なくとも、私はそう思った。ガキの頃、訳もわからず読んだときも、そこだけはそう解釈したと覚えてる。それが鮮明に脳裏に焼き付いて、私のその後の人生をいろいろと決定付けてきたんじゃないかと思えるんだよね。そして、その精神に忠実じゃなかった時は、いつもそこに後悔があった。完全燃焼しろよ、今を生きろよ…って、これ同じこと言ってたような奴らいるよね。「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」とか「八月のクリスマス」とか、黒澤明の「生きる」でよく知ってるおなじみの奴らがさ。

 最善を尽くせ、そして死ね。結局、人生それに尽きるだろ? 我々はみなゴースト・ドッグと同じなんだよね。

 無駄口は一切叩かなかったゴースト・ドッグ、彼の精神に見習って、感想文もこれでオシマイです。

 

 

 

 

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