Finally, His EYES Were SHUT...

Stanley Kubrick, 1928-1999

and His Last Film"EYES WIDE SHUT"


 君は本当に眼を開いているか?

 Do You Really Open Your EYES ?

 「アイズ・ワイド・シャット」と、

 愛すべき巨匠スタンリー・キューブリック私論

  My Personal Opinion about "EYES WIDE SHUT"

 and Mr. Stanley Kubrick

 夫馬 信一

 by Shinichi Fuma

 

キューブリックはミーハー?

 スタンリー・キューブリックが久々の新作にとりかかっている、しかも主演がトム・クルーズとニコール・キッドマンのスター夫婦だと聞いて、半信半疑になった人も結構いたみたいですね。でも、私は別にあまり驚きはしなかった。だいたい、人はキューブリックを映画の神様みたいな感じで崇め奉っているみたいだけど、俺あんまりそういう気はないんだよね。第一、黒澤でも誰でも映画作家って自分を称して「芸術家」という言葉を使ってはばからないんだけど、この人が自分を芸術家と言ったコメントを見たことがない。と、いうか、そもそもこの人のコメント自体えらく少ないんだけどね。とにかく自分のこと芸術家だなんて思ってなかったんじゃないのかな。

 というのも、ノー・スター映画「2001年宇宙の旅」、当時イギリスの新進若手だったマルカム・マクダウェル主演の「時計じかけのオレンジ」以降のこの人の作品みてると、「ある愛の詩」で人気沸騰だったハンサム・スター、ライアン・オニールを起用した「バリー・リンドン」、ハリウッドきっての怪優スター、ジャック・ニコルスンを起用した「シャイニング」…と、近年は結構スター俳優を前面に出した作品を連発してるんですよ。残る「フルメタル・ジャケット」だって、主役のマシュー・モディーンは今でこそ育ち損なっちゃった役者だけど、かつては「ビジョン・クエスト/青春の賭け」などで大いに売り出していたヤング・スター。この「ビジョン・クエスト」、青春映画としては他の脳天気ものと比べてシリアスで内省的な話だったけども、一般的にはどうだったかというと、この映画の主題歌「クレイジー・フォー・ユー」がマドンナ初のナンバー・ワン・ヒットになったことからも、周囲のこの映画の受け止め方がわかろうというもの。そんな映画に主演したモディーンは、本人が何と言い張ろうと、立派なピカピカ青春スターの一人に違いなかったわけです。

 つまり、巨匠だの完全主義の映画作家だのという世評とは裏腹に、近年のキューブリックは結構その時代の旬のスターを使いたがる傾向にあるのです。だったら当代の若手トップ・スター、トム・クルーズの起用に何の不思議がありましょう。問題は嫁さんのニコール・キッドマンとワンセットで起用したこと。過去のこの2人の共演作といえば、結婚前の「デイズ・オブ・サンダー」と「遙かなる大地へ」…おいおい、大丈夫か? キューブリックこの2本見て起用を決めたのか?

 しかもこの2人を主役にして今回キューブリックがつくる映画は、夫婦の間の愛情とセックスの話とくる。宇宙船も斧も自動小銃も出そうにない話。たぶん撮影には新開発のステディカムも、NASAでつくられたレンズも使用されるわけはないだろう。何だかつまんなそー。でも、ひょっとしたらキューブリックのことだから、鮮烈な映像の凄まじいセックス映画か? でも凄まじいセックス映画ってどんな映画だ? あんなの誰がやったって、大して変わりないように思えるが(注:変わる人もいます)

 そんなこんなしているうち、こともあろうにキューブリックは死んじゃった。映画はかろうじて、ぎりぎりセーフで完成していた。内容はベールに包まれたまま。映像を日本初公開!とうたった「ニュースステーション」での予告編放送は、セリフも説明もないシロモノで、後にみんなが映画館で見ることになるキッドマンが鏡の前で素っ裸でお尻を振っているやつ。フィルムが終わった後、久米 宏が「キューブリックと聞かなければ単なるエロ映画みたいですね」と言ってたが、正直言ってそれは言えてました。みんな勝手に彼の作品を哲学的に深読みしてたけど、ホントはもっと世俗的で下世話なお話なんじゃないの? ひょっとして、キューブリックはロンドンの自宅で笑いが止まらなかったんじゃない? おまえらホントに眼を開いて見てるのかよって。

 

完全主義で描かれた痴話喧嘩

 お話はニューヨークに住む若いお医者さん夫妻(これがクルーズ&キッドマン)の悠々自適の暮らしぶりから始まる。クルーズはまるでウォン・カーウァイの「欲望の翼」エンディングのトニー・レオンみたいにタキシードをびしっと着て、細君のキッドマンともどもドレスアップして友人のパーティーへ出発。とは言っても知った顔のほとんどないパーティー。ハプニングといえば、旦那のクルーズが大学時代の友人に出会ったこと。医学生だった彼はドロップアウトしてピアニストに。今夜も彼は、パーティー盛り上げ役のバンドマンとして呼ばれていたのだ。あとのハプニングと言えばキッドマンに対するエロ紳士の浮気のお誘い。クルーズにも2人の美女の誘惑があった。でも、気持ちは揺れ動きながらも、そこは分別で自制する大人の対応というか何というか。おっと、もっとビッグなハプニングがあったっけ。監督のシドニー・ポラック出演によるパーティーのホストの行きすぎたおイタの顛末…。

 例のキューブリック印の照明やらカメラワークで、我々はいつジャック・ニコルスンが斧持って殴り込んでくるんだ、いつコンピュータのハルが狂い出すんだ…と身構えているのだが、何にも起きません。そして、夫婦は自宅でマリファナなんぞ吸いながら、けだるそうにお戯れを始めるのでございます。

 ところが、例のエロ紳士に口説かれたの何だのという下らない話から、いきなりキッドマンがキレる。何だかんだとからんでくる。いやー、これ実感ありますよ。カップルで見に来てる奴は、みんな連れの女に気兼ねして黙ってるだろうけど、ここのネチネチ何を言ってもひねくれてとるキッドマンには誰かさんの顔が二重写しで見えてるはず。

 慣れ親しんで、信じあってる愛し合ってる、お互い警戒まったく解いていると思ってる自分の相手。人により違いはあるかもしれないが、美しいと思っているか、まぁ美人じゃないかもしれないが愛嬌があって憎めないと思っている彼女の顔。それが、まったく見たこともない顔に醜くゆがむ瞬間。会ったことも見たこともない、モンスターに変身する瞬間。ホント、あのうんざりする感じを、見事キューブリックはとらえているんですね。クルーズにケンカ売ってるとしか思えないキッドマンのああ言えばこう言うシーンのリアルさは、もう「フルメタル・ジャケット」の軍事教官リー・アーメイに匹敵するしつっこさ。あれがデブちゃんヴィンセント・ドノフリオだったら逆ギレしてブチ殺されるとこだけど、旦那はクルーズ。キッドマンついてたね。

 それよりも、キッドマンは旦那を挑発するかのように、浮気願望みたいな話を持ち出す。クルーズはマジメだから落ち込んじゃうんですね。これでちょいとおかしくなった旦那が、急な電話で死んだ患者のお通夜(っていうのかな?)に出かけたあたりから、どんどん妙な方向にドラマが発展するんです。

 死んだ患者にはもういいトシの愛娘がいて、何とこの女は婚約者もいるのにクルーズに迫る。街に出れば気のいい娼婦もいて、お金のためのサービスとはいえ考えよう割り切りようによっては、それはそれできっちりとプロなりのサービスをしてくれそう。

 それに引きかえ何だ! あのクソ女房が。俺だってな、街に出れば女の一人や二人好きよって言いよってくるんだぞ。俺を粗末に扱ってるのは、おまえぐらいのもんだ。このアホんだら!

 …と、まるで女にすげなくされたときの私みたいにクルーズが思ったかどうかは知らないが、ニューヨークの街をうろつきだしてから妙な雰囲気漂いだし、「シャイニング」や「2001年宇宙の旅」の監督の作品らしくなってくる(って、私の文章じゃまるで痴話喧嘩の話みたいにみえるかな?)。

 そして、なぜか夜の街に潜む魔の世界、真夜中の秘密セックス・パーティーへ潜り込むことになってしまうわけです。

 それにしても、見ているうちに妙な気分になってきたニューヨーク屋外シーン。ふと気づいてみると、キューブリックって「ロリータ」以来、ロンドン近郊から離れたことないんでしたよね。じゃあ、車から撮った移動シーンを除いて、あのニューヨークって全部つくりもの? 「フルメタル・ジャケット」ではロンドンにベトナムつくっちゃった無茶な男だ。それくらいやりかねないでしょう。でも、だからこそ、作り物だけが出せる不思議な幻みたいな効果も出たのかも。

 とにかく、ちょっとしたことの積み重ねが玉突き状態になって、話が異常さを増してくるあたりがうまい。だから異常な話が突飛に感じられないんです。そして、一夜明けて後悔先に立たず。やべーっと青ざめていくあたりのクルーズはなかなか感じでてますね。

 

バッチリわかってない=「アイズ・ワイド・シャット」

 万事うまくいってると思いこんでる毎日の生活もひょっとしたら幻なら、相手のことを知り尽くしていると思っているのも幻。しかし、これが自らの浮気願望でございと女房が言う中身もホントにどこまで本音やら。まして、今に見ていろ俺だって…といきまく旦那の真意だって、実際どうなんざましょ? そして、世の中のことは大体わかってるよみたいな感じで、よせばいいのに夜の未知の世界にズンズン踏み込んで、気づいたら俺何にもわかってなかったじゃん、と唖然呆然焦り顔…。でも、これって、ちょうど世の中わかってきた偉くなってきたと自分で思いこみ始めた、我々世代も含めた「大人」の姿みたいじゃないですかね?

 若いうちは生意気言っても自分が一人前なんて本音のところじゃなかなか思えない。まして、回りがそんなの許しはしない。だけど、いろいろ中途半端ながらわかってきて、ドジもごまかす術を覚えて、人からもなかなか直接批判されなくなって、地位や収入や家庭や夫や妻や親や…ってな肩書きつき始めると、自分が偉くなってきた気がするものです。他人に偉そうにアドバイスなり忠告なり「援助」なりしたがるようになるのも、この年齢。人のため…と人は言う。そんなはずなんかない。人は自分のためにしか何かをしようとはしないものだ。自己満足だったり、優越感だったり。それがわかっていないだけです。

 若い頃どうして親や先生や先輩や上司がバカに見えたのでしょうか? そう、彼らはみんな自分が偉いと思いこんでたのです。本来、経験の豊富さは賢さにつながるはず。しかし、この霊長類だけは例外で、傲慢で愚かになっていく一方です。若い頃わかってた奴だった同世代の人間たちが次々と腐っていくのを目の当たりにしてきた私にとって、いや、自分さえも腐り始めてきたことに気づいた私にとって、このクルーズのセックス地獄めぐりは人ごとではないのです。わからないのか? 自分が“わかっていないのだ”ということさえ? 「眼をギンギラに閉じている=アイズ・ワイド・シャット」とは、まさにこうした状態ではないのか?

 クルーズの地獄めぐりの結末は、意外にシンプル。クラーく当惑するクルーズに嫁さんキッドマンは、達観した結論を述べます。内容はここには書きませんが、それは意表を突いた明るさ。人によっては、「2001年」なんかのように深読みして、「あれはホントは怖い結論なのだ。それが何なのかは頭の良いオレだけが知っている」などと言ってみる人もいるでしょう。また、「キューブリックはいつも時代の先端いってたのに、このセックス描写のどこが先端なのだ?」と勘違いする輩もいるでしょう(現に「プレミア日本版」のレビューを書いている奴がそうです。こいつが嫁さんとどんな先端セックスやってるか知らないが、こんなバカが天下の「プレミア」に記事書いてるかと思うと、恥ずかしくて読む気なくなる)。でも、リアリストの巨匠が最後にたどり着いた結論がこれならいいではないですか。人間万事塞翁が馬。ならば前向きに生きるも人生。オレって何にもわかってなかったな…それがわかっただけでもいいじゃあないですか。ラストのキッドマンの“あの”一言も、意外にまっとうな結論になってしまったことに、あの巨匠照れに照れての、照れ隠しの最後っ屁みたいなもんでしょう。まれにみるリアリスト、キューブリックの作品だからこそ、私たちはそこに写っているもの、残されたものをそのまま受け入れるべきではないでしょうか? 今度こそ、眼をしっかり見開いて…。

  

 

 Jump to :

  安東 征子・Motoko Ando

  MAO

  無花果・Ichijiku

 

  

 to : Review 1999

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME