「海の上のピアニスト」

  The Legend of 1900

 (1999/12/26)


 ジュゼッペ・トルナトーレって監督の作品、みなさんどう思う?

 まず、というかみんなの脳裏にはこれだけしか浮かばない人も多いだろうけど「ニュー・シネマ・パラダイス」がある。これいいことはいいんだけど、何だかエンニオ・モリコーネの音楽に乗せられ、ラストのキス・シーンの嵐で無理矢理泣かされちゃったみたいな感じがあって、しっくりこないんですよね、今でも。次がマストロヤンニを主演に迎えた「みんな元気」。これは可もなし不可もなしってとこか。次は「明日を夢見て」ってまた映画ネタの作品で、ヒロインがちょいとかわいいこともあって泣かせた。で、ホントはそれに先立つ作品なんだけど、ジェラール・ドパルデューとロマン・ポランスキーの共演という奇妙なキャストで描くミステリアスなサスペンス劇「記憶の扉」が来る。これらのラインナップではいちばんの異色作ながら、実はトルナトーレの本質はこちらにあるのではないかと疑ったり…。

 というわけで、現代イタリア映画希望の星ながら、何となく私はこのトルナトーレ氏にはうさんくさい気がしていたんだよね。だから、今回もいかにも感動大作と銘打っての公開ながら、ちょっと斜に構えて見てた。

 でも、やっぱり気になることは気になる。ならばさっさと見て、カタをつけようではないか。

 

映像で酔わせる今回のトルナトーレ演出

 戦後まもなくの1946年(パンフ見てわかったんだけど)、愛用のトランペットを売りにくる一人のずんぐりむっくりした中年男。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」でブーたれて地図を捨てちゃった録音担当の男の子が、中年になったみたいなこの男、名前をマックスという(女の子が4人で踊ってるやつと違うよ)。この男が自分の過去について語り始めるところからお話はスタート。…おっと、こりゃわくわくする。かつてのマカロニウエスタン映画の巨匠セルジオ・レオーネなんかがよくやるような重層的な時間の構成で展開する大河ドラマの予感。そう言えばあっちも音楽はエンニオ・モリコーネ。

 何て思ってると、巨大な客船に大人数のエキストラが満載。何だ、さりげなく撮られてるけど、こりゃ「タイタニック」なみのボリューム感じゃないか。そして目の前に現れる自由の女神に沸き立つ甲板。「アメリカだ!」

 タイトルがどーんと「レジェンド・オブ・1900」。そういえば20世紀ってアメリカの世紀とも言えるよね。1900ってイタリア語でノヴェチェントって言うんだ。何で知ってるかって? ベルトルッチの映画「1900年」の原題がそれなんだよ。そういえば、これまた音楽はモリコーネ。

 しっかし、ものすごいスケールだね。でっかい船のセット、もしくは実際の船を調達したロケ撮影、たくさんのエキストラ、そしてふんだんに使われている特撮とCG…私が思っていたよりも、トルナトーレはもはや巨匠の扱いなんだ。ビックリ。そして、こうしたふんだんに金がかかった映像の一つひとつがいい。バッチリ効果出してる。ため息が出るね。

 20世紀最初の年、1900年に豪華客船に捨てられていた赤ん坊。船の機関士の一人がこの赤ん坊を拾ってナインティーン・ハンドレッド=1900と名付けて育てる。やがて育ての親の機関士が死んでしまったりするが、1900は誰にも教わることなく船のピアノが弾けるようになっていた…。あれれ?

 ありっこない話。おとぎ話だ。ここでみなさんはそれに気づくはず。

 さて、先ほどのこの映画の語り部マックスが、豪華客船に船の専属バンドのメンバーとして乗り込むのはこの後から。意気揚々と船に乗り込むマックスではあったが、ひどいシケの日に船酔いに苦しんでいると、ティム・ロス扮する1900に助けられる。船酔いをなおしてやると連れて行かれたところは船のダンスホール。彼は床に取り付けられたピアノのストッパーをはずし、マックスと一緒にイスに座ってピアノを弾き始める。ものすごい揺れに合わせて、床を滑り出すピアノと二人。最初のころはビビッているマックスも、しまいには愉快に笑い出す。まるでピアノがダンスでもするようにスルスルと床をすべっていくこの場面は、モリコーネの素晴らしい音楽とともにこの映画の見どころの一つと言える。しかしトルナトーレって、冒頭の船のシーンといい、このピアノが床を滑っていくシーンといい、こんなに映像で酔わせる人だったかねぇ

 

現実の世界から遠く離れて

 このピアニスト1900は、すでに船から一歩も出たことのない男として伝説になりつつあった。実際、船員仲間が喜々として停泊地で上陸しても、彼はがんとして船の外に出なかった。彼には他の世界はないも同然だったのだ。

 やがて、この船から一歩も下りたことのない、船の上だけにしかいないピアニストのウワサを聞きつけ、ジャズの創始者との触れ込みのミュージシャン、ジェリー・ロール・モートンがこの船に乗り込んでくる。旅行のためではない。ピアノで1900と決闘をしようというつもりなのだ。この決闘のくだりもハッキリとバカバカしいまでのユーモラスな趣向で、さらにおとぎ話色は強まる。

 てな感じで「1900の伝説」が次々と語られていくのだけど、それと平行してマックスのその後のお話が進んでいく。トランペットを売りに行って、偶然、例の客船が廃船になり爆破処理されることになると知ったマックスは、あわててそれを止めに駆けつける。なぜか。1900は、まだその船の中にとどまっているはずと確信しているから。船の解体業者はどこを探しても誰もいなかったと言うが、マックスは絶対まだ中にいるの一点張り。どこから来るのか、この自信。

 そんなことやってるうちにお話はまた過去に戻って…1900がかつてSPレコードの原盤録音を船の中で行ったとき、窓から一人の少女の姿が見えた。そのとたん、心を込めて世にも美しい音楽を奏でる1900のピアノ。彼は世の他の男たちと同じ病にかかってしまった。

 彼は恋に落ちたのだ。

 しかし、なぜかどうしてか、彼は彼女に声をかけることができない。彼がどうしても船の外の現実社会に出られないように、彼は徹底的に現実の人生の実践者ではなかった。だから、女に声ひとつかけられない。結局プレゼント一つ渡せず、彼女は船を下りてしまう。何だかこのへんで、私も胸がぐっとへんな感じになってきた。

 船っていうのはこりゃあ何かの例えだろう。するとこれは殻を破れない男の話なのか。道理で胸が気分悪くなってくるわけだ。

 私も現実の世界から逃避ばかりしてきた人間の一人だ。サバイバーとして戦わず、いいかっこをして逃げ回ってきた。そりゃあ潔さを身上としていたと言えば聞こえはいいよな。でも人間、毒を食らわばみたいなふてぶてしさとか、手を汚すことも辞さない覚悟みたいなものが必要な時だってあったはずだ。あるいは女がらみのことでも、相手のことを考えたら自分のことを押しつけられない…なんてきれいごとを言って幕を下ろしたときのことも…。本当は面倒くさいことや、今後考え得るさまざまな重荷を背負うのがイヤさに逃げたんじゃないのか。実はガッカリしているふりして、本当はホッとしていたんじゃないか。幕切れまで全部向こうにやらせて…。そうじゃないか、おまえ。

 その後、1900も船を下りてみようと努力はしてみる。しかし、タラップを途中まで降りかけていながら、陸を見て立ちすくみ、また船に逆戻りしてしまった。それ以来、二度と船を下りようとしない1900。忘れ得ぬ友情をはぐくんだマックスも、いつしか船を離れる時がやってきた。

 だが、1900は船にとどまった。

 

 

 

 

 

 

ここから後は、映画を見た後にしてください。

 

 

 

 

 

 

共感したい、でもできない私

 必死に爆破を止めようとするマックスは、1900の演奏した幻のSPレコード原盤を手に廃船寸前の例の客船に戻る。そして、ついに船内での1900との再会。こいつ今まで一体何食ってきたんだなんてヤボは言うまい。これは何よりおとぎ話。それも子供用じゃない、大人が身につまされるおとぎ話だ。

 ところが1900は、陸に下りよう一緒に演奏しようと誘うマックスに向かって、陸には果てしなくたくさん道があるけれど、君たちは一体どうやって正しい道がわかるんだ…とか、ピアノの鍵盤は88本しかないから弾けるけど、現実の社会は無限に鍵盤があるようなものだから自分には弾けないとか、訳わかんないゴタク並べ始めるんだからあきれる。

 要するに、おまえ現実と全く向き合うことのできない情けねぇ男なんだろ? どうしてそれを、そんなにカッコつけてもっともらしく偉そうにまくし立てるんだ。ふざけんなティム・ロス、東京国際映画祭のゲストをドタキャンしやがって。おまえ目当てにキップ買った奴が何人いると思ってるんだ、バカヤロー!

 こんなロクでもない男に共感しろとばかりに演出するトルナトーレも、彼を賛美するかのように歌い上げるモリコーネにしても、それでいいと思ってんのか? 

 この映画を見て感動し、共感したみなさんは、私がここでデリカシーのない悪口雑言並べ立て始めたんでイヤになってきたでしょう? 何でこれに共感できないんだと、私の思いを理解できないでしょう? いや。実は私も共感しかかったのです。共感してしまいたくなった。

 船のダンスホールでのピアノ対決の鮮やかさ。自分の勝手知ったる小さな世界の中では、王様にだってなれる1900。そうそう。誰かさんだって「映画館主」とか名乗れば少なくとも電話回線を通してもっともらしい顔はできる。偉そうなことは言える。今まで自分の背丈に合わない世界を何となく敬遠してきた私には、居心地いい世界というものがよくわかる。

 だから、ここでこの映画に共感するわけにはいかないんですよ。映画はよくできていると思うし、感動しちゃう。スケールもボリュームもある。じゃあいいじゃないかって? でも、私だけはこれに共感してる場合じゃないんですよ。しちゃいけないんです。この1900のようじゃいけないし、そうじゃなくなろうとしている。だから、共感してはいけないんです。もう、ここからは映画評でも何でもありません。でも、この映画でも言ってたでしょう?

 いい物語があって、それを語る人がいる限り…うんぬんって。それで言うならここでこの1900の物語はオシマイ

 でも、私自身の物語は、まだ終わってはいないのです。

 

 

 

 to : Review 1999

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME