「Hole」

 "洞 (The Hole)"

 (1999/09/19)


ツァイ・ミンリャンとくればクラい映画

 台湾のツァイ・ミンリャンの新作が来ると言えば、誰だったみんな、いつも主人公を演じてるクラーい顔の青年リー・カンションを思い浮かべずにはいられない。いい映画だとは思うよ。私は2作目の「愛情萬歳」からこの人の映画見始めたんだけど、見ているこっちの胸が冷たさでヒリヒリしてくるような鬼気迫る作品だった。大都会タイペイを背景に、孤独な青年2人と、不動産屋でセールスしてるヒロインが、マンションの空き部屋を媒介に交錯するお話。何と言うんだろ、昔のアントニオーニの映画でも見たような感触があった。ヒロインのヤン・クイメイが公園のベンチに座って、こらえきれずに泣き出してしまう長回しのショットなんか、こっちが泣きたくなるような名シーンだったと思う。お次の「河」はもっといくところまで行って、暗澹たる気持ちになった。だって実の父親にカマ掘られちゃうんだよ、やりきれないねぇ。

 だから、この人の映画は現代の都会人の孤独とか、心の荒廃とか、愛の不毛とかを、情け容赦なく表現する監督なのだろうと思ってた。だから、見て楽しいはずないんだけど、なぜか見る気にさせるのが不思議だった。なぜだろう?

 ところが今度来るツァイ・ミンリャンの新作は何だか歌あり踊りありってお話らしい。で、またあいつ、リー・カンション出てる。あの顔でミュージカル? 勘弁しろよ。

 それでも私はまたいそいそ劇場まで足を運んでしまった。それも大嫌いな渋谷に。

 お話は西暦2000年到来を間近にした近未来タイペイ。原因不明、人をゴキブリのような習性に変えてしまう奇病が蔓延し、政府は汚染地域と見なされた場所からの退去を命じるが、行き場所のない人々はそこに居座る。今回の舞台となるマンションもそんな場所の一つだ。そして、なぜかどしゃ降りの雨が止むことなく降り続いて不快なことおびただしい。奇病が蔓延する近未来と言えばレオス・カラックスの「汚れた血」、雨に濡れた未来都市と言えば「ブレードランナー」、何より西暦2000年を迎えるにあたってのミレニウム話とくれば、先頃の「エントラップメント」がそうだ。しかし、この映画は前述の数々の映画のようにかっこよくもオシャレでもない。何とも貧乏くさいぼろマンションにミジメに雨がジトジト。そこに登場するのが、これまた貧寒とした表情の「台湾のジェームズ・ディーン」リー・カンションである。

 彼がマンションの自分の部屋でくつろいでいると、水道屋が水漏れがどうのこうのとやってくる。ブリーフ一丁なのに水道屋を部屋に上げるリー・カンション。そう言えば彼、前の映画でもよくブリーフ一丁になってたな。グンゼYGみたいなやつ。見ようによってはナニの形までくっきり。彼のファンならこたえられないかもしれないが、男の私にはてめえの侘びしいのが一つあれば十分。でも私はトランクスです。

 で、その下の部屋には、「愛情萬歳」、チョイ役ゲスト出演の「河」と、これもレギュラー出演者と化してきた、オバサン顔のヤン・クイメイ嬢が住んでいる。ところが、折からのどしゃ降り続きの天候も災いしてか、この部屋はあらゆる所から水漏れがひどい。そこら中に雑巾やらバケツやら置いて対応しているが、ラチが空かない。…おやぁ? 何だかこんな話どこかで見たような…。

 大体、近未来とか何だとか言っても、小汚ねえマンションのビンボくさい話じゃいつもと変わんねえじゃないかツァイ・ミンリャン! リー・カンションもブリーフ一丁だし。

 そんなヤン・クイメイが卵の白身で顔を美容パックしていたら、天井のしっくいがドバッと落ちてきて顔は真っ白(笑)。ありゃ? これ笑いをとってるの? ギャグじゃん!

 唖然としてると、もっと驚くことが起こる。トートツにミュージカル・シーンだ!

 

唖然呆然のミュージカル・シーン

 ところで、私はこの手の、いつもシリアス映画をつくっていた監督がいきなりミュージカルもどきをつくる、「どうだ、俺がミュージカルやるとセンスいいだろう?」映画が大の苦手だ。同様の趣向でジャック・リヴェットの「パリでかくれんぼ」やアラン・レネの「恋するシャンソン」があったが、見ちゃおれん代物だったな。いや、アラン・レネのは、まだこんな歌がこんなところに使われている的な楽しみはあったが、批評家がほめたほど成功しているように思えなかった。

 で、この「Hole」はどうかと言うと、ミュージカル・シーンと前のシーンとのつながり全くなし。いきなり貧乏マンションのエレベーターを舞台に、「世界の社交場・赤坂ミカド」か、「ホテルじゅらくの世界のショー」みたいなド派手な衣裳をキラキラさせたヤン・クイメイが、「カリプソ最高、大好きよ」みたいな訳わかんない歌を口パクしながら、手をヒラヒラ、腰をクネクネ、お尻フリフリ。ご丁寧にエレベーターの内部にも豆電球がピカピカ。どうだろう? このシーンの安ーい感じがわかっていただけただろうか? 歌を実際に歌っているのはグレース・チャンなる1960年代の流行歌の歌手(という言い方がピッタリだろう)。そのオリジナルのレコードからとっているとか。なぜかこの歌手の歌が「いまシブヤで話題」とか何かに書いてあったけど、だから何なんだ。

 で、これまたトートツにドラマに戻る。そうすると、いつものシリアスなツァイ・ミンリャン映画だ。これはどうしたもんだろう?

 考えてみると、私は何だか説明のできない魅力に引かれてツァイ・ミンリャン映画を見続けては来たものの、内容をよくわかっていたかと言えば、はっきり言ってノーだ。でも、それは他の人たち、映画批評家においても五十歩百歩だったんじゃないか。自分ではそれこそ都会に住む人間の孤独とか愛の不毛とか感じたつもりになってたし、実際そういったテーマを扱ってはいたのだろうけど、監督本人があれをクラーく描いていたつもりかどうかはわからない。いま思えば、あの大深刻映画の「河」だって、何だか妙にあっけらかんと終わった感じがあるよなぁ。

 そんな私の思惑をよそに映画は進む。要するに上のリー・カンションの部屋と下のヤン・クイメイの部屋をつなぐ「穴」が空いてしまったのである。最初はリー・カンションがこの穴にゲロ吐いちゃったり、ヤン・クイメイがゴキブリ退治のスプレーかけたりと無茶なこともやるが、そのうち何だかご両人の間に不思議な感情が芽生えて…。

 そうするとトートツなミュージカル・シーンも、だんだん両人の感情を幻想的に表現したもののように見えてきて、いつも無言で寡黙なツァイ・ミンリャン映画の言葉たりない部分を埋めてく感じ。違和感がなくなっていくんだよね。大体、最初にミュージカル・シーン出てきた時だって、そのあまりの安さに唖然として違和感感じる余裕もなかった。それに実際今回は語るべき物語ってあまりないんだね。その分、楽しいミュージカル・シーン見てよ、歌を聞いてよって感じ。

 そのうちヤン・クイメイが例の奇病に冒されてしまう。それを見かねたリー・カンションは…どうしたかは言わないが、このあっけらかんとした幕切れは「ワイルド・アット・ハート」を見たときの衝撃に似ている。

 それにしても、今回様変わりしたと言っても、実際上ドラマ部分の演出はいつもと変わりないんだよね。それが一つちょっと変わっただけで、こうも印象が変わるものか。というか、従来の彼の映画自体、ホントにシリアスでクラーい映画だったのかどうか

 つまり、彼としては深刻なお話をつくってるつもりはなかったのではないか。むしろ、希望のあるエンディングを撮っているつもりでは。それなのに、私には必ずしもそう思えなかったし、多くの観客にとっても同様だったはずだ。

 実はツァイ・ミンリャンもそこに気づいたのではないか。いろいろ念入りに描いて、自分の狙い通りウケてるつもりが、実は自分の思いがそれほど観客まで届いていない…と。そこで、どうやったら自分の目的が達成できるのか考えた末、この奇襲作戦に出たのではないか。先に、こんなお話どこかで見たことがあるって言ったけど、マンションの部屋が水漏れでグショグショ外はどしゃ降りって、実は前作「河」の主人公の家とまったく同じシチュエーションなのだ(今回、日本の批評家はこのことをみんな忘れ去っている)。今回の作品は、かつてのツァイ・ミンリャン作品、少なくても「河」の敗者復活戦という意味合いがあったのではないか? 少なくとも彼はこう言いたがってるとは思うよ、俺の映画を床の間に飾ったり神棚に上げたりしないでくれよ、笑ってくれていいんだよってね。

 正直言って、私はまだツァイ・ミンリャンの意図が十分くみ取れたとは思っていない。だが、今回の作品はとてもわかりやすかったし、非常に共感もした。ある程度わかったという確信もある。だからこそ、今後のツァイ・ミンリャン作品には大いに期待する。少なくても、今回素敵な歌が何曲も聞けて、ヤン・クイメイとリー・カンションの安いミュージカル・シーン見れただけでも、この映画を見る価値はあったと思うよ。

 

 

 

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