「オースティン・パワーズ・デラックス」

 "Austin Powers - The Spy Who Shagged Me"

 (1999/09/05)


マイヤーズって、ひょっとしたらマジメな人?

 この映画について長々といろいろ言っても意味ないかもしれないね。だから、手短かにいきますよ。

 私は前作「オースティン・パワーズ」が大好き。60年代を背景に、結構凝りに凝った設定で、バカっぽいことやっててもマイク・マイヤーズのセンスが光ってた。わかってるなぁ、って感じ。

 何より強く引かれたのは、結局60年代って良かったなぁで終わりかねない(まぁそれで終わっても観客は納得するんだけど)題材なのに、そこで終わらなかったこと。

 終盤近くのドクター・イーブルとオースティンの会話の中で、イーブルが「90年代なんてつまらないだろ? 60年代に戻りたくないか?」と言ったとき、オースティンがなぜかキッパリと「60年代は自由の時代で素晴らしかった。…90年代は自由と“責任”の時代だ。もっと素晴らしいよ」みたいなことを言う。そのシーンのオースティンの表情は、あれだけバカバカしいふざけた映画なのに、妙に真顔なのが印象に残ってる。

 私はそこに、単なる60年代良かったな、帰りたいな…にはしまいとするマイク・マイヤーズの意志みたいなものを感じてしまった。彼、実はかなり真面目な人なんじゃないの?

 

他作品を圧倒する、空前絶後の下らなさ

 だから今回の続編、実はあまり期待してなかった。だって、前作の楽しさはやっぱりコロンブスの卵的な一発芸の楽しさだから。今度は何を面白がるって言うんだ? マイク・マイヤーズだって、そのへんはわかってたはず。

 ちまたじゃ「スター・ウォーズ/エピソード1」を抜いて全米ナンバー・ワンとか「超メガ・ヒットだベイベェ」みたいなことが広まっていたが、それがかえって私を憂鬱にさせた。だって「オースティン」の魅力って「全米なんとか」なんてとこから、いちばん遠いとこにあったんじゃないの? …仕方ない、見てみるか。

 結果的に言えば、今回、鮮度の低下は防ぎようがないのであきらめて、極力趣味的な笑いや面白さを排して、バカバカしさ一辺倒でいこうと決めたみたい。そりゃそうだ。全米なにがし…ということを狙うとなれば、どんな趣味の人にもウケる笑いじゃなきゃ収まらない。前作が予想以上に大ヒットして、続編が企画され、より大ヒットを期待されたあげく、さらに大型予算を組まれた結果の、それは苦し紛れの選択だったと言えます。

 その結果、こんな下らないことに大金を投じたという意味で、「オースティン・パワーズ・デラックス」は空前絶後の作品になったと言えるかもしれない。そして、それはそれで天晴れだ。

 何しろ前作であれだけ物語の中心に据えたヒロイン・ヴァネッサ(エリザベス・ハーレー)を開巻まもなくトンでもない理由で画面から消し去って平気なんだから、もう何でもありでいくと宣言したようなもの。マイヤーズも書いてる脚本は行き当たりばったり。演出も今回はかなりユルユルだとわかってしまうタルみぶりだ。

 こんな下らないくせに、A級作品となってしまった今作。マイク・マイヤーズが今回いちばん茶化したかったのは、そんな自らの状況かもしれないね。彼なら「オースティン・パワーズ」が一流作品として、サマー・シーズンの目玉扱いされることそのものがナンセンスと感じたかも。だから、終始我々が仲間うちで飲み屋で酔っぱらって話すバカ話を、そのまま映画にしたようなギャグ連発でつくっちゃったんだろう。

 悪党側のナンバー・ツー(ロバート・ワグナー)の若い頃の役をロブ・ロウが演じるという目の付け所の良さとか、新ヒロイン、ヘザー・グラハムの「ブギーナイツ」に引き続いてのいい感じ…とかいろいろあるけど、そんなことどうでもいいでしょ。

 決していい映画でも、好きな映画だとも思わないが、「オースティン・パワーズ・デラックス」は確かに他に例を見ない下らなさで、外側はもっともらしいが実は中身は「オースティン」に負けないくらい下らない他作品を圧倒する、堂々たる威容を見せた映画と言えるかも? ちょっとホメすぎかな?

 

 

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