「NEO KOREA - 韓国新世代映画祭 '99」

 Korean New Wave Film Festival in Japan 1999

 (1999/06/13)


 

 

5月29日より東京で始まった、「NEO KOREA - 韓国新世代映画祭 '99」。さすがに全部見るとまではいかなかったのですが、大好きな韓国映画のためと目をつぶり、大嫌いな渋谷の街へ足を運びました。それら何本かを見た印象をまとめてご紹介します。

 

 

 

6月1日(TUE)

●「江原道の力」The Power of Kangwon Province

 この映画、前半と後半にパッカリ別れていて、前半はまず江原道に旅行する女子大生の巻。女友達2人と連れだって旅するヒロインが、酔っぱらって友達と喧嘩したり、途中で知り合った若い警官と酔った勢いでおかしなことになったり。こうした旅のスケッチの中で、彼女が不倫に苦しんでいたことがさりげなく観客に知らされる。一旦ソウルに帰った後、旅で知り合った警官に会うために再びノコノコ江原道へやってくるが、またベロベロに酔っぱらって…。後半はどうもさっきのヒロインの不倫相手だったらしい大学講師の巻。別れたと言ってもヒロインに未練たらたら。何度も教授になり損なって、今度こそとの望みを抱いている。先輩教授にゴマスリに行ったりすることも。後輩なのに先に教授に昇進した友人からの誘いで、彼が出かけるのが江原道。これが、どうも先ほどのヒロインの旅と偶然にも同時みたいで、両者は一回も旅先でクロスしないのに、エピソードはいろいろ前後してカスるのであります。

 それにしても、前者も後者もドラマ的要素は極力抑えられていて、まるで旅行のスケッチをビデオで撮ったみたい。日常のエピソードを淡々と積み重ねるリアル演出で、いろいろな事実が観客に提示されるのも自然で抑えたかたちになる。だからうっかりすると見逃しそうになることもしばしば。こんな演出ってどこかで見たような…って思ってたら、いたんですよ、こんな監督。それはエリック・ロメール! ロメールって、題材や作品の性質は全く違うものの、こんなさりげなさをよく演出してましたよね。しかも、主人公たちがもっともらしいことを言ってマトモに振る舞ってるつもりでも、言ってることとやってることが矛盾して思ったようには物事運ばないというあたりがロメール・タッチ。エエカッコしの割には結果がマヌケというのも、ロメールが登場人物に注ぐどこか冷静な視線に似ています。

 男はいつの間にか教授のイスを手に入れ、ヒロインの女子大生ともヨリを戻します。しかし、どちらも望んでいたことのはずなのに、なぜかラストに忍び寄るシラジラとした冷ややかさ…。うーん。人生こういうもんだよなぁ、と思わず唸ってしまうエンディングではありました。監督のホン・サンスって、前に公開されたのに見れなかった「豚が井戸に落ちた日」を撮った人。見とけばよかったと悔やむことしばしの私ではありました。ところで、「江原道」って向こうの人にとってどんな観光地なんだろう? だって、「江ノ島の力」とか「清里の力」って題名、普通つけないでしょう?

 

6月3日(THU)

●「ディナーの後に」Girl's Night Out

 「シバジ」でベネチア映画祭、「ハラギャティ」でモスクワ映画祭の主演女優賞をとったトップ・スター、カン・スヨン主演。昔から「三人娘」ものというのはチエホフの「三人姉妹」を筆頭に古今東西数限りなくあって、映画でもちょっと考えただけで、アメリカの「9時から5時まで」、旧ソ連の「モスクワは涙を信じない」、最近では香港・中国の「宗家の三姉妹」など硬軟問わず佳作が多いのが不思議。韓国でも「韓国映画祭1977」で上映した「三人の女の孤独」(やはりカン・スヨン主演)がそれで、シリアスに女たちの半生を見つめた作品でした。

 で、本作はというと、こちらはぐっと今ふう…テーマはズバリ「セックス」。のっけから飯食いながらのエロ談義。金持ちの生まれで、自らも設計事務所を開いて羽振りがいいホジュン(これがスヨンの役)は、奔放かつドライな性格で、現在妻子持ちと不倫中。そのホジュンのマンションに居候している女友達2人…ホテルのウエイトレスをやっているヨンヒは恋人との結婚を望んでいるが、どうも相手はつかみどころのない男。大学院生で山登りが趣味というスウニは、サバけた言動ながらいまだにヴァージンで男っ気なし。この3人がいろいろなエピソードをはさみながらも、全編エロ話しまくりセックスしまくり…というお話。これが、妙に知り合いの女の酒の席での話を立ち聞きしてしまったみたいにナマナマしいんです。

 セックスがテーマの女の話なので、当然、男に対する批判もありますが、フェミニズム的なイデオロギーとも一方的な恨み節とも無縁な渇きかたは、この手の映画では珍しいと言えます。それは、橋田壽賀子ドラマの100倍はネチっこかった韓国映画の従来のパターンから完全に脱しているというだけでなく、主人公たちがただただ善で正であるという平板で一面的な描写から、この映画が逃れられているという証でしょう。真面目な恋愛至上主義者だったはずなのにスケベ心を抑えきれなくなったり、風呂場で自分のアソコをのぞき込もうとして転倒し、手首を骨折したり…そのいい子じゃないアホさかげんが男の私にも共感出来るわけです。

 こう書いていくと、リアルな描写、等身大の人物の描き方…などなど、先に見た「江原道の力」とエリック・ロメール作品の共通点をまた蒸し返すみたいですが、「江原道〜」やロメール作品が登場人物をどこか第三者的に冷ややかに観察しているのに対して、本作は人物たちに寄り添って共感しているところ、応援しているところが違います。極端に言うと、人のことを横目で見ながら「バーカ」と見下すか、「バカだなぁ」と苦笑しながら肩を持つか、ぐらいの大きな違いですね。

 それと、ここで終始話されているエロ話が、「レザボアドッグス」でギャングたちがファミレスでダベってた、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」についての話のレベルのくだらなさ、中学生の修学旅行のエロ話程度の間抜けさかげんというのが、またいいんです。この映画は、いろいろあっても最終的には明るくユーモラスで肯定的。オールディーズのポップス既成曲の使い方も決まってる。「女も男も結局何もわかっちゃいないんだよなぁ」と苦笑しながらも、「女も大変だろうけど、頑張ってくれよ」とエールを贈りたい気分にさせてくれる不思議な作品です。

 

●「囁く廊下/女校怪談」The Whispering Corridors

 幽霊が出るとウワサの女子高で、女教師の謎の自殺を皮切りに惨劇が繰り広げられるお話。「学校の怪談」みたいなお話かなとは思ったのですが、私も本サイトでこの夏にホラー映画特集を準備しているので、ちょっと気になって劇場に出かけました。で、見てみると、これが結構気分出してて怖いんですよ。

 そもそもの幽霊話の発端は、過去のいじめられっ子の自殺。親友だったのにかばえず見殺しにしたウンヨン(前述、「三人の女の孤独」でカン・スヨンと共に主人公の一人を演じていたイ・ミヨン)が、今は新任教師としてトラウマ抱えながらこの学校に舞い戻ってきているというお話が一応メインですが、もう一方で母が霊媒師で自分も霊能力があるという女生徒と、彼女と親しくなる気弱な女の子の話が進行していきます。そこで、閉鎖的で抑圧的な「女子高」という空間と、「怪談」という素材がぴったりマッチ。得たいの知れない夜中の便所みたいな怖さがいいんですね。

 あまり種明かしすると、この作品がちゃんとロードショー公開された場合にマズいんで言えませんが、終盤は謎解きが性急に行われたあげく何だかメソメソした愁嘆場になっちゃって、最初の得体の知れなさがなくなっちゃってちょっと興ざめ。ただ、怪談の背景には教育の歪みみたいなものがあるようで、それが本国での大ヒットにつながったんでしょう。でも、そんなことを言ったら、日本の学校はすでに日常がホラーですけど。

 いつも満員のこの映画祭、なぜか本作の上映時だけは空席が目立ちました。その空席がまた何とも怖さをパワーアップさせていましたけど。アートシアター系の映画好きには単なる娯楽作と敬遠されたのかもしれませんが、こういう映画こそ押さえておきたいものです。

 

6月5日(SAT)

●「ザ・ソウルガーディアンズ/退魔録」The Soul Guardians

 あちらのベストセラー小説の映画化(こちらで言えば「リング」みたいなものか。)でオカルト・ホラー・アクションの大ヒット作。最初はタイトルの意味を「ソウルの街の守護者たち」かと思っていたら、よく見ると「ソウル」は「ソウル」でも「ソウル・トレイン」の「ソウル」だったんですね、ヘ〜イ・メ〜ン!

 カルト教団の集団自殺事件からドラマはスタート。生け贄の一人が妊婦で、母親が死ぬ間際に赤ん坊を産み落とす(最近、ウェズリー・スナイプス主演の「ブレイド」が同じような趣向のオープニングだったな)。お話はいきなりその20年後に下って、例の赤ん坊は美しい娘に成長しているが、その周辺で奇怪な出来事が相次ぎ、謎の連続殺人も起きる。そして、暗躍するミステリアスな男たち…悪魔払いの儀式を行って教会から波紋された神父(これがアン・ソンギ)、ゴーストバスターズみたいな霊能力者…。やがて、例の集団自殺が悪魔を呼び出すための儀式だったこと、儀式を完結させるために、娘の命が必要なことなどが観客に知らされる。

 謎が謎を呼ぶストーリー展開、大スター、アン・ソンギの貫禄と余裕たっぷりの楽しげな大芝居、そして何よりCGによるスペクタクルとキレのいいアクションの連打で見せ場てんこ盛り。サービス精神満点で、これならハリウッドにもひけはとらないな…と思いきや、中盤あたりから脚本にホコロビが出てくる。刑事と女新聞記者は足手まといになるだけの設定、霊能力者の弟はまだ少年ながら霊能力の持ち主で、こりゃ活躍しそうだと思いきや全然生かされない。エンディングも、今までの努力は何だったの?的な身も蓋もない展開。特にその終盤は、一瞬「愛は勝つ」的なクサい結末になるかと思えば、一転して涙ナミダの幕切れ…で後味の悪いことおびただしい。「囁く廊下」同様、この手の映画の底が割れちゃってからの話の落としどころってホント難しいですね。

 ともあれ、全編のイキの良さ、CGの危なげのない使いっぷりなど大したもの。編集にはAVID社のフィルム・エディティング・システムが導入されたらしく(クレジットは全部ハングルで、かろうじてAVID社のロゴだけ確認できたので)、この方面での韓国映画界のハイテク導入にはめざましいものがあるようです。

 

 

6月9日(WED)

●「故郷の春」Spring in My Hometown

 昨年の東京国際映画祭で東京ゴールド賞を獲得した作品で、朝鮮戦争で騒然としていた頃の田舎の少年を主人公にした作品。

 暮らしは貧しく、米軍はウロチョロし、ときどき反共集会が開かれたりはしているものの直接戦火を受けていない田舎の町。主人公の少年ソンミンの家は、姉が米兵のガールフレンドだったおかげで父親が基地での仕事にありつけ、生活も上向きになってくる。親友のチャンヒは父親が北朝鮮の捕虜になっていて現在は母子家庭。ソンミンの家に間借りして住んでいるが、暮らし向きはかなり苦しい。少年たちは米兵たちにたかったり、物をかっぱらったり、村はずれの小屋で韓国女が米兵に身を任すのを穴から覗いたり…と結構面白おかしくやっている。しかし、ソンミンの家が豊かになればなるほど、チャンヒの家族はどんどん貧しくなっていく。ある日、例によって小屋で米兵と女の行為を覗いたとき、2人は見てはいけないものを見てしまった…。

 朝鮮戦争の苦難の時代を描く映画は今までもいくつか見てきましたが、この作品の特異なところは、それでなくても熱くなりがちで、ましてこの手の題材なら熱くならざるを得なかった韓国映画が、今回は徹底的に熱さをコントロールしきっているところ。具体的に言うと、カメラは終始フィックスで、固定したまま動かずに何分もの長回しを行う。当然、描写はリアルで冷静にならざるを得ません。そして、アジア映画で固定カメラの長回し…といえば、誰でも台湾のホウ・シャオシェンのことが頭に浮かんで来ます。

 しかし、この作品のカメラとホウ・シャオシェン作品のカメラの決定的に違うところは、被写体との距離感にあります。この作品では、とにかくカメラが引く! とにかく思い切り、引きのロング・ショットが続きます。だから、登場人物も表情がハッキリつかめない場面が大半で、何が起こっているのかよくわからない場面も多い。主人公ソンミンの父親は、またまた大スターのアン・ソンギが演じているのですが、そんな訳ですから顔もよくわからないし、風景の一要素として溶け込んでいるような印象を受けます。

 また、カメラが冷めた視点でじっと凝視しっぱなしで、観客もよく見ていないとどうなっているのか分からなくなりそうだから、かなり注意してスクリーンを観ることを強いられます。このように知らず知らずのうちに観客の集中力を引き出してしまう演出は凄いです。

 あえて朝鮮戦争を背景にした以上、ストーリー自体はどうしてもドラマティックにならざるを得ませんが、それだけに手垢のついたものになりがちだし、作り物めいたものになりかねません。そこをカメラを思い切り引くことで人物の表情やアクションといった直接的描写に頼らない演出を行い、紙芝居や学芸会ではない、時代の流れの中の人間という点景を描くことに成功しているのがこの作品なのです。

 結果、あの困難な時代に貧しく苦しかった人々も、また一見うまく立ち回ったかに見えた人々も、等しく時代のうねりの中で弄ばれたのだという感慨が迫るエンディングは圧巻です。しかも、それは少年の追憶の中にだけ存在する過ぎ去ったことではありません。見終えた後に私たちの心に当然残るのは、国境線の向こうの人々も味わったであろう、そして今も味わっているかもしれない苦しみへの思いです。いや…それにとどまらず、今こうしている私たち自体、時代と社会のうねりの中でいつの間にか弄ばれているのかも知れない。抑えに抑えたことで、むしろそれだけの普遍性と作品世界の広がりを獲得したと言えるこの「故郷の春」。新人監督にも関わらず、もはや巨匠の域と言ってもいい堂々たる演出に圧倒されることうけあいです。


いかがでしたか? 今回の「韓国新世代映画祭」、凄いなと思ったのはどれも見事なまでに乾いた感触の作品となっていたこと。ディープでウェットという韓国特有のテイストがものの見事に消えてなくなってしまったというのが私には驚きでした。これなら一部の好事家だけでなく一般の観客にも大いにアピールするなと思える一方で、韓国特有の良さも失われつつあるのかもしれないという危惧もあって、うれしいやら複雑な思いがありました。今後、わが国でも「八月のクリスマス」や大ヒット作「シュイリ」など韓国映画の話題作がいろいろ観れそうですが、ぜひこういった点も注目して観てみたいと思っています。

 

 

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