「ハイ・アート」

 "High Art"

 (1999/06/06)


 一応、名目だけでも「コピーライター」などという偉そうな肩書きを頂戴し、この商売の末端に身を置く私ですが、時々「いっちょまえに“クリエイティブ”なんて言葉がついた仕事をしている人間が、果たしてこの世の中に必要なのだろうか?」という疑念が脳裏をよぎります。ライター、デザイナー、イラストレーター、プランナー、ディレクター、そしてフォトグラファー、エディター…。私のような大したことのない“クリエイター”ごときがそんなことを言う資格などないのは十分わかってはいますが、「ハイ・アート」はそんな疑念を、久しぶりに私に甦らせた作品です。

 主人公は写真雑誌で編集アシスタントをやっているシド(ラダ・ミッチェル)という女の子。後輩の受付嬢には「編集アシスタントなんて凄い!」てな尊敬を受けて「まぁね」とマンザラでないものの、その実、パシリ仕事もこなさざるを得ない実体はそんなにカッコイイもんじゃない。ある日、彼女が出会ったのが、マンションの自室で怪しい取り巻きと連日酒やドラッグでドンチャン騒ぎを繰り返すルーシーという女(アリー・シーディー)。ルーシーがかつて写真家だったと聞き、その作品に魅せられるシド。このシドがルーシーの写真をほめるくだりがケッサクで、仕事の内実はトホホでも気持ちはイッパシのエディター気取りの彼女、思いつく限りの難しい単語と理屈を並べてホメちぎるのです。いるいる! こんな感じの編集の仕事やってるって女の子。背伸びが過ぎちゃって見てられないんだけど、本人マジだから気の毒で止められない。しかし、相撲取りの横綱襲名の挨拶じゃあるまいし、どうしてああいうコって普通の言葉でしゃべれないんでしょうね?

 さて、シドは彼女なりの野心も手伝って、ルーシーを再び世に出したいと会社に働きかけるのだが、実はルーシーってシドが思ってたよりずーっと大物で、伝説的なフォトグラファーだった。この時点で、事態はシドの思惑を超えて動き出してしまうのだが、ルーシーがなぜ作品を発表することをやめたか…なんてことを考えてみようという気もさらさらなく、ルーシーに「専属の担当編集者に…」と指名されて大ハシャギのシド。ルーシーの取り巻きたちの中に入り浸るのだが、実は全く浮いていることに気づいていない。ボーイフレンドにその辺の図星のところを指摘されると、「あなたは私を枠にはめようとしている!」と、あまりにも今ふうワン・パターンの台詞をはいて意気揚々。

 しかし、そんなシドの思惑に対して、ルーシーには彼女なりの打算があった。ルーシーはシドを小旅行に誘い、そこで2人は一線を超えて、ルーシーはシドを「恋人」としてプライベート・フォトを撮りだす。

 このプライベート・フォトを、雑誌に発表する作品とせざるを得なくなったときの、シドの葛藤は興味深い。自分がモデル=恋人として被写体となった写真を世間に公表すれば、彼女は二度と後戻りできないところに踏み出してしまう。そのとき、彼女は初めて自分がホイホイとろくに考えもせずやってきたことの重大さに気づくのである。しかも、もっと取り返しのつかないことが…。結局、彼女は自分がクリエイティブな世界やビジネス、マネーゲームの世界というエゴやスーパーパワーが渦巻く異境に、思慮もなく不注意に踏み込んでしまったことを悟るのである。…外づらは格好いいが、中は腐臭漂う異境に。

 劇中、自分とルーシーの関係をボーイフレンドに批判されたシドは、「あんたには何があるっていうの?」と見下した発言をします。しかし、クリエイティブな仕事ってそんなに立派なことなんでしょうか? かつて私の同僚として働いてたコピーライター見習いの女の子は、「ただの普通のOLになりたくなかった」と言ってたけど、たぶん、ただの普通のOLのほうが彼女より働いてただろうし、世の中のために役立ってもいたでしょう。「ブロードウェイと銃弾」でウディ・アレンが結論づけていたように、クリエイティブなことって別に立派なことじゃないし、それやってる人間も偉くはありません。本作に登場するシドの職場の連中の、俗物丸出しの描かれ方がまさにそれです。

 「ウォー・ゲーム」でティーン女優として登場し、一連のジョン・ヒューズ青春映画で売ったアリー・シーディー。ここのところ鳴りを潜めていましたが、今回、ゴツゴツとした硬質な感じと、反面壊れやすいビリビリした感触の両面を表現して、久々の好演。対する、足が地面から10センチばかり宙に浮いてる感じのイモねえちゃんを演じるラダ・ミッチェルも、その「わかってなさ」が“わかってる”んだなぁ! これが監督デビューのリサ・チョロデンコ監督、「実はメロドラマも好き」とのコメントもあり、この人もわかってる人です。そもそも「ハイ・アート」ってタイトル、「お高い芸術」なんてオチョクったタイトルでおかしいですよね。

 この「ハイ・アート」のパンフレットには、「私生活でも実社会でも、心に率直に、自分らしく生きたいと願うすべての現代女性の深い共感を呼ぶに違いない」と書いてありますが、どこをどう見たってそんな映画じゃありゃしません。いくら今どきの若い女の子たちのお客を集めたいからといって、このズレかたはひどすぎやしませんか? さらに、同じパンフに載ってる女性フォトグラファー2人の対談もピンぼけもいいとこ。どうしてみんな、自分がさも立派なことしているって言いたくて仕方ないんでしょう?

 とにかく、この映画の中でルーシーは彼女なりのオトシマエをキッチリつけたわけですが、「お前はどうだ!?」と問われたとき果たして私はどうなのか…いろいろと個人的に考えさせられるところの多い映画ではありました。

 

 

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